二
りぃん…と清涼な鈴の音が聞こえたかと思えば飾り紐の先で揺れる玉髄が眩く輝き、蒼桜刃を包み込んだ。蒼桜刃を包み込んだ光はそのまま小太刀から扇への姿を変え、完全に光が収まる頃には武器とは思えないほど美しい四十センチほどの扇子へと変化した。扇面は白縹、天色、瑠璃のグラデーションに桜と三日月が描かれ、汚れ一つない白の中骨と親骨、扇子全体を支える要に使われているのは俺が使う氷結と同じ僅かな透明感のある水色の玉髄。
俺が巫覡として闇に堕ちたモノを祓う為の術具と変化した蒼桜刃の姿だ。この姿の蒼桜刃でも攻撃することは出来るが鉄扇ではないので近距離は勿論、中距離すら危うい完全な遠距離での戦闘が主になる。余談だが俺が最も得意とする距離は近距離なので余程の事がない限り、扇にすることはない。
「幻を司りし月よ、夢へと繋ぐ蝶と共に彼の者を夢へと導け──《夢幻蝶》」
詠うように言霊を紡ぐ。
変声期を迎えたとは思えないほど透き通った声は寝静まった森の中で響くその声は涼やかで美しい音。
ピシピシと亀裂が入り、シャーンとガラスが割れるようや音と共に氷壁牢が砕けるとその隙間を縫うように無数の蒼い蝶が現れた。
俺に流れる月詠の血ともう一つ、胡蝶の血が織り成す俺だけの固有術、夢幻蝶。夢幻という名の通り、対象を夢へと誘い幻を見せる。時と場合にもよるが俺の蝶が見せる夢幻は対象が最も幸せだった頃の“記憶”。どんなに辛くても苦しくても幸せだった頃の記憶は必ずあると信じ、闇に堕ちたモノにその頃の記憶を思い出して欲しくて作った言わばエゴの塊のような術。分かってはいるのだ。自分の思考が反吐が出るほど甘い事など。それが時に相手を侮辱する行動や言動に繋がる事も…それでもこんなエゴに頼りたくなるのは心が弱いからだ─そう戒めて蒼い蝶から視線を外し願う。
いつかこんなエゴに頼らなくても助けてくれたあの人に恩返し出来るように。こんな俺を息子だと弟だと言ってくれた人達を友達になってくれる優しい精霊達を守れるように強くなりたい…
ひらりと指先に止まった蝶を見て俺は自分が思考の海に入っていたのだと気付く。
蝶に誘われる形で視線を亡霊の方へ移すと、そこには既に術中に嵌まった亡霊の姿。赤々と禍々しい色をした深紅の瞳に敵意はなく分かるのは夢の中へ落ちているだろうという事実のみ。
─思考の海に浸かりすぎだ。未熟者…
はぁぁ…と俺は口許に手を当て、眉間にシワを寄せて自らを咎めた。
仮に夢幻蝶の夢から抜け出されたとして触手が飛んで来たとしても傷一つ負わずに交戦出来る自信はある。しかし、だからと言って思考の海に入って良い理由にはならない。戦闘中に考え事をするのは自らの命を差し出している事と同意義だからだ。
「闇に堕ちし者の穢れを癒し冥府へ誘え──《月光雪花》」
再び、詠うように唱えると俺の体から雪の花のような白い魔力が溢れ出す。
そして蒼桜刃自身が持つ魔力に反応して雪の花は桜の花弁へと変化し桜吹雪のように、ぼんやりとする亡霊へひらり、ふわりと降り注いだ。
パキリ、パキリと亡霊に付着した所から桜の花弁が氷へと変化し凍りついていく。夢から覚めたであろう亡霊は抗うことなく己の犯した罪を受け入れようとしているように見えた。
その目には交戦する前に灯っていた負の感情は宿っておらず紅い瞳はそのままでも禍々しさは欠片も残っていない。今の亡霊に宿っているのは不安と哀しみ…そして罪悪感。
愛していた場所を怒りのままに壊し、関係のない俺を襲った事を酷く後悔しているようだ。亡霊に堕ちる前はとても優しい精霊だったのだろう。
『ごめんなさい。我を忘れて森を穢し関係のない貴方を殺すところだった…』
「大丈夫、俺は気にしてない。この森だってお前の仲間がいる限り枯れはしないよ」
森の行く末を案じ、無関係の俺を傷付けてしまった事を悔やんだハッキリと聞こえる亡霊の声に俺は小さく口許を緩めて亡霊に触れる。いつの間にか気味の悪い触手は消え失せ、濃紫の靄が彼女を包み込んでいるだけになっていた。
『わたしは犯してはならない罪を犯してしまった…どうか一思いに──』
「っ! 切り裂け、蒼桜刃っ!」
彼女の言葉は最後まで紡がれる事なく途切れ、その場に崩れ落ちる。
亡霊の周りに反射癖の効果を反転させた氷壁を造り出し、扇だった蒼桜刃を瞬時に片手半剣へと変えた。
玉髄を鍛えたかのような極薄い蒼の輝きを放つ刀身、唐草模様の意匠が施された申し訳ない程度の鍔に紫陽花の花に似た青紫の柄。やはり武器には見えない美しさを醸し出す蒼桜刃を構え、次々と飛んで来た何かを全て跳ね返す。
地面に散らばった毒らしき物が塗られた投擲ナイフに俺はハッとして亡霊の元へ近付いた。地面に散らばる短刀は全て弾いたが一本だけ亡霊─良心を取り戻したので厳密に言えば亡霊の一歩手前、闇精霊になるが─に刺さっているからだ。この亡霊を消すことが目的なら彼女に刺さったナイフだけ毒が塗られていないなんて都合の良いことがあるわけがない。




