第三章⑤
そんなことがあった昼休みの後の授業は体育だった。久納たちは三本ラインの赤いジャージに着替えてグラウンドへ向かった。エイコの隣を歩きながら、久納は先ほどの出来事のあらゆることが知りたくて仕方がなかった。修羅場になったのだろうか。少し責任も感じる。あそこで久納たちが固まって盗み見しようなんて思ってなければ、ウタコは気づかなかったのかもしれない。
そうだよ。
私たちのせいだよ。
私たちがいなかったら生徒会長は目撃することはなかったんだ。
でも。
この状況にドキドキしてしまうのが恋愛小説家の久納の悪魔みたいなところだ。
そう、自分で客観的に思うのだ。
靴をスニーカに履き変え、昇降口を出る。
大森、瀬口、榎本のグループが少し前を歩いていた。
エイコの横顔を盗み見ると、大森の背中をじっと、見ているような気がしないでもない。
エイコは久納を見た。「なぁに、久納ちん?」
「まつげ長いね」久納は目を離さずに言う。
「そう? ゼプテンバの方が長いと思うけど」
ゼプテンバは英国の探偵みたいに何かを考えて歩いていた。「……なんや?」
「え? 大阪の探偵?」
「何、探偵って?」エイコはゼプテンバを見て首を傾げる。
「デテクテブ」ゼプテンバは綺麗な英語を発声する。
とりあえず三人の会話はどうやら噛み合っていなくて、鏑屋はジャージを取りに陸上部の部室まで行っているから、会話は終息へ向かう。鏑屋はいわば潤滑油のような存在でもある。
チャイムが鳴る。
皆、だらだらとグラウンドの中心に集う。そしてぶらぶらしている。
それに鏑屋が合流。鏑屋はジャージのファスナを全開にしていた。久納は体育の日高先生のヒステリックを恐れて、ファスナを首まで閉めてあげる。そんなことをしていると、日高先生が体育館の方から登場。日高先生はロンズデールの白いジャージ姿。伸ばし放しのロングヘアが帽子からこぼれている。その帽子の真ん中にはGと書いてある。
ガンダムかな?
久納は思う。
「ジャイアンツ」ゼプテンバは目を輝かせていた。
「じゃいあんつ?」久納は首を傾げた。
「せいれーつ!」
日高先生が遠くの方から豪快に言って 皆、だらだらと番号順に整列する。
「今日は誰だ?」その文言は誰が皆の前に出てヨサホイを牽引するのか、という質問である。日高先生の授業では体操の代わりにヨサホイをやるのだ。確かに体は必要以上に温まる。そして一キロくらい痩せた気になるのだ。
「はーい!」鏑屋が威勢良く手を挙げる。
「はいっ!」委員長の野宮もわずかに遅れて手を挙げる。
二人は「ぐぬぬ」と睨み合う。野宮は委員長としてどんな場面でも目立ちたいのだ。鏑屋はただヨサホイが大好きなのだ。
「てめぇら、前もやっただろ!」日高先生は怒鳴る。「空気読めよ、こっちは全員やらせたいの、点数付けなきゃならんの、分かる?」
鏑屋と野宮の二人はしぶしぶといった感じで手を下げた。
「はい、誰か、他?」
鏑屋と野宮以外の皆は、誰か、お願い、手挙げて、と言う感じで周囲を窺っている。
「あらあら、恥ずかしがり屋さんが多いクラスだこと、はい、じゃあ、榎本」日高先生は彼女の所属する軟式野球部の顧問ということもあり、榎本がお気に入りだ。
榎本は盛大に舌打ちして言う。「マジかよ」
「ほらほら、早く出て来いよ」
榎本はだらだらと前に出て行く。
「ほい、じゃあ、スタート」
日高先生は古いデザインのCDラジカセを操作して、再生させる。
ヨサホイのメロディ。
それが続く四分十八秒の間。
皆、両手を上に持ち上げて。
ヨイヨイと。
ヨサホイヨサホイヨサホイホイと叫ぶ。
踊り狂う。
途中から無性に楽しくなってくる。
でも。
なんでこんなことしているんだろう。
そう思ったくらいに、終わる。
「はい、お疲れぇ、」日高先生は毎回本気で踊る。汗まみれになって、笑顔だ。「皆、本気出してねえだろ、次本気出さなかったら、グラウンド百周だぞぉ、こらぁ」
