第三章④
エイコがトイレに立って廊下へ出た後、久納もいきたい気がして席を立った。「あ、私も、トイレ」
「それじゃ私も行く」鏑屋も席を立つ。
そうなると、当然ゼプテンバも席を立つ。「行く」
三人は廊下へ出て左方向へ横に並んで歩く。昼休みなので同じように並んで歩いている女子や廊下の隅に固まっているグループは多い。女子たちの隙間から向こうを歩くエイコの後ろ姿が見える。
そして鏑屋と実の生らない話をしながら、久納「ん?」と思った。
クラスメイトの大森が一人で歩いている。
いや。
歩いているだけならばいい。
おかしい。
明らかにおかしい。
動きが普通じゃないんだ。
「あれ、テルちゃん、何しているんだろう?」鏑屋も大森の不自然な動きに気付いたようだ。
たまに柱に隠れたり。
たまに速度を極端に遅くしたり。
たまに腰を屈めて紺のソックスを直したり。
その姿はまるで。
「忍者みたい」鏑屋は言う。
「え、どっちかっていうと」久納は違う意見を持っている。
「ストーカ」ゼプテンバがボソリと言う。
「イエス、イエース」久納はゼプテンバとハイタッチする。多少、悪のりだと思いながらも。「いえぇい」
「え、テルちゃんって、エイちゃんのこと、好きだったのかなぁ?」
「こ、声が大きいよ、それに、まるでテルちゃんが、矢沢が好き、みたいに言うなよぉ、」ただの昼休みだったはずなのに、久納は急激に楽しくなった。楽しい。愉快だ。恋愛小説家として楽しくて仕方がなくなる。だんだんとボイスの量が押さえられなくなる。「……それでリホちゃん、どうする?」
「どうするって、ねぇ、ゼプテンバ?」
「イエー、」ゼプテンバは親指を立てて二人を見る。「あえて、空気、読まず」
「イエー」三人は拳を軽く付き合わせた。このノリは英国出身のゼプテンバによる影響が大きい。
三人は身を寄せ合っての行動を開始する。
目の前の大森よろしく柱に隠れ、上からゼプテンバ、鏑屋、久納の順で顔を出す。
「あ、エイコちゃん、トイレの前を通り過ぎた、」久納はわくわくして仕方がない。「ねぇ、もしかして」
「もしかするね、」鏑屋が久納の自慢のマッシュルームヘアに指を入れながら指を動かしている。「もしかするよ」
「トラップだ、」ゼプテンバは呟いて、流暢に続けた。最近ゼプテンバは様々な日本語を操るようになっていた。「エイコはストーカされているのが分かっていて、どこかに誘い出して、キュッと絞める気だ」
「いや、違うっしょ、」鏑屋は早口で言う。「二人はすでに出来ていて、誰もいない場所で会おうとしているんだよ、きっと」
「でも、あの動き、ストーカ」
「いやいや、二人とも違うよ、これからね、エイコちゃんは生徒会室に行くんだよ、生徒会長に会いにね、生徒会長に会って、きっと文句を言うよ、それを生徒会長が文句言わないって、口を塞ぐんだよ、自分の唇でね、それをテルちゃんが目撃して、修羅場だよぉ、きゃあ」
三人とも意見が違う。
だから。
「確かめにいこう」
三人は大森の後を付ける。
大森は確かにエイコの後を付けていた。
何かがあるのは確実だ。
大森は渡り廊下を歩いて行く。そして階段を上がっていく。つまり、エイコも渡り廊下を歩いて北校舎に行って階段を登っているのだろう。
二階、三階、四階へ。
大森は歩いて行く。
エイコはどこに向かっているのだろう。
生徒会室は四階だ。やはり生徒会室へ行くのだろうか? 三階の音楽室では吹奏楽部が音を鳴らしていて、その音は校舎中に響いている。しかし、北校舎は生徒が少ない。だからあまり近づくとバレてしまうだろう。三人が見届けようとしているのを。だから接近できない。もどかしい。でも、楽しい。
エイコは屋上への階段を登ったようだ。
四階の生徒会室へは向かっていないらしい。
屋上で密会か?
