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10話 僕の危機一髪。

 視界が、どろりと重い泥と絶望に染まっていた。

 

 吹き荒れる爆風。燃える村。

 

 僕とリア、そしてサムソンの三人は、命からがら森の奥へと逃げ延びたが、その全身は泥と返り血――いや、泥まみれでボロボロだった。

 

「……はぁ、はぁ。……もう、残ってるのは、僕たちだけなのか……」

 

 僕の悲痛な問いに、隣でうなだれるリアが、力なく毒を吐いた。

 

「……現在、村の生存者生存ログは……完全に消失。私の、高機能な……演算の無駄遣いでしたわ……」

 

「そんな……。村長も、僕らを庇って、あの火の中に……」

 

 サムソンが拳を地面に叩きつけ、悔しさに肩を震わせる。

 

 その時だった。

 

 ギロリ、と。

 

 森の木々をなぎ倒し、太陽を遮るほどの巨体が僕らの前に現れた。

 

 漆黒の鱗に包まれた、災厄の象徴――ドラゴンだ。

 

 ドラゴンは冷酷な黄金の瞳で僕らを見下ろすと、その裂けた口から愉悦に満ちた声を漏らした。

 

『くくく……。まだネズミが残っていたか』

 

「――っ!!」

 

 その言葉に、サムソンが真っ先に立ち上がった。

 

「ユーキ、リア……逃げろ。ここは俺が行く。……俺は、失うもんがねぇのが自慢だったが……あいつらの仇くらい、この命と引き換えに取ってやるよ!!」

 

「サムソン、無茶だ!!」

 

「あばよ……ユーキ!!」

 

 サムソンが雄叫びを上げ、ドラゴンに向かって突進する。

 

 男の、人生で最高の、気高き特攻。

 

 が。

 

 ――ペイッ。

 

 ドラゴンが、まるでハエを追い払うかのように鼻先でサムソンを弾き飛ばした。

 

 サムソンは「うわああああっ!?」という情けない悲鳴と共に、星の彼方へと消えていく。

 

「「サムソーン!!」」

 

 僕とリアの叫びが虚しく響く。

 目の前には、勝ち誇ったドラゴンの顔。


「サムソンお前、ただのハエたたきみたいに落とされたぞ!?」

 

 親友(候補)のあまりに一瞬の退場に僕が絶叫するより早く、リアはすでに猛然と反転し、美しいクラウチングスタートを決めていた。

 

「主人が驚愕している隙に、私は光の速さでバックアップ(逃走)します! ほら、早く走ってください、ダイヤルアップ接続!」

 

「待って! 置いてかないで!!」

 

 僕は泣き叫びながら、リアの残像を追って森の中を猛ダッシュした。

 

 背後からは、巨大な翼が巻き起こす凄まじい暴風と、木々がドミノ倒しのようにへし折れる爆音が迫ってくる。

 

「リア! あいつ飛んでる! 飛行ユニットだよ! 地上走ってる僕らが勝てるわけないだろ!」

 

「大丈夫です、ご主人様。私の高解像度な目測によれば、あのドラゴンの飛行速度は、現在の上りの通信速度を遥かに凌駕しています。つまり――」

 

「つまり!?」

 

「あと三秒で、主人の背中が物理的にハッキング(激突)されます。おめでとうございます!」

 

「おめでたくねえええ!!」

 

 ドゴォォォン!!!

 

 悲鳴を上げた瞬間、僕のすぐ目の前の地面に、巨大なドラゴンの前足が文字通り降ってきた。

 

 あまりの衝撃波に僕らはまとめて吹き飛ばされ、泥にまみれて地面を何回転も転がる。

 

「痛っ、つううう……! 万事休すだ……」

 

 よろよろと顔を上げると、目の前には、僕たちを完全に袋小路に追い詰め、勝ち誇ったように鼻の穴から炎を漏らすドラゴンの顔があった。


「くくく。お前らもボロ雑巾にしてやろう……あの無力な村人のように」

 

「……あの村人のように?」

 

 ふと、隣に立つリアから、異常なまでのプレッシャーが放たれた。

 

 彼女はゆっくりと立ち上がり、深く、重々しく地面を踏みしめる。

 

「……サムソンのことか。……サムソンのことか――っ!!!」

 

 リアが絶叫した瞬間、彼女のエルフの長い髪が重力を無視して逆立ち、全身が激しい金色のオーラに包まれた!

 

「な……リア!? なんだその姿!? なんでいきなり覚醒してるんだよ!」

 

「許しませんわ……。私の……私の大事な『ジャガイモの芽かき職人』をバカにするなんて……!!」

 

 リアは腰を落とし、両手を右脇に構えた。

 

 その手のひらの間に、青白いエネルギーの光が凝縮されていく。

 

「リ、リア! それはいけない! それ以上やったら権利関係で書籍化できなくなるからあー!! コンテストに通らなくなるからあああ!!」

 

 僕の魂の叫びも届かない。

 

 リアは一点を見据え、その名を叫ぼうとしていた。

 

「か――め――は――」

 

「ダメだってリアーー!! 止めてえええええ!!!」

 

 

 ――――――――。

 

 

「…………っ!!」

 

 ガバッ、と。

 僕は跳ね起きるように意識を覚醒させた。

 

 目の前には、眩しいほどの朝の光。

 

「……はぁ、はぁ……。あ、れ……?」

 

 そこは、村から与えられた埃っぽい家の寝室だった。

 

 隣では、リアが「ビクッ!!」と肩を震わせてこちらを見ていた。

 

 ……いや、正確には「こちらを凝視しながら、口をパンパンに膨らませて静止」していた。

 

「……リア?」

 

 彼女の頬は、まるで冬眠前のリスのように左右に大きく膨らんでいる。

 

 ふと、枕元に置いてあった朝食用のバスケットを見ると、中にはパンがたった一つだけ。

 

 ……昨夜、村長から貰った分、もっとたくさん入っていたはずなのに。

 

「ふ……ふふぇふふぁふぁ(ご主人様)、おはふぉうふぉざいまふ」

 

 リアは必死に咀嚼を加速させ、無理やり飲み込むと、何食わぬ顔で言い訳を開始した。

 

「……今のは、緊急時における『パンの耐久テスト』を行っていただけです。このパンが、主人の低スペックな胃袋に対して適切な緩衝材として機能するか、私が先にデバッグして差し上げたのです。感謝のログを送信してください」

 

「……パンをほとんど食べたのがバレたからって、無理やりな理論武装するなよ」

 

 僕は大きく溜め息をつき、そして、顔を覆った。

 

「……夢か。良かったー……。サムソンがペイされてなくて良かったし……いろんな意味で、本当に良かった……」

 

 僕の目からは、安堵のあまり一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 するとリアは、パンくずを口の端につけたまま、ゴミを見るような目で僕を蔑んだ。

 

「……朝から一人で『サムソンがペイ』とかいう不吉な呪文を唱えながら泣き出すなんて、主人のメインメモリはいよいよ修復不能な領域に突入したようですね。……一言だけ言わせてください。……キショ」

 

「泣かせてくれよ! 僕のライフはもうゼロなんだよ!!」

 

 こうして、僕らのあまりにも穏やかで、しかし胃袋には厳しい村の朝が、今日も幕を開けたのだった。

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