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鬼の子と最後の魔女  作者: スパイシ〜しゃけ


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祭りの後に残るもの


「おーい……らいほぉ〜……」


 呂律の回らない声が、朝焼け前の橋桁に響いた。


 ライゾーは目を閉じる。


 嫌な予感というのは、大体続く。


 しかも、忘れた頃じゃない。

 疲れ切った一番どうでもいいタイミングで、律儀に戻ってくる。


「……」


 橋の下は、もう祭りの熱が抜け始めていた。


 夜通し鳴っていたビートは止まり、スモークの白い霧もゆっくり薄れていく。湿った地面には紙皿と酒瓶が転がり、朝帰りの連中がふらふらと橋の階段を登っていた。


 踊り明かしたやつ。

 潰れたやつ。

 何かをキメすぎて目の焦点が合ってないやつ。


 どいつもこいつも、生気が薄い。


 百鬼夜行の帰り道みたいだった。


「……はぁ」


 ライゾーは疲れた息を吐く。


 屋台の中で見たものは、思ったより大きかった。


 客を回すこと。

 場を回すこと。

 空気を作ること。


 戦うのとは違う。


 けれど確かに、あれも“生きる技術”だった。


 自分にとって当たり前だったものが、実は当たり前じゃなかった。


 そんな気付きが、いくつもあった。


 なのに。


 最後に残るのがこれか。


「……おーい、らいほ〜……」


 また声が飛ぶ。


 今度は近い。


「あー……あれは……」


 チトが目を細める。


 スモークが晴れ、輪郭が少しずつ見え始める。


 ふらふら揺れている人影。

 長い赤髪。

 酒瓶。


 そして、やたら機嫌のいい顔。フェスに合わせて染めたであろう赤髪がまた腹立たしく目立つ目立つ。


「……シェリルか」


 カッツが苦笑する。


「あいつ、派手に飲んでたからな……」


 呆れ半分。

 心配半分。


 そういう声だった。


 そのあと、ちら、とライゾーを見る。


「……お前呼んでるみたいだぞ」


「……わかってるよ」


 ライゾーは死んだ目で返した。


「でも連れじゃねぇからな、アイツ」


「はいはい」


 チトが適当に返す。


 そして、ご愁傷様と言わんばかりに、ぽん、とライゾーの肩へ手を置いた。


 完全に他人事の顔だった。


 ちなみにチトはシェリルが苦手だ。


 性格的に。


 たぶん波長が悪い。


「……ったく」


 ライゾーは頭を掻く。


 逃げても面倒。

 行っても面倒。


 なら、さっさと終わらせた方がマシだった。


 観念して歩き出す