とても愉快そうだ。
久納は前回も同じこと言ってたなぁとか、肩で息をしながら思っていた。
「はい、座れぇ、」日高先生の指示でそれぞれの距離を縮めていわゆる体育座りで座る。「えー、一応スケジュールでは四月一杯はスポーツテストの期間だが、皆が強行スケジュールに付いてきてくれたおかげで四月後半のスケジュールに空きが出来た、なので、感がいい奴は分かっていたと思うが、月末のハッピィ・チェリィ・フェスタもあるっつうこって、今日は野球する、ベースボールだ」
「ジャイアンツ」ゼプテンバが大きな声で言った。
英国では教師の会話に混ざるのが普通なのかな、と思う。
「その通りだ、ゼプテンバ、」日高先生は帽子の鍔を触る。「私は大の巨人ファンだ」
「好きな選手は?」榎本が半笑いで聞く。
「長嶋に決まってんだろぉ」日高先生は威勢良く言った。
それから各々グローブをはめて、グラウンドに散ってキャッチボールを始めた。久納は鏑屋と、エイコはゼプテンバとペアを組んで投げ始める。
「しゃあ、行っくよぉ」鏑屋が二十メートル先で声を挙げて振りかぶる。
「ゆっくり!」久納は大きく声を出した。「ゆっくり投げてよぉ!」
「てあ!」鏑屋は素敵なフォームでストレートを投げ込んできた。豪速球って奴だ。
「きゃあ!」久納は怖くてしゃがんでしまった。とれるわけがない。ボールは後方に落ちて転がって木に当たってバウンドして芝生の上で止まった。それを見届けてから、久納は立ち上がって鏑屋にがなる。若干ヒステリックになっていた。「あんなの取れないよぉ!」
「もう、何やってんのぉ!」鏑屋も大きな声を出す。「早く拾って来い!」
「ぐぬぬ、」久納は走ってボールを回収。元の位置に戻って不思議なポーズで投げた。「てあ!」
ボールは意外にも真っ直ぐ飛んで、鏑屋の前でワンバウンド。鏑屋のグローブに収まった。「いけるじゃん、変なフォームだけど」
久納は少し楽しくなった。「ばっちこぉい!」
しばらくやっていると、ある程度の速度のボールは取れるようになっていた。豪速球は無理だけど。
ちらっとエイコとゼプテンバの方を見る。二人とも軽々と遠くへボールを投げている。テンポがいい。ゆったりとしたリズムを刻んでいるみたい。
「ていっ!」
鏑屋の投げたボールはフライになった。というか、わざとボールを高く投げたみたいだ。久納はテンパった。頭上から落ちてくるボールの処理の仕方が分からない。とりあえず落下点へ移動。グローブを上へ持っていく。でも、要領が分からない。目を瞑ってしまった。
ボールがポテンと脳天に落ちた。
痛い。
久納はその場でうずくまった。「……うう、痛い」
「ごめん、久納ちん、」鏑屋が走ってきて、久納の前でひざまづく。マッシュルームヘアを触る。「ごめんよ、大丈夫?」
「うん、」久納は頷いた。少し涙目だった。「でも、ちょっと痛い、やも」
「やも?」
「かも」
「たんこぶになってるかも、ごめんね、保健室行こう、冷やさなきゃ」鏑屋は久納の手を触って引っ張る。
「え、いいよぉ、頭にボールが当たったくらいでぇ」
「駄目だよ、ちゃんと、専門家に判断してもらわなきゃ」
鏑屋は久納を強引に立たせた。「せんせーい、ちょっと保健室行ってきまーす」
榎本にキャッチャをやらせて投球練習をしていた日高先生が豪速球を投げ込んでから言う。いい汗掻いている。「おう、行ってこい!」
「どうしたの?」エイコとゼプテンバが駆け寄ってきた。
「うん、ボールが久納ちんの頭に当たっちゃって」
「あらあら、リホちゃんが変なボール投げるからぁ、大丈夫なの?」
「うん、別に、ちょっと痛いだけだから」
と言いながら、さっきよりもズキズキしてきていた。ゼプテンバは久納のマッシュルームヘアを見つめていた。そして久納のマッシュルームに手を伸ばしてヘアを触る。「おかしな頭、ファニィヘッド」




