4話 僕の逃避行に愛はあるのか。
結局、ウサギの半分以上をリアに奪われ、僕の腹は六分目といったところで落ち着いていた。
焚き火のパチパチという音だけが響く夜。
暗闇に包まれた森は、昼間よりずっと不気味で、遠くで時折「ギャー」という得体の知れない獣の鳴き声が聞こえる。
「……ねえ、リア。見張り、どうする?」
リアは焚き火の傍で、猫のように丸まっていた。
「見張りですか? ご主人様、私はこう見えて、非常にデリケートな『スリープモード』を必要とする個体です。主人が起きてセキュリティを担当してください。もしモンスターが来たら、大きな声で『エラー報告』を送信してください」
「助けてくれないのかよ!!」
「私が起きたら、全力で逃げますので。ご主人は肉壁として、三秒だけ時間を稼いでください」
僕は絶望しながら、火を絶やさないように枝をくべた。これじゃ、どっちがご主人様かわかりゃしない。
……そういえば、さっきから森の奥で、カサカサと音がしている気がする。
……
……
「……ね、ねえ、リア。なんか……なんか寄ってきてない?」
「……ご主人の『被害妄想ゲージ』が振り切れていますね。ただの風か、あるいは、さっきのウサギの遺族が復讐に現れただけでしょう。よくある『仕様』です」
「仕様の一言で済ますな! ウサギの遺族!? 怖すぎる!!」
カササッ。
音が、近づいてくる。
焚き火の光が届くか届かないかの境界線に、二つの光る目が浮かび上がった。
「ヒッ……!!」
僕は思わずリアの肩を揺さぶった。
「出た! 出たよリア! エラー報告! エラー報告送信!!」
「……うるさいです。せっかくの春のパン祭りの夢が、中断されました」
リアは渋々片目を開けると、暗闇を見据えた。
「……ああ、あれですか。ご主人様、安心してください。あれはただの大きなネズミです。攻撃力は、主人の小指以下です」
「ネズミ……? なんだ、びっくりさせやがって。……って、僕の小指以下の戦闘力って、それほぼ無害ってことだよな?」
「いいえ。彼らの特性はおそらく『群れ』です」
リアがそう言った瞬間、暗闇の中に、二つ、四つ、八つ……と、無数の光る目が浮かび上がった。
「…………」
「……ご主人様。現在、私の演算による『生存率』の再計算が終わりました」
「お、教えろ……何パーセントだ……」
「『該当するデータがありません』つまり、測定不能。……逃げます!!」
飛び起きたリアは、言い終わるより先に、クラウチングスタートの構えに入っていた。
エルフのしなやかな脚が、逃げるためだけにフルスロットルだ!
「え、速っ!? 構えガチすぎるだろ!」
「主人がネズミに齧られている間に、私は光の速さで転進します。あ、主人の遺品はメルカ……ではなく、ギルドで高く売っておきますね!」
「勝手に売るな!! 遺品にするなよ!!」
「では、お先に!!!スタート!!」
「いやまっ、はええええ!!!!」
僕は叫びながら、リアの背中を追って月夜の森を猛ダッシュした。
「はぁ、はぁ……! ちょっと、リア! 速すぎ! 待ってええ!」
前方。木の枝を軽やかに跳ね、もはや残像になりかけているリアが、顔だけこちらに向けて平然と言い放った。
「ご主人様、遅いです。現在の主人の移動速度は、ダイヤルアップ接続並みのノロさです。今は光の速さが主流です!!」
「例えが古いっ!!てか、さっきのネズミ、まだ追ってきてる!?」
「はい。私の遠目によれば、約五十匹が『食べ放題イベント』の会場として主人の背中をロックオンしています。おめでとうございます、人気者ですね」
「不吉なイベント開催すんなよ!! 助けてくれよ、なんか魔法とか!」
「物理的な衝突が避けられない場合、私は『全責任を主人に転嫁する』という高度なセキュリティプログラムを起動します。あ、躓きましたね。減点5です」
「躓いてねーよ! 根っこを避けたんだよ!!」
しばらく走ったところで、リアが唐突に足を止めた。
「……止まった? 巻いたのか!?」
僕が追いついて膝に手をつくと、リアは人差し指を口に当てて「シッ」と制止してきた。
「静かに。……現在、ネズミ軍団のヘイトを分散させるための囮を設置しました」
