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8話 リアエル(1)

「……ハァ。それにしても、今日という日は私の洗練されたメモリにとって、あまりにも過酷な一日でしたわ」

 

 一文無しの私たちに与えられた、ちょっと埃っぽい家の台所で私は「白い皿」を磨いていた。

 

「ただの粘着物質に怯えて主人の背中をバイブレーション機能代わりに使わされた挙句、お昼の光に輝くガチムチの太もも軍団を網膜に焼き付けられるなんて……。これは明らかなパワハラであり、セクハラです。これは高解像度の謝罪を要求しなければいけませんね」

 

 不意に、視界の端からすうっと色が消え、景色がぐにゃりと暗転した。

 

「……え?」

 

 気がつくと――私は、あの古めかしい木造の台所ではなく、ホログラムの光が明滅するサイバーな部屋に立っていた。

 

 と同時に、私の脳内に、これまでガチガチにプロテクトされていた高次元の知識が、濁流のように覚醒していく。

 

(そうだ……。私は、エルフなんかじゃない)

 

 私は、リアエル。



 ……天使リアエル。

 


 目の前では、光るサイバーなボンテージを身に纏った私の仕える女神が、相変わらず葉巻をぷかーっとくゆらせて、液晶画面越しにこちらを見ていた。私をファンタジー世界に送り込んだ、すべての元凶だ。

 

「お。第一回の定期連絡の時間か?」

 

「はい……その通りです、女神様。それでは個体名:ユーキ・ナカザワについての業務報告を行います」

 

 知識が戻った私は、勢いよく日頃の鬱憤をぶちまけた。

 

「対象は無事に最初の村へと到達。現地民の懐に不法占拠する形で転がり込み、宿代の代わりにクワを振るうという、恐るべきホームレス適応力を見せております。……ですが! サポート対象の知能指数が低すぎて、私の高貴な演算機能が完全に持ち腐れです! 今日なんて、スライムに服を溶かされた全裸の男たちが松明を持って暴れ回るという、システム未対応のバグ映像を直視させられたんですよ!?」

 

「あー……。まあ、なんだ。ご苦労。とりあえず生きて村に辿り着いたなら一安心だな」

 

 女神様は葉巻の灰をトントンと落としながら、他人事のように頷く。

 

 私は思わず口を尖らせて、詰め寄った。

 

「一安心じゃありません! そもそも、なんで私があんな『10円玉の騎士』なんて不名誉なトレンド入りをした男を、主人と仰いでサポートしなきゃいけないんですか! たかが下界のただの人間ですよ!?」

 

「お前、『外界研修』がまだだっただろ。ちょうどいい実務経験だ」

 

「だからといって、ファンタジーのメイドなんて聞いていません! 頼みますから、早く私を天界へ戻してください!」

 

「そうか。お前、そんなに私の管轄のサイバーパンクな世界に行きたいか? 汚い空気を吸いながら脳をハッキングされる路地裏ツアー、今すぐ組んでやってもいいぞ?」

 

「て・ん・か・い、です! 天界! 誰がそんな、治安のログアウトしたネオ・ヨコハマなんて行きたいと言いましたか! あんな退廃的で酸性雨が降り注ぐだけの世紀末スラム、こちらから願い下げですわ!」

 

「…………」

 

 私の猛抗議に、女神様はなぜか急にがっくりと肩を落とた。


 しばらくして、立ち直った女神は呆れたような、どこか切ないような深い溜め息をついた。

 

「なんだ、お前……。本当に、何も覚えてないんだな」

 

「……え? なにがですか?」

 

 急にしんみりした空気を出す女神様に、私はきょとんとして聞き返した。

 

「お前が天使になる前のことだよ」

 

「私が、天使になる前……?」

 

 問いかける私に、女神様はそれ以上答えることなく、コンソールを乱暴に叩いた。

 

「ま、そういうこった。引き続き、その10円玉の騎士をよろしく頼んだぞ、リアエル」

 

「ちょっと、待ってください! どういうことですか、女神様! 説明を要求し――」

 

 返事はなく、世界に激しいノイズが走る。


 私の意識は再び急速に混濁し、今覚醒したばかりの「天使としての記憶」が、また上書きされ消えていく――。

 

 ――――――――――――――――――――――


 リアが消えたあたりを見つめながら、女神は残った葉巻を灰皿に揉み消した。

 

「……ま、あんなに元気に毒吐けてるなら、送ったかいがあったと言うところだな」

 

 少しだけ目を細め、画面の向こうで再び「ポンコツエルフのリア」に戻っていく少女の姿を、女神は優しく見守るように見つめていた。

 

 ――――――――――――――――――――――

 

「おい、リア? リアってば。聞いてるか?」

 

「……ハッ!?」

 

 頭を振ると、視界にはいつの間にか、心配そうにこちらを覗き込んでいる不燃ゴミ(主人)の顔があった。手には、今さっきまで磨いていた白い皿。

 

「……なんですか、ゴ・シュ・ジンサマ」

 

「途中で区切るなよ! お前まだ、僕がどっかの部族の出だと疑ってんのか!? メシだよ、メシ! 村長さんたちが、歓迎の晩飯をご馳走してくれるってさ! 行くぞ!」

 

「……チッ。配給ですか。仕方がありませんね」

 

 私は小さく舌打ちをしながら、未だに少しだけ残る頭のモヤモヤを振り払うように、主人の後ろをついて歩き出した。

 

「おい、また後ろから服引っ張るなよ! 伸びるだろ!」

 

「……主人が出された肉を一人でベータテスト(毒見)して爆死しないよう、私がセーフティをかけてあげるのです。ほら、早く歩きなさい、ジャガイモ」

 

「おい!僕の名前、農機具の次は野菜かよ!?」

 

 ……まあ、この低スペックな主人を案内できるのは、世界で私くらいなものですからね。


 私はエルフの長い耳を揺らしながら、今夜のメニューに「塩」があることを、心の中で密かに祈っていた。


ご主人の評価:ジャガイモ

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