第二章⑦
放課後、ウタコが生徒会室から逃げられないようにヨシノは斗浪を見張りとして置いて、中央生徒会の御崎と丈旗を迎えに外に出た。ウタコは南側の窓が後ろの所定のポジションで頬杖ついて、人生について考えていた、ということはなく、どこに行こうか考えていた。
どこかに行くことは、すでに決まっている。
ただ目的地が定まらないだけだ。
ゆっくりはしていられない。
御崎と丈旗は時計の長針が六にたどり着く前に来るだろう。
とりあえず、生徒会室から離れようか。「ねぇ、占い師、私をトイレに連れてって」
「またまたぁ、」斗浪は扉を背にした、つまりウタコの対面に座ってピンク色の漫画雑誌を読んでいる。「騙されないもんね」
「んふふっ」ウタコは両手で頬を包んで笑う。
「むむ?」斗浪は漫画雑誌を机の上に置く。「何がおかしいの?」
「別に、」ウタコは目を伏せて首を振る。「ただ、エイコちゃんのことを思い出して、幸せな気分になったんだぁ」
斗浪は頬杖ついて聞く。「……そういえば電話、まだ来てないの?」
「うん」
「ふうん、そうなんだ、」斗浪は一度視線を横にして言葉を考えたようだ。「ほら、まだ一日は終わってないよ、まして放課後はまだ始まったばかり、諦めた顔をするのは、時期尚早だよ」
「ヨシノが言っていたこと、その通りかもしれないね、ほら、私って性格に問題があるでしょ? いや、他人には分からないかもしれないけれど、自分では分かるの、エイコちゃん、きっと私の性格的な問題に気付いたんだ、気付いて私に幻滅して、生徒会のことなんてもう、どうでもよくなったのかも」
ウタコは俯く。涙を隠しているように、斗浪には見えたことだろう、
「い、いい性格だと思うよ、クロちゃん、」斗浪は優しい声で言う。少し困っているみたいだ。「カリスマ性を感じるっていうか、その、問題があるとか、いや、確かにそういう面もあるんだろうけど、だから」
「ありがとう、占い師、」ウタコは悲しみが複合された微笑みを浮かべた。わざと。ウタコは諦めが悪い。それは自負している。「でも、いいんだ、もう、私、私」
「占ってあげる、エイコちゃんが電話して来てくれるか、どうか」
「君の占いは信じないってば、どうせいいこと言う気でしょ?」
「……らしくないよ、クロちゃん、そんな弱気なクロちゃん、クロちゃんじゃない、変、だよ」
「私らしいって何だろう?」ウタコはとても厭世的な顔で言う。「私らしいって何? このツインテールをほどいて、生徒会長を辞めて、街を歩いたらきっと私は普通のいいコになってしまうのでは?」
「普通のいいコはそんなこと言わないよ、十分個性的だよ、生徒会長だし、いい加減気が済めってくらい溢れてるよ、独創的なダーティな色がね、今も、これからも、ずっと、隠しても滲み出てくるものを持っているよ、クロちゃんは」
「色が見える?」
「うん、くっきりはっきり」
「その節穴で?」
「こらっ」
「んふふ、」ウタコは体を傾けて笑う。「でも、うーん、それはそれで、やっかいだよなぁ、ある程度の煌めきって必要だと思うんだ」
「大丈夫、黒光してるよ」
「だれがゴキブリだってぇ?」
その折り、扉がノックされた。ヨシノが中央生徒会の二人を連れて戻ってきたのだ。斗浪が反応して、立ち上がって内側の鍵を開けた。つまり一瞬だけ、斗浪はウタコから視線を離したのだ。
甘い。
爪が甘過ぎよ、占い師。
ウタコは素早い動作で生徒会室の窓側の角に移動。床の木製タイルに視線をやる。ある箇所に一見して用途不明のビー玉くらいの大きさの穴が開いている。ウタコはそこに人差し指を入れた。木製タイル四枚が接着されていて指一本で四枚のタイルが持ち上がる。持ち上げると床から三十センチほど窪んだスペースがある。キッチンの床下収納みたいな具合だ。このスペースには何も収納されていないが、その代わりに中央には鉄製の円形の扉がある。ウタコはそれを横にスライドさせる。下に向かって円筒の空間が出現。梯子が延びていて降りられるようになっている。つまりこれは代々生徒会長しか知らない脱出ルートなのである。ウタコが先代の生徒会長の秘書をしていたときも、何度逃げられたか分からない。
ウタコは梯子に足を掛けて体を入れ、手を伸ばして木製タイルを元に戻す。円形の扉も元の位置へ戻す。するとクリスマスツリーの飾り見たいに梯子に絡みついた小さな豆電球たちが点灯する。
