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鬼の子と最後の魔女  作者: スパイシ〜しゃけ


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祭りの熱が冷めたあと



 フェスの終わりと共に、“特別営業日”も幕を下ろした。


 夜通し開いていた鋳鉄の雉亭は、朝方になる頃にはもう戦場みたいな有様だった。空になった皿。転がる酒瓶。積み上がった洗い物。鉄板の熱気だけが、まだ店の奥に残っている。


 普段なら、ミソノとアネモネの二人で十分回る店だ。


 だが、フェスの日だけは別だった。


 橋の下で夜を明かした連中が、そのまま流れ込んでくる。酔っ払い。踊り疲れたやつ。何かをキメて腹を空かせたやつ。始発まで時間を潰すやつ。


 そういう人間が、朝まで途切れない。


 だから今日だけは、臨時でアルバイトを二人入れていた。


 結果から言えば、正解だった。


 ただし。


「……むり……」


「もう鉄板の音聞きたくないっス……」


 二人とも完全に燃え尽きていた。


 営業終了後、厨房の隅でぐったりしている。魂が半分抜けている顔だった。


 アネモネは思わず苦笑する。


「お、お疲れさまでした……」


 自分も疲れている。


 腕は重いし、足もじんじんする。油と煙の匂いが服に染み込んでいた。


 それでも、今日は止まれなかった。


「そっち終わったらテーブルお願い!」


「はいっ……!」


「洗い物はあとでまとめます!」


「了解!」


 営業中は、ずっとそんな調子だった。


 注文を通し、皿を下げ、水を替え、席を回し、厨房へ声を飛ばす。気づけば自分が自然と指示を出していた。


 ミソノは少し離れた場所から、その様子を見ていた。


「……」


 口には出さない。


 だが。


(成長したねぇ)


