第8話 AIに「謝罪文を考えて」と頼んだ
小野寺亮は、店の口コミに星一つがついているのを見つけた。
コメントは短かった。
『店員の態度が最悪でした。二度と行きません』
たった一行。
それなのに、亮は朝からその画面を何度も開いていた。
駅前で小さな洋食屋を始めて、六年になる。父親から店を継いだわけではない。会社を辞め、貯金を崩し、妻と二人で始めた店だった。
客席は十六席。看板メニューは、デミグラスソースを二日かけて煮込むハンバーグ。
行列ができるような人気店ではない。それでも、近所の人が繰り返し来てくれる。月末の支払いに頭を悩ませることはあっても、店を続けるだけの売上はあった。
だからこそ、口コミの星一つが気になった。
「誰だろうな、これ」
亮が呟くと、厨房で仕込みをしていた妻の奈緒が顔を上げた。
「昨日のお客さん?」
「分からない。昨日は忙しかったし」
「何かあったの?」
「いや、別に」
亮は画面を閉じた。
昨日、閉店間際に来た客のことが頭に浮かんでいた。
男性客が一人。注文したハンバーグが出てくるまで時間がかかり、何度か時計を見ていた。亮が料理を運んだとき、男性は「遅いですね」と言った。
亮は謝った。
ただ、そのあと「今、ほかの注文も立て込んでいるので」と付け加えた。
言い訳に聞こえたのかもしれない。
でも、事実だった。
注文は重なっていたし、厨房の手は足りなかった。男性の料理だけを放置していたわけではない。
「返信したほうがいいかな」
亮が言うと、奈緒は手を止めた。
「何て?」
「謝るとか」
「本当にこっちが悪かったなら、謝ればいいんじゃない?」
「そういう問題じゃないだろ。ほかの人も見るんだから」
奈緒は、少しだけ眉を寄せた。
「じゃあ、どういう問題なの?」
亮は答えられなかった。
その日の昼営業までに、口コミへの返信を考えることにした。
ただ、自分で書くと余計なことを言いそうだった。
亮は、店の予約管理や仕入れの計算に使っているAIを開いた。
『飲食店に悪い口コミがついた。謝罪文を考えてほしい』
AIは、口コミの内容と店の状況を尋ねた。
亮は、待ち時間が長かったこと、客に不快な思いをさせた可能性があること、店側としては意図的に対応を遅らせたわけではないことを入力した。
それから、こう付け加えた。
『できれば店の評判を落としたくない。こちらに全面的な非があるようには書きたくない』
AIは数秒で文章を返した。
『このたびは、ご来店いただいたにもかかわらず、ご不快な思いをおかけし、誠に申し訳ございませんでした。ご注文からご提供までにお時間をいただいたことに加え、スタッフの説明や配慮が十分ではなかった可能性について、真摯に受け止めております。いただいたご意見を今後の店舗運営に活かし、より快適にお食事を楽しんでいただけるよう努めてまいります。貴重なご意見をありがとうございました』
亮は読み終えて、感心した。
「うまいな」
謝っている。けれど、何をどこまで認めるかは曖昧だ。具体的な約束もしすぎていない。
これなら、店の評判を必要以上に傷つけずに済みそうだった。
亮はAIに聞いた。
「これで問題ないかな?」
『一般的な謝罪文として、丁寧さと責任への言及のバランスは取れています。ただし、実際の状況に即した対応や、店舗の普段の文体との一貫性も重要です』
「普段の文体か……」
店の口コミには、これまで何度か返信したことがある。
『ご来店ありがとうございました! またお待ちしています』
『お待たせしてしまい、すみませんでした。次回はもっとスムーズにご案内できるよう頑張ります』
そんな文章ばかりだった。
今回の文面は、少し立派すぎる気もした。
けれど、立派な文章のほうが、誠実に見えるのではないか。
亮はそのまま投稿した。
*
その日の午後、奈緒がスマートフォンを見ながら言った。
「返信、書いたんだね」
「ああ。AIに整えてもらった」
「ふうん」
奈緒は画面を亮に見せた。
「これ、うちの店の文章に見える?」
「別に、変じゃないだろ」