屋上で、何をするんだろう?
妄想は膨らんで仕方がない。
屋上へ続く階段を三人は陰に隠れながら見上げた。
大森は踊り場で腰を屈めて三人と同じように見上げていたが、エイコが何か言ったのが聞こえて、大森も何か言って、すっと立ち上がって階段を登っていった。
ちょうど吹奏楽部のサクソフォンが高く響いてよく聞き取れなかったのだ。
なんて言ったのだろう?
どうしよう?
三人は顔を見合わせた。
「……いく?」久納が人指し指を立てて小さく言うと二人は頷いた。
三人は四階から階段の方向が変わる踊り場まで登る。
そこで一端止まる。
屋上に出ている可能性もある。
出ていない可能性もある。
キスしている可能性もある。
静かだ。
どうしよう。
顔を出して、もしこっちの方を向いていたら、まずい。
悩んでいたら。
ゼプテンバが久納の袖を引っ張って、スカートのポケットから取り出した。「ミラー」
二つ折りの小さな鏡。
「ありがとう、」久納は小さく言ってゼプテンバの差し出した鏡を見て自慢のマッシュルームヘアを直した。「ちょうど、マッシュルームの状態が気になっていたんだよね」
「バーカ」
「んん?」
ゼプテンバは久納から鏡を取り上げた。
そしてそれを使って見えない場所の様子を窺おうとしていた。
久納はゼプテンバの頭の回転の良さに感動したが、また「バーカ」って言われそうなので黙っていた。
三人は黙って鏡の中を覗いた。
鏡の中の世界は下から上へ変わっていく。
そして。
三人は見てしまう。
エイコと大森が階段に座って寄り添っている姿を。
「ねぇ、チミたち」
後ろから声がして振り向くとそこには生徒会長のウタコと生徒会長代理のヨシノの姿があった。
驚いて。
三人は動きが止まる。
久納はチラッと修羅場という三文字が思い浮かんだ。
そういう苛烈な現実の襲来だ。
「チミたち、こんなところでなにをやってるの? 確かエイコちゃんのクラスメイトだよねぇ? エイコちゃんは一緒じゃないの?」
ウタコは高い声で階段を登ってくる。
その声は異様に響いている。
「会長?」エイコのはっきりとした声が上から聞こえてくる。
「エイコちゃん?」ウタコは三人の横を通り過ぎて踊り場から上を見る。ウタコの表情が変わったのが分かった。「え、そんなところで、何してるの?」
久納はこれからの未来を考えていた。
考えてドキドキして。
大変なことになりそうだと思って。
汗が出てくる。
「エスケープ」
ゼプテンバが短く言って久納と鏑屋の手を掴んだ。そして引っ張られる。
ゼプテンバの判断は正しいと思った。
離脱するのが正しい。
ウタコの顔を見ていて、そう思う。
三人は階段を駆け降りた。
どことなく優雅に立っているヨシノの見送りを受けて。
一階の一年二組の教室まで走って戻った。
自分の席に座り、息を整えていると、しばらくしてエイコが戻ってきた。大森も後ろの扉から戻ってきた。エイコは何食わぬ顔をして席に座って言う。「あれ、なんだか三人とも疲れた顔してない? 何かあった?」
エイコは三人があそこにいたことを知らないのだろう。
あれからエイコとウタコの間にどんな会話が交わされたのだろうか?
気になる。
ゼプテンバも鏑屋も久納も同じ気持ちだろう。
でも、躊躇われた。
それはきっとウタコのあんな顔を見たからだと思う。
久納の脳裏にハッキリと焼き付いている。
その刻印は、拭えない。