「囮? いつの間に……何を置いたんだ?」
「主人がさっきまで担いでいたウサギの、骨の一部です。私の計算によれば、あの一片の骨で三秒、主人が泣き叫ぶ声でさらに二秒、合計五秒のタイムロスを稼げます」
「僕の叫び声を計算に入れるなよ!あとウサギの骨……。お前、いつの間に!?肉は食っただろ!!」
「フフン。『こんなこともあろうかと!』という、いにしえに従い、こっそりストックしておきました。私を讃えなさい、ご主人様。さあ! 早く!」
「讃えてる余裕なんてねえよ! 」
「 ……あ、来ました。次、行きますわよ」
「だから『次』ってなんだよ! 骨はもう無いだろ!」
「ご安心ください。第二の囮として、主人の靴の中に『非常に香ばしい熟成ウサギ肉』を一欠片だけ仕込んでおきました。そろそろネズミたちが全力でご主人様の足を狙い始める頃合いです」
「嫌がらせのレベルが高すぎる!! 」
「骨の次は主人の『靴』、その次は『服』です。段階的に装備をパージして、最終的には全裸で走っていただきます」
「不審者だろ! 普通に事案だよ!!」
背後からガサガサと波のような音が聞こえ、僕たちは再び走り出した。
「早く脱いで出させろよ!!」
「無理です。今、靴を脱ぐために足を止めた瞬間、ご主人はネズミたちの『メインディッシュ』へと昇格します。そのまま走り抜けて、靴の中で肉を熟成させてください」
「熟成させてどうすんだよ!! 走るたびにグニグニして気持ち悪い!!」
それから、どれだけ走り、どれだけリアに「主人の心拍数がビープ音みたいでうるさいです」だの「その走り方、処理落ち中のNPCみたいですよ」だの「その顔、潰れたカエルみたいで面白いです」だの「泥にまみれて走る姿、まるで手足の生えたジャガイモが転がっているようですね!」だの「主人の移動速度、さっきから通信制限中のスマホ並みです!」だの「あ、今の躓き方、最高にマヌケだったので脳内でリピート再生しておきますね」だの「死に物狂いで逃げる主人の背中、負け犬の教科書に載せたいくらい完璧です」だの……もう涙目だよ!
リアの言葉責めで普通に心折れそうだよ!
リアの毒舌が僕の心を切り裂き続け、やめて!僕のライフポイントはもうゼロよ!になる直前。
次第に、重苦しかった夜の空気が、薄紫色に透け始めた。
「……はぁ、はぁ……。あ、見て、リア……。空が……」
「朝ですね。主人の『ログイン時間』が、ついに十時間を突破しました。連続プレイによる健康被害にご注意ください」
「……異世界に来てからずっとログインしっぱなしだよ……」
ふと、森が開けた。
朝靄の向こうに、家々の屋根から細い煙が立ち上る、小さな集落が見えてきた。
城門もなければ、高い壁もない。が、ただそこに人が住んでいるという事実だけで、僕は泣きそうになった。
「……村だ。やっと、村に着いた……」
僕はよろよろと足を踏み出そうとして、隣に立つリアを見た。彼女は朝日を浴びて、どこまでも透き通った肌を輝かせている。これだけ見れば、最高に理想のヒロインなんだけどなぁ。
「ご主人様、お疲れ様です。ようやく『スターター村(仮)』に到着しましたね。……あ、おめでとうございます」
「……なんだよその適当な名前。そもそもお前、ここがどこか知ってるのか?」
「いいえ。一ミリも知りませんが、雰囲気で名付けました。これでようやく、私も新しい皿……ではなく、主人を正式な『自立した大人』として見守るフェーズに入れますわ。メイドたるもの、主人の成長を妨げないよう、これからは一切の家事と労働を主人にお譲りして、私は傍らで優雅にお皿を磨く事にいたしますわ」
「……やっぱり皿の方が大事なんじゃねーか!! あとお前サボる気満々すぎないか!? 」
僕は大きく息を吐いたあと、気持ちを集中させた。
よし。
いける。
僕は重々しく頷いた。
とりあえず、この村で、皿よりも先に寝床を確保しないとな。靴の中の肉も出したいし。
「……よし。行こう、リア」
「はい、クワッ」
「まだアヒル残ってんのかよ!!!」
こうして、僕とエルフメイド(ぽんこつ)の、最初の冒険?は幕を閉じたのだった。
第一章 おしまい つづく!




