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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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あとがき


 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


 ※この文章には結末まで書いてあります。本編を読み終えてから開いてください。


    ※


 この話は一行の思いつきから始まりました。


 ——観測者によって事実がことなる。


 量子力学にはそういう厄介な話があります。厄介というのは間違っているという意味ではありません。正しいのに、正しいままだと困る、という意味です。


 困るから、六十年間、みんなで見ないふりをしてきた。私が書きたかったのはその「見ないふり」のほうでした。


    ※


 最初に決めたのは、幽霊の話にしないことでした。


 死んだ人がそばにいる話は、たくさんあります。たいていは未練とか、心残りとか、そういう言葉で説明がつきます。説明がつくと、読者は安心します。安心したところで、その人はもう一度ちゃんと死んで、主人公は前を向いて歩き出します。


 それをやりたくなかった。


 榛名は幽霊ではありません。脈があります。七十二です。透は三年間、その数を数え続けていました。数えられるものは心の問題ではない。それだけは最初から動かさないと決めていました。


    ※


 次に決めたのは悪役を作らないことでした。


 郡司は事実をひとつにするのが仕事の人です。透の邪魔をし続けます。でも彼は、二十四年前に列車の二両目にいて、決められなかった三十秒のあいだに十九人が死ぬのを見た人です。あの三十秒を二度と作りたくない、という理由で動いている人を、私は悪役にできませんでした。


 沢渡詩織はもっと難しい人でした。


 彼女が嘘をつけば、榛名は助かるかもしれない。それでも彼女は断ります。理由を三つ挙げますが、本当に大事なのは三つ目です。


 ——私が三年間、あの子と繋がっているのはその四分だけです。


 規程より四分遅らせた。その四分だけが彼女と死んだ子を繋いでいる。それを手放せと言われて手放せる人はいません。


 透が負けたのは力が足りなかったからではありません。正しい人ばかりだったからです。


    ※


 透が三年間、一度も泣かなかったことについて。


 これは書きながら自分でも少し怖くなった設定でした。


 泣くというのはいなくなったと認めることです。認めたら決まってしまう。だから泣かない。理屈としては、作中の物理とちゃんと噛み合っています。


 でも、噛み合いすぎている。


 人が三年間泣かないでいられるのは、物理法則のせいではありません。認めたくないからです。透は自分の未練に、たまたま物理学の名前がついてしまった人でした。だから彼の話は最後まで、どちらとも読めるようにしてあります。


 本当に彼女がいたのか。それとも、二年間まっくらな部屋に座っていた男が、修士論文の続きを見ていただけなのか。


 私はどちらかに決めていません。


 決めたら、この話は終わってしまうので。


    ※


 榛名の嘘については、ずいぶん迷いました。


 第7話で「一個だけ嘘ついてる」と言わせて、それを五十話ぶん引っぱりました。答えは志願したこと。母親の腰が悪くなって、夜の仕事を辞めることになって、謝礼が一回二十万だったこと。


 でも本当に書きたかったのはその先でした。


 ——透が自分のせいだと思ってたから。


 ——言わなかったんじゃないの。使ってたの。


 彼女は透の罪悪感で三年間生きていました。それを本人の口から言わせるのは、かなり残酷なことをしたと思います。ただ、あそこで言わせないと、彼女はずっと「かわいそうな女の子」のままでした。


 自分のために人の罪悪感を使った。そういう人でないと、最後に透と一緒に箱へ入る資格がない気がしたのです。


    ※


 結末について。


 透は勝っていません。世界は最後まで「望月榛名は死んだ」と言い続けます。何百枚もの紙がいまもそう書いてあります。


 透がやったのはその紙が自分に届かない場所へ行ったことだけです。


 これは逃げです。作中でも、そう読めるように書きました。ただ、逃げた先で彼がしているのは、白菜の幅が揃っていない鍋を食べることです。伸びたうどんを、早く入れすぎたと言われながら食べている。


 それだけのために、人ひとりが世界を降りる。


 その釣り合いの悪さが、私はこの話でいちばん書きたかったところでした。


    ※


 最後に、ひとつだけ種明かしを。


 最終話で沢渡詩織は扉を開けません。開ければ決まってしまうからです。


 ですから、あの部屋の中がどうなっているかを知っている人は、作中に一人もいません。書いた私も知りません。


 知っているとしたら、いま、ここまで読んだあなたです。


 あなたが「二人は鍋を食べている」と思えば、あなたにとって二人は鍋を食べています。「もう誰もいない」と思えば、そちらが本当です。


 どちらでも構いません。ただ、どちらを選んだかは、誰にも言わないでおいてください。


 言うと、決まってしまうので。


    ※


 この話の物理について、もう少しきちんと知りたい方のために、別に手引きを置きました。ウィグナーの友人という思考実験のことや、作中の六箇条がどこから来ているか、どこまでが本当でどこからが嘘か、そういうことを書いてあります。


 難しい顔をせずに読める書き方にしたつもりです。よければ、そちらもどうぞ。


 それではまたどこかで。


                            みぎみみ


お読みいただきありがとうございました。

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