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あなたが愛した私はもういません  作者: 御伽噺


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6/18

エリアスは机の上に置かれた三通目の手紙を前に、しばらく動かなかった。いつも通り差出人はない。見慣れてしまった封筒だった。悪意だけが詰め込まれた手紙。開かずに捨てればいい。


そう思う。実際、そうするべきだとも分かっている。だが手が伸びてしまう。もしまた嘘なら、本当に悪意ある悪戯なら。確認して終わらせたい。そんな言い訳をしながら、エリアスは封を切った。中には紙が一枚。そして、小さな押し花が挟まれていた。


白い花だった。それを見た瞬間、エリアスの表情が凍り付く。なぜなら、その花を知っていたからだ。

リディアが好きな花だった。屋敷の庭で育てている花。春になると咲く小さな白い花。昔、一緒に植えた。


『可愛いでしょう?』


そう言って笑っていた彼女を覚えている。手紙を読む。そこにはこう書かれていた。


『奥様はその花を大切にしております』


『最近はよく男性へ贈っているそうです』


エリアスは紙を握り潰した。


(ふざけるな。誰が書いた。どうやって知った。その花のことは親しい者しか知らない。)


偶然ではなく、誰かが意図的に調べている。誰かが自分たち夫婦を狙っている。そこまでは分かった。だからといって心が平穏になるわけではなかった。知らないはずの情報が混ざることで、手紙に妙な現実味が生まれてしまったのだ。


「団長?」


ルークの声がする。エリアスは慌てて紙をしまった。


「どうしました?」


「何でもない」


ルークは首を傾げる。明らかに何でもない顔ではなかった。最近の団長はおかしい。いつもならあり得ない失敗をする。考え事も増えて、眠れていないようにも見える。だが聞いても答えない。だからルークは諦めて話題を変えた。


「敵軍が撤退を始めています」


「そうか」


「このままいけば春には帰れそうです」


帰れる。その言葉にエリアスの胸が少しだけ軽くなる。リディアに会える。顔を見れば全部終わる。


噂も。


手紙も。


不安も。


全部。


きっと笑い話になる。そう思いたかった。


その日の夜、久しぶりにリディアから手紙が届いた。

エリアスは少し安心し、封を開く。いつもの文字、いつもの書き出し。だが途中で手が止まった。


『最近、変なことを考えてしまいます』


珍しい一文だった。


『あなたのことを信じているのに、心から信じているのに不安になる時があります』


『嫌になってしまいます』


『こんな自分が』



エリアスは眉をひそめた。何かあったのだろうか。手紙は続く。


『噂なんて気にしなければいいのに』


『あなたがそんなことをするはずないとわかっているのに』


そこでエリアスは理解した。リディアの元にも届いているのだ。自分と同じように、誰かが彼女にも嘘を吹き込んでいる。胸がざわつく。今まで感じたことのない怒りだった。リディアは悪くない。何も悪くない。

なのに誰かが意図的傷付けて、泣かせている。不安にさせている。許せなかった。


しかし、手紙の最後を読んだ時。エリアスは言葉を失った。


『でも、私はあなたを信じます』


『だってエリアスですもの』


短い文章だった。それだけだった。胸が痛かった。


信じる。


そう書いてある。迷いなく、真っ直ぐに。それなのに。自分はどうだ。


何度も噂を思い出した。


何度も手紙を気にした。


何度も心が揺れた。


信じているはずなのに完全には振り払えない。その事実が苦しかった。



ー翌朝。


エリアスは早くから訓練場へ出て剣を振るっていた。嫌なことを、余計なことを考えなくて済むように一心不乱に。リディアを疑う自分を振り切るように。

だが、どれだけ剣を振っても頭から消えない。


その時だった。


「閣下」


見張りの兵士が走ってくる。


「どうした」


「王都から使者が」


またか。

エリアスは僅かに眉をひそめる。使者は一人の男を連れていた。三十代くらいの見覚えのない男だった。旅商人のような格好をしている。男は緊張した様子で頭を下げた。


「閣下」


「何だ」


男はしばらく迷った様子だった。そして言った。


「奥様について、お伝えしたいことがございます」


空気が凍る。エリアスの瞳から感情が消えた。男は怯えたように唾を飲み込む。


「…話せ」


その一言に、男はゆっくり口を開いた。


そして。


これまでで最も残酷な嘘を語り始めるのだった。

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