一
三、四日程で新月になろうかという有明月が夜空を照らす夜。
俺、風渓桜架は月明かりだけを頼りに薄暗い森の中を駆けていた。否、現在進行形で濃紫の靄に包まれた真っ赤な瞳を持つ触手だらけの気持ち悪い魔物─種類的にいえば精霊になるのだが精霊という存在に夢を持つ人々の為に魔物と表している─に追い掛けられているので駆けていると言った方が適切かもしれない。
「どこのどいつだっ! 亡霊が希少な魔物とかほざいた奴っ!」
襟足で結わえた透き通るような銀に薄く淡い青紫─淡藤色を足した紫銀の髪と色味の濃い紅紫のロングコートを靡かせながら吠えた。勿論、聞いている者など森に棲む動物や魔物、精霊くらいだろうがそれはあくまでも起きていればの話でこんな夜更けに起きている生き物などいないに等しい。
─このまま逃げてても埓明かねぇし…
「相手するか。放っといて別任務になっても面倒だ」
もはや一割の建て前すらない半分以上の本音を溢し足を止めて己の得物を抜いた。銀の月と桜が描かれた漆塗りの鞘から現れたのは反りがない六十センチ前後の小太刀。柄尻で揺れる飾り紐の先で揺れるほんのりと透明感のある鮮やかな水色の玉髄、青みを帯びた鮮やかな紫の柄に申し訳ない程度にある銀の鍔、薄く研ぎ澄まされた刀身は僅かながら冷気を帯びている。俺の愛刀にして術式媒体の蒼桜刃だ。
「風よ、彼の者を切り刻め──《旋風刃》っ!」
風の中級術を居合い切りの要領で振り抜き放つ。振り抜いた瞬間に咲いたのは桜の花に酷似した雪の花。これが蒼桜刃という名の由縁であり俺が有する固有能力の“氷結”。
世界共通として術師─大陸では魔法師と呼ぶらしい─が術ないしは魔法を使う際に適応する属性として火、水、風、土、光、闇の六種類が確認されている。そのうち俺が住む千花国では火、土、光を陽属性。水、風、闇を陰属性と分けられているのだがそれらを扱う術師を総じて陰陽術師。略して術師と呼ぶ。原則として陽術師が陰属性を使うことは出来ない。逆もまた然別。稀に火と風、水と土という術師もいるがそれはその家系…例を挙げるなら、火を得意とする家系と風を得意とする家系同士が混ざり合えばそれも可能となる。鍛練を積めば出来なくはないが血の滲むような努力とある種の才がなければ取得は難しい。ちなみに火と風で雷、水と風で氷結になる。
固有能力とは言ったものの氷結という属性自体はそう珍しいものではない。俺は氷結を結合という工程を踏むことなく、ごく自然に当たり前のように扱えるのである。諸事情により手に入れた力であって厳しい鍛練を積んで手に入れたわけではない。
閑話休題
冷気を帯びた旋風刃は視界を遮る程の土煙を発生させ亡霊の姿を隠す。油断は禁物と蒼桜刃を構えたまま土煙の向こうにいるであろう亡霊に睨みを効かせていると案の定、飛んできたのはありとあらゆる生き物の命を刈り取る触手。しかもご丁寧に突起付きだ。
「χχχχχ!」
「やっぱ無理か」
怒り狂った亡霊が咆哮と共に放った突起付きの触手を放つ。
俺はバックダッシュで避け人間の腕ほどもある太い触手を瞬時に造り出した氷の壁で往なしていく。旋風刃が当たった触手の断面が凍りついていて再生を妨げているのがせめてもの救いだ。
─生半可な術は怒り買うだけ。だったら広範囲の術で無理矢理小さくするっ!
「盟約を交わせし風の精霊よ、無数の刃となり敵を切り刻め──《旋飄刃》っ!」
蒼桜刃を正面に構え、放ったのは先程の旋風刃とは比べ物にならないほどの強風と倍ほどもある鎌鼬。生身であれば間違いなく細切れだが生身の体がない亡霊がミンチになるわけもなく風が収まった頃に現れたのは二回りも小さくなった亡霊の姿。ついでを言えばちょっと拓けた場所が随分と眺めの良い空き地へと変化していた。
「氷よ、彼の者を捕らえ動きを封じよ──《氷壁牢》」
一瞬で空気中の水分が凍りつき、亡霊を閉じ込める。
反射壁の効果があるこの氷壁牢は頼りないほど薄いが中級程度の魔法や術なら罅一つ入れずに跳ね返す事が出来る。反射壁効果が外側ではなく内側にしか働かないので足止めか捕縛、拘束目的でしか使えないのが難点だが元々、そういう部隊に所属する俺はわりと重宝している。
─このまま消滅するまで閉じ込めるだけなら楽でいいけど絶対、消滅の前に俺の魔力が切れるな
警戒を解かず、空を見上げた。
寝静まった森を見守る月は相変わらずの有明月。明日か明後日辺りには新月になるであろう月を見て俺はため息を吐く。
月の名を持つ月詠一族は月の満ち欠けによって術に関する能力が増減する。例をあげるなら満月の日に攻術─攻撃する為の術─を使えば最大限の威力を発揮し逆に新月の日に同じ術を使えば威力が半減するといった具合に。
ただ、俺は月詠の血は流れているが純血ではない。だからあからさまに変わりはしないが月が欠けている時に術を乱発すると元々、虚弱であるという事もあって後日、酷い目に合うのであまり使いたくないのが本音だ。
─完全に欠けてねぇし多少の無理なら利く…か?
「舞え、蒼桜刃」
もう一度、空を仰いで蒼桜刃を横向きに構え、人差し指と中指で撫でて呟いた。