「あれ、クロちゃんは?」斗浪の声が上から聞こえる。
「もぉ、見張ってろって言ったじゃん!」ヨシノのどことなく優雅な怒鳴り声。
ウタコはとても愉快な気分になったが声を押し殺す。ゆっくりと梯子を降りる。梯子は長くない。下の理科準備室と繋がっているのだ。確か、初めて避難したときのことだ。香水を作っている水園と遭遇。水園はまずいことをしている自覚があったのだろう。泣きながらウタコに香水売りの認可を求めたのだった。それが水園との出会い。今もいるだろうか。とにかくウタコはつま先で、理科準備室の天井を押し開ける。ストンと落ち、薄暗い理科準備室の空間が足下に見える。同時に豆電球のスイッチが切れる。ウタコは身軽に理科準備室の窓際の棚の上に着地して、開いた天井を元に戻してから床に降りる。理科準備室の独特の臭いの中に水園はいなかった。ウタコは理科準備室から廊下へ出る。左右に廊下が伸びている。右の方から音楽が聞こえる。そちらの方向には音楽室があって、確か今日は、何かあったはずだ。そちらへ早足で歩きながら壁に等間隔で張られている小さなビラに目をやる。そうだ。月曜日は軽音楽部の定期演奏会の日であり、そのビラには本日新入生限定ライブと銘打っている。ならば、新入生に紛れれば、夜まで隠れていられるのでは、と考えた。開演は十七時からだ。
ウタコは新入生の出入りが激しい音楽室を横目に、隣の音楽準備室の扉をノックした。ノックしても、応答がない。音にかき消されているんだと思う。BGMが激しくなっているウタコは構わず扉を開けた。開けると狭い空間に軽音楽部のメンバの二十九人が全員いて、なんだか険悪なムードだった。タイミングが悪かったかな、と思ってウタコは廊下に戻ろうとした。けれど、それより早く視線がウタコに集まってしまった。むむ、引き返せないなぁ、と思って苦笑い。突然の生徒会長の登場に、音楽準備室はざわつく。部長の萱原トウカがウタコに近づいてくる。いつ見ても彼女の長い黒髪は魔女みたいに幻想的だ。目の周りをライブ用のメイクでもって黒く縁取っているから、さらに妖しさが増している。
「ウタコ、何しに来たの?」
彼女はいつも腕を組んで上から目線いうが、別に身長が高いわけじゃない。身長はウタコの方が二ミリほど高い。彼女は靴底に何かを仕込んでいることをウタコは知っている。
「いや、ただライブを見せてもらおうと思って、一応、認可をもらおうと思って、いいよね?」
「悪いけど、今日は一年生限定の、スペシャルなライブなんだ、いくらウタコでも、認可はあげられないのだよ」
「分かった、」ウタコは頷く。「でも、ココで演奏を聴くのは構わないでしょ? ギターの弦の張り替えでもなんでもするからさ」
萱原は髪に指を入れて動かす。「話が分からないんだけど、つまり、何なのさ?」
「ただロックが聞きたくなっただけだよ」
「生徒会室のプレイヤを回したらいいじゃん」
「生がいいんだよぉ」
「変なの、」萱原は首を傾げる。「まぁ、構わないけどもぉ」
「ありがとう」
「いいえ、」萱原は向こうを向いた。しかしすぐに振り返ってウタコを見て目を大きくして言う。「ウタコ、前座やってよ、前座、一曲だけでいいから」
ウタコは突然そんなことを言われて冗談だと思って笑う。「冗談言わないでよ、そんなの無理無理」
「いや、マジでお願い、」萱原はウタコにキスできるくらい近づいて耳打ちする。息が生暖かい。「お願いします、その、今、誰が最初に演奏するかで揉めていて、解散の危機なのだよ」
「解散の危機って、何度目だよ、」ウタコは苦笑していた。「オープニングアクトを誰もやりたがらないって、そういうこと?」
「うん、新入生相手だから、皆、その、恥ずかしがっちゃって」
「トウカがやりなよ、部長でしょ?」
「え、だって、」萱原はうっすら頬を赤らめた。「恥ずかしいし」
「……チミ、なんでバンドなんてやってんの?」
「ロックンロールが好きだからだよ!」萱原はマジな目をして言う。「でも、こっちは恥ずかしがり屋なのだよ!」
「顔が近いんだよ!」ウタコはがなった。「ああ、もう、分かったよ、やってやるよ、一曲、一曲だけなんだかんね!」
音楽準備室は恥ずかしがり屋の歓声に包まれた。
「……全く、どいつもこいつも」
なんていいながら、ウタコは萱原のアコギを借りてチューニングを始め、ボイスの調整をする。
「うー、抱きしめなきゃあ」




