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あなたが愛した私はもういません  作者: 御伽噺


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⑦(エリアス視点)

「奥様について、お伝えしたいことがございます」


男の言葉に、その場の空気が変わった。周囲にいた兵士たちも何となく異変を察し、視線を向ける。エリアスは無表情だった。だがルークだけは気付いていた。その瞳の奥が冷えていることに。


「場所を変える」


エリアスは短く言った。男を連れ、天幕へ入る。ルークも同席した。静寂が落ちる。


「話せ」


エリアスは椅子にも座らず男を見た。男の額には汗が浮かんでおり明らかに緊張していた。


「わ、私は王都で商売をしております」


「それで?」


「二か月ほど前、偶然奥様をお見かけしました」


エリアスは何も言わない。男は続ける。


「男性と一緒でした」


沈黙。


「それだけか」


男は首を振った。


「親しいご様子でした」


「親しい?」


「は、はい」


男はごくりと唾を飲み込む。


「恋人同士のように抱き合っていたのを見ました」


ルークが眉をひそめた。エリアスは無言だった。


「場所は?」


「中央市場です」


「男の特徴は?」


「金髪で優しそうな紳士でした」


「年齢は」


「二十代後半くらいかと」


男はすらすら答える。まるで本当に見たかのように。だがエリアスは不思議な違和感を覚えた。話が細すぎる上に出来過ぎている。まるで用意された証言のようだった。


「それで?」


男は一瞬だけ迷う。


そして。


「奥様はとても幸せそうに笑っておられました。とても初対面の男のようには見えませんでした」


その言葉が妙に胸に刺さった。知らない男の隣で楽しそうに、幸せそうにリディアが笑う姿を想像する。

あり得ない、そんなはずはない。頭の中ではそう思っているのに嫌な想像だけが浮かぶ。


「もういい」


エリアスは言った。男は安堵したように頭を下げる。


「我々市民のために戦場で戦う英雄を裏切っているのならば、口を閉ざすことができませんでした」


そう言い残して去っていった。男が出て行った後も、天幕には重い空気が残っていた。ルークが恐る恐る口を開く。


「団長」


「何だ」


「信じるのですか」


即座に答えられなかった。それだけでルークは全てを察する。エリアスは拳を握った。


「信じるわけがない」


低い声だった。


「だが」


その先が続かない。ルークは苦しそうな顔をした。彼も知っている。噂が一度だけなら笑い飛ばせる。だが何度も続けば違う。人の心はそこまで強くない。


「奥様はそんな方ではありません」


ルークははっきり言った。エリアスは目を閉じる。そんなことは誰よりも自分が分かっている。


「分かっている」


そう答えた声は思ったより弱かった。




その日の夜、雪が降っていて宿営地は静かだった。兵士たちは眠りについている中、エリアスだけが起きていた。机の上にはリディアから届いた手紙が置かれている。何度も読んだ手紙、もう内容を覚えているほどだ。


『不安に感じることがあってもあなたを信じます』


『だってエリアスですもの』


愛しいリディアが書いたその文字を指でなぞる。信じている。彼女は誰よりも俺のことを愛している。俺も彼女を愛している。何があっても揺らがないはずだ。それなのに嫌な考えが頭に浮かんでしまうことに胸が苦しくなる。


彼女を信じたいと思っている。なのに、噂が消えない。手紙だけならまだしも、複数の証言まで出てきてしまっている。1人だけならまだしも、複数人が目撃証言を話すと信じないと思っていても疑念が植え付けられる。


「くそ…」


思わず呟く。

敵軍に対してではない。噂を流す誰かに対してでもない。自分自身に対してだった。彼女を信じる気持ちが揺らいでしまう自分に怒っていた。彼女は信じると言ってくれているのに完全に信じ切っていない自分に対して腹立たしく感じてしまう。



数日後、戦況は大きく動いた。

エルミナ軍は勝利を収めた。兵士たちは歓声を上げる。これで帰還も近い。皆がそう思った。だがエリアスは笑えなかった。


昨日、また手紙が届いたからだ。差出人不明、もう見慣れてしまった封筒。エリアスはしばらく開かなかった。見たくなかった。彼女を信じているなら読むべきではないとも思った。だが、結局手を伸ばしてしまう。


封を切ると、中には紙が一枚。そして小さな銀色の髪飾り。リディアの好きな白い花をモチーフの物だ。エリアスの呼吸が止まる。それは見覚えのあるものだった。


昨年の誕生日、自分がリディアへ贈った髪飾り。リディアが好きな花を、自分でデザインを書き、オーダーメイドでこしらえたものだ。同じものは一点しかないはずだ。見間違えるはずがない。


裏に小さく開ける部品が付いており、そこにリディアへのメッセージを刻んでいた。そして、手元にある髪飾りにももちろん一言一句変わらず刻まれていた。


「なぜ…」


掠れた声が漏れる。手紙にはこう書かれていた。


『証言だけでは足りませんか』


『これは奥様から不要だと受け取ったものです』


エリアスの手が震える。髪飾りを握る。冷たい。だが、それ以上に胸の奥が冷えた。これは偽物なのか、本物なのか分からない。分からないから苦しい。彼女を信じたいと思っているのに信じるための根拠が少しずつ削られていく。



そして、リディアの元にもまた新たな”証拠”が届けられようとしていた。


それは今までの噂や証言とは違う。

彼女の心を初めて本気で揺るがすものだった。

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