 そんな顔をしていた。


 最初の頃のアネモネなら、客に声をかけられるだけで慌てていた。だが今は違う。


 忙しさの中でも周りが見えている。


 どこが詰まり、誰が困り、何が足りないのか。ちゃんと考えて動けるようになっていた。


 まさに獅子奮迅。


 そんな一晩だった。



 数時間だけ仮眠を取ったあと、再び店へ戻る。


 昼前。


 外は薄曇りだった。


 湿気は残っているが、昨日みたいな強い雨ではない。空気だけが、まだ少し重たい。


 店の中では、アネモネが椅子を下ろしていた。


 テーブルへ逆さに上げていた椅子を、一脚ずつ戻していく。床はさっき掃いたばかりで、まだ少し湿っていた。


 ミソノはカウンターを拭いている。


「そっち終わったかい?」


「うん、あと窓だけ拭きます!」


「ありがとねぇ」


 鉄板も磨き終わっていた。


 昨夜の熱気は、もう残っていない。


 だが。


 時間は待ってくれない。


 夜通し営業だろうが、フェス明けだろうが、昼はまた来る。


 いつものランチタイムが始まる。


「……」


 アネモネは窓を拭きながら、ぼんやり外を見る。


 少し眠い。


 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 疲れている。


 けれど、店が回った達成感みたいなものもあった。


「……ふふ」


 小さく笑ってしまう。


 そんなアネモネを見て、ミソノが呆れ半分で言う。


「元気だねぇアンタ」


「えっ、そ、そんなこと……」


「若いってすごいねぇ」


「ミソノさんだって全然元気だよ?」


「気力で動いてんの」


 からから笑う。


 その笑い方が、なんだか少しだけ嬉しそうだった。



 だが、その日の昼営業は、驚くほど静かだった。


 いや。


 静かというより、暇だった。


「……いや〜〜人、来ないねぇ」


 ミソノがぽつりと呟く。


 昼時だというのに、客足が鈍い。


 原因は分かっていた。


 フェスだ。


 夜通し騒いでいた連中が、今頃みんな死んだように寝ている。


 この辺り一帯が、祭りの反動で“凪”になっていた。


「……ちょっと助かったかも」


 アネモネが小さく言う。


 ミソノも苦笑した。


「正直、アタシもそう思ってる」


 もし今日まで混んでいたら、さすがに身体が持たなかった。


 少しだけ羽を休める時間。


 それが、今だった。


 午後にはまた買い出しがある。


 宿の部屋も整えなければいけない。チェックアウトとチェックインの合間で、掃除と準備もある。


 期待できないだろう夜営業が、また静かに始まる。


 祭りの翌日は、いつもそんなもの。

 窓の外では、雲の切れ間から少しだけ陽が差していた。



 夜営業が始まった。


 とはいえ、店の空気は静かなままだった。


 フェスの翌日。

 街全体が、まだ寝ぼけている。


 窓の外を歩く人影も少ない。昼間よりは多少戻ったが、それでも普段に比べればずっと静かだった。


 鉄板の音だけが、小さく店内へ響いている。


「……今日は暇だねぇ」


 ミソノがカウンターを拭きながら呟く。


 アネモネも頷いた。


「みんな、まだ寝てるのかな……」


「だろうねぇ。あんだけ騒いでたんだ、そりゃ屍にもなるさ」


 ミソノが苦笑する。


 だが、そんな中でも予約が一件だけ入っていた。


 紙へ書かれた名前を見て、アネモネは小さく首を傾げる。


「……“KATZ’S GRILL”?」


 見たことのない名前だった。


「あー、アニー」


 ミソノが顔を上げる。


「あの窓側の四人席、予約札置いといて。セットは二人分でいいからね」


「はーい!」


 アネモネがぱたぱたと動く。


 窓際の席へ札を置き、カトラリーを並べる。グラスも二つ。テーブルクロスの皺を軽く伸ばし、椅子の位置も整えた。


 その時だった。


 ちりん。


 入口のベルが鳴る。


「ミソノさん、お疲れ様」


 低い声。


 アネモネが振り返る。


 入口には、大柄な男が立っていた。


 無精髭が印象的で、目つきは鋭い。

 だが、不思議と威圧感はない。むしろ妙な安心感がある。山みたいな雰囲気だった。


 その隣には、黒髪の女。


 ショートボブ。

 黒装束。

 すらりと長い手足。


 派手ではないのに、目を引く。


 何より、瞳だった。


 静かで、深い。


 吸い込まれそうな奥行きがある。


 綺麗だ、と思った。


 同時に、少しだけ怖そうだとも思う。


「……ミソノさん、お久しぶりです」


 女が静かに言う。


「あの、チーズステーキ……」


「あるさ!」


 ミソノが即答した。


 そのまま大股で近づき、男の肩をばんばん叩く。


「カッツが、“チトがアレ楽しみにしてるから頼む”なんて言ってたよー、この男が!」


「いててっ、わかった、わかったから」


 大柄な男――カッツが苦笑する。


 頭一つ小さいミソノに叩かれて、ぺこぺこしている姿が妙におかしかった。


 アネモネは思わず小さく笑ってしまう。


「……お?」


 カッツがこちらを見る。


「この子が噂の」


「ああ、アニーだよ」


 ミソノが言う。


「最近うちで頑張ってくれてる子さ」


 アネモネは慌てて姿勢を正した。


「は、はじめまして!」


 ぺこりと頭を下げる。


「アネモネといいます。アニーって呼んでください!」


「おう、よろしくなアニー」


 カッツが笑う。


 気さくな声だった。


 その横で、チトは何も言わなかった。


 ただ一度だけ、こちらをちらりと見る。


 静かな視線。嫌な感じではなく、寧ろ好意的な視線だった。


「……」


(……綺麗なひと……)


 アネモネは内心でそっと呟く。


 なんというか、空気が違った。


 静かなのに目立つ。


 ちゃんと疲れているはずなのに、妙に姿勢が綺麗だ。


 旅慣れている人。

 そんな感じがした。


「カッツ」


 チトが席へ座りながら言う。


「今日は飲むんだからね。あんたも付き合って」


「へいへい」


 カッツが頭を掻く。


 慣れた返事だった。


「じゃあ、とりあえずエール二つ。それと乾き物なんか適当に頼むわ」


「はいよ」


 ミソノが笑う。


 ほどなくして、ジョッキが運ばれる。


 琥珀色の泡が揺れた。


「かんぱーい」


 意外なほど軽い声で、チトがジョッキを掲げる。


 カッツも小さく笑いながらそれを合わせた。


 乾いた音が鳴る。


 その空気を見て、アネモネはなんとなく理解する。


(……フェス関係の人たちなんだ)


 だから疲れている。


 でも、どこか楽しそうだった。


 戦いが終わったあとみたいな空気。


 それを見ていると、こちらまで少し安心する。


(よし……!)


 アネモネは胸の前で小さく拳を握る。


 疲れていないわけじゃない。


 むしろ身体はかなり重い。


 だが。


 ちゃんと労わりたい、と思った。


 この人たちにも、温かい時間を過ごしてほしい。


 そんな気持ちが、自然と湧いていた。

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