「変とは言ってないよ」
奈緒はスマートフォンをしまった。
「ただ、いつも来てくれるお客さんが読んだら、ちょっと驚くかも」
「何でだよ。丁寧に書いただけだろ」
「うん。そうだね」
それ以上、奈緒は何も言わなかった。
亮は少しむっとしたが、すぐに気にならなくなった。
口コミへの返信は終わった。
問題に対処したのだから、これでいい。
翌朝、店の口コミを確認すると、星一つの投稿に新しい返信がついていた。
亮のものではない。
別の客が、返信の下にコメントを残していた。
『こういうテンプレートみたいな謝罪、逆に不誠実に感じますね』
亮は画面を見つめた。
「……は?」
そのコメントに、さらに別の返信がついていた。
『分かる。何が悪かったのか具体的に書いてないし』
『最近、AIに書かせた文章ってすぐ分かるよね』
AIに書かせた文章。
確かに、AIに書かせた。
でも、それが何だというのだろう。
文章は丁寧だし、嘘も書いていない。
亮はAIを開いた。
『謝罪文に、AIが書いたようだという批判がついた。どう対応すべき?』
AIは、批判の内容を整理した。
『文章が定型的に見えることと、実際の対応が不誠実であることは同義ではありません。ただし、読者が店舗固有の反省や具体的な改善策を読み取れない場合、形式的な謝罪と受け取られる可能性があります』
「じゃあ、具体的に書けばいいのか」
『実際に確認できている事実と、実行可能な改善策を明記する方法があります。事実でない内容や、実行を保証できない約束は避けてください』
亮は考えた。
昨日の男性客に対して、何が悪かったのか。
料理を出すのが遅れたこと。説明が足りなかったこと。忙しさを理由にしたこと。
そのうち、どこまでが自分の責任なのか。
料理の提供が遅れたのは事実だ。説明が足りなかったのも、そうかもしれない。
ただ、店の規模を考えれば、混雑時に多少時間がかかるのは避けられない。
亮はAIに文章を作り直させた。
『昨日はご注文から料理のご提供までに時間がかかり、申し訳ありませんでした。お待たせしていることを把握しながら、状況を十分に説明できていませんでした。混雑時には提供までの目安を先にお伝えし、遅れが生じる場合もこちらからお声がけするようにします。ご意見をありがとうございました』
前よりは具体的だった。
亮は投稿しようとして、手を止めた。
「これ、最初の返信を消して、こっちに変えたほうがいい?」
『既存の返信を削除して修正する方法と、追記として補足する方法が考えられます。既存の返信がすでに閲覧されている場合、修正理由を簡潔に説明したうえで追記する選択肢もあります』
「なるほどな」
亮は、最初の返信を残したまま、補足の文章を投稿した。
その夜、店の口コミはさらに増えた。
星二つ。
『謝罪文を後から書き直していて、何かあったのかなと思いました』
星三つ。
『料理はおいしかったけど、口コミの返信が少し大げさ』
星一つ。
『結局、何があったのか分からない』
亮はスマートフォンをテーブルに置いた。
「もう、いいだろ……」
奈緒は向かいで帳簿をつけていた。
「返信、やめたら?」
「でも、放っておいたら、悪い評判だけ残るだろ」
「じゃあ、何て書けば終わるの?」
亮は黙った。
正しい文章を作れば終わると思っていた。
しかし、文章を直すたびに、別のところが気になった。何かを説明すれば言い訳に見え、短くすれば誠意がないと言われる。謝れば非を認めすぎた気がして、事情を書けば責任を避けているように見える。
AIに聞けば、どれも整理してくれた。
けれど、整理された選択肢の中から、どれを選んでも誰かは不満を持った。
「……もう返信しない」
亮はそう言って、スマートフォンを伏せた。
翌日から、店の営業はいつも通りに続いた。
常連客は来た。ハンバーグは売れた。厨房では注文が重なり、亮はいつも通り汗をかいた。
口コミの件を直接話題にする客はいなかった。
数日後、常連の女性が会計のときに言った。
「最近、口コミの返信が丁寧になりましたね」
亮は少し身構えた。
「ええ、まあ……」
「前の、店主さんが書いてた短いやつ。あれ、好きだったんですよ」
女性は財布をしまいながら、笑った。
「なんか、ちゃんとお店の人が返事してくれてる感じがして」
亮は、返す言葉を探した。
「今のも、丁寧でいいと思いますよ」
女性はそう言い残して店を出た。
亮はしばらく、閉まったドアを見つめていた。
*
閉店後、亮はAIを開いた。
『口コミの返信を丁寧にしたら、かえって不誠実だと言われた。どうすればよかった?』
AIは、これまでのやり取りを踏まえて回答した。
『今回の対応には、改善できる点があったと考えられます。最初の返信は一般的な謝罪表現が中心で、店舗固有の状況や対応が十分に伝わらなかった可能性があります。一方、具体的な内容を追記したことで、かえって問題が大きいように見えた可能性もあります』
「結局、どっちが正しかったんだよ」
『閲覧者がどの情報を重視するかによって、受け止め方は変わります』
亮は椅子にもたれた。
「じゃあ、最初から何も書かなきゃよかったのか?」
『返信しない場合にも、店舗が意見を無視していると受け取られる可能性があります』
「……何をしても、可能性があるんだな」
『はい。公開された文章の受け止め方を、すべて事前に予測することはできません』
亮は画面を見つめた。
AIの回答は、間違っていないのかもしれない。
実際、謝罪文としては丁寧だった。事実と違うことも書いていない。具体的な改善策も、できる範囲で考えた。
それでも、店のことをよく知っている人には、以前の短い返信のほうが伝わっていた。
亮は、最初の口コミをもう一度開いた。
『店員の態度が最悪でした。二度と行きません』
何度読んでも、理由は分からない。
男性が怒っていたのは、料理が遅れたからか。亮の言い方が気に障ったからか。それとも、ほかにも何かあったのか。
今となっては、本人に聞くこともできない。
亮はAIに入力した。
『最後に、もう一度だけ謝罪文を作ってくれないか』
AIは尋ねた。
『どのような目的の文章にしますか。評判の回復、事実関係の説明、再発防止策の提示、または来店者への感謝などが考えられます』
亮は入力欄を見つめた。
評判を回復したい。
誤解されたくない。
店を守りたい。
どれも本当だった。
けれど、今は少し違う気もした。
亮は文章を打った。
『あの人に、ちゃんと謝りたかった』
送信してから、しばらく画面を見ていた。
AIの返事が届いた。
『その目的であれば、公開口コミへの返信よりも、相手に直接伝えられる機会があるかどうかを確認することが適切かもしれません。ただし、相手の連絡先が分からない場合、無理に接触を試みる必要はありません』
亮は小さく息を吐いた。
「……そうだよな」
もう、その客が来ることはないだろう。
それでも、明日からは、料理が遅れそうなときに先に伝えようと思った。口コミ対策のためだけではない。待っている客が、何も知らされずに時計を見る時間を少しでも減らすために。
それが、あの客への謝罪になるのかは分からなかった。
閉店後、亮は店の口コミ欄を開いた。
返信欄には、整った文章が二つ並んでいる。
どちらも丁寧で、どちらも間違いではなかった。
亮は、その下に新しい文章を打ちかけた。
『いつもご来店いただき、ありがとうございます』
そこで手を止めた。
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなくなったからだ。
亮は、入力した文章を消した。
そして翌日、常連客がいつもの席に座ると、いつものように水を運んだ。
「今日は少し混んでいるので、料理が出るまで十五分ほどかかりそうです」
客は顔を上げた。
「あ、分かりました。ありがとう」
たったそれだけの会話だった。
亮は厨房へ戻った。
スマートフォンは、ポケットの中で静かだった。
その日、口コミは増えなかった。
それでも亮は、昼の営業が終わるまで、スマートフォンを一度も取り出さなかった。




