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第三章③

金曜日の特筆すべきこともない日常において、ある意味で緩やかな登り坂を描く可能性のある昼休み。女子たちの話題は朝のホームルームでスヌウピ教諭の告げた野球について。出るか、出ないか。エイコと久納ユリカ、鏑屋リホ、アプリコット・ゼプテンバの四人もいつもみたいに互いの机をくっつけて、野球の話をしていた。

「久納ちんは出ないの?」すでに参加を表明している陸上部の鏑屋が聞く。

「う、うん、私はいいよぉ」

「えー、一緒にバッテリ組もうよぉ」鏑屋は久納の腕に自分の腕を絡ませている。会話を聞きながらエイコと話すタイミングを窺っている大森は、久納と鏑屋の二人は友達以上なのではないかと分析している。

「テルコ、マジな顔してどうした?」前の席の榎本タケコは紙パックのジュースを飲みながら大森の顔をのぞき込んだ。「目が死んでるぞ」

「それはちょっと、教えられないね、」大森はエイコに死んだ目を向けて購買で買ってきた砂糖の多いココアパンをハムハムしている。「教えるのは全て終わってから、そう私が目的を果たしてからだよ、ベイブ」

「何言ってんの、こいつ?」榎本は大森を指さし、大森の隣の席に座る瀬口セイラに向かって言う。

 こっちの三人のグループは向こうの四人のグループみたいに机をくっつけてはいない。そういうことからも人間関係の違いが知れると思う。

 瀬口はほのぼのと応える。瀬口は髪の毛も目つきもほのぼのとしている。「テルちゃんは自分の世界を持っているから、あんまり理解しようとしない方がいいと思う、テルちゃんのネタ帳、見たことある?」

「ネタ帳なんて持ってんの、こいつ?」

「うん、凄いよ、凄く面白いんだ、まずネタ帳を持ち歩いている時点で面白いよね、テルちゃんのネタ帳って何だか語呂がいいね、そういう曲があってもいいよね」

「いいかもしれないけど、でもさ、一体何を目指してるの、こいつ?」

「宇宙飛行士だって」

「はあ?」

「天才かも、」瀬口は大森の頭を撫でながらうっとりとした表情で言う。「もし本当にテルちゃんが宇宙飛行士になったら私たち、宇宙飛行士の友達だよ」

「そりゃそうだ、でも、ないない、」榎本は大森の夢を笑う。しかし、大森を観察してその可能性を探っているようだ。「……いや、ないない、こんな奴が宇宙に行って地球の皆さんこんにちわ、とか言わなねぇ」

「そんな凡庸なこと、テルちゃんは言わないよ、ねぇ、テルちゃんならなんて言うのかな?」

 すでにそれはもう決めている。でも、瀬口は答えを求めているわけではないようなので大森は引き続き向こうのグループを窺う。

「あ、ねぇ、ゼプテンバはどうするの?」

 久納に聞かれてゼプテンバは頷いた。「ピッチャなら、やってやるぜ」

「抑えって感じだよね」鏑屋はニコッと言う。

 ゼプテンバは首を横に振る。「中継ぎ」

「渋いねぇ」鏑屋は言う。

「中継ぎ、抑え、って何?」久納は野球をよく知らないようだ。

「ナイタを見ろ、」ゼプテンバの瞳は静かに燃えている。「くっそ、面白い」

「誰、ゼプテンバにくっそとか教えたの?」鏑屋は笑う。

「部長かなぁ、」久納とゼプテンバは確か軽音楽部に二人で入部していた。久納は珍しいボイスの持ち主で、ゼプテンバはカッティングがヤバいらしい。高速カッティングらしい。「部長、言葉が、なんていうか、くっそ汚いんだよね」

「久納ちんもしっかり影響されちゃって」

「え、何、音楽的なことは部長とは正反対だと思うんだけどな、私はあんなラブラブな曲歌いたくないね、どちらかというと私は絶望な感情を絶望のまま抽出して届けたいね」

「よく分かんなーい」

「うん、それでいいよ、私だって、分かってないもん、」久納は笑う。「とりあえず、私はゼプテンバの作った曲を歌うだけ」

「そういえばバンド名は決まったの?」

「コレクチブ・ロテイション」ゼプテンバは実家がある英国の発音で言う。

「いいでしょ?」久納が鏑屋に同意を求める。「意味分かんないけど」

「いいね、」鏑屋は頷く。「意味分かんないけど」

「ちょ、」そこで今まで黙って話を聞いていただけのエイコが立ち上がった。「トイレ行ってくるね」

 チャンス。

 大森は立ち上がった。エイコとは違う後方の扉から廊下へ出ようとした。

「ちょ、いきなり、どうした?」榎本がチョコレートを口に含みながら言う。

「花壇に水をあげに向かいますわ」大森は前で手を合わせて声を高くして言う。

「てめぇ、そういうキャラじゃねぇだろ」

 榎本の声を後ろに大森はエイコの尾行を開始した。

 エイコはモデルみたいに歩く。

 対して大森は音を立てないように忍者みたいに歩く。

 時折、柱の陰に隠れたりする。

 きっとその行為に意味はないだろう。

 だがしかし。

 大森の脳ミソには、ミッション・イン・ポッシブルのあのBGMが流れている。

 楽しい。

 尾行が楽しくなってくる。

 BGMを小さく口ずさみながら。

 エイコと一定の距離を取り、近づく。

 トイレまで近い。

 トイレの前まで来た。

 エイコはそこで一度立ち止まり。

 トイレには入らなかった。

 え、なんで?

 エイコはそのまま通り過ぎて南校舎から北校舎へ繋がっている渡り廊下へ移動。そして階段の方へ。階段を登り始めた。

 大森も階段を登る。

 二階、三階、四階、そして屋上への薄暗い扉の前で。

 エイコはくるっと振り向いて大森をしっかり見つめて歯切れよく言った。「テルちゃん、私に何か用?」

「ああ、見つかっちゃったかぁ、」大森はヘラヘラと笑いながら、階段を登っていく。「残念、もうちょっと、楽しみたかったのになぁ」

「だからなんなの?」エイコは階段の上に座った。「朝からずっと私のことを見つめていたでしょ?」

「うへ、バレてたんだぁ、」大森は後頭部を触りながらエイコの隣に腰を下ろした。近くで見る彼女はとても綺麗で可愛らしい。いい匂いがする。「実は朝から二人きりになる機会を虎視眈々と狙っていたわけなんだがね」

「なぁに、」エイコは大森の顔をのぞき込むようにして見る。「告白?」

「もぉ、」大森は心臓のブレーキがはずれそうだった。「違うよぉ、でも、ドキドキしちゃうじゃぁん、こんな場所で二人きりだし、でも、もし朱澄ちゃんが私と付き合えるっていうんなら、私は考えてもいいよ、えへっ」

 大森はおどけて、心臓が破裂しないように帳尻合わせる。

「ばぁか、」エイコは高い声で笑う。それがとても魅力的で、どこでもいいから、舐めたい気分になる。耳たぶがいいね。散香の気持ちがなんとなく分かってしまった一瞬であるのだった。「で、なんなの、二人きりになって何をしたいの?」

「朱澄ちゃんに、お願いしたいことがあって」

「それは私にしか出来ないこと?」

「うん」

「それで何?」

 大森は散香が自分にしたみたいにエイコに耳打ちする。

 形のいい耳だ。

 大森は我慢してお願いする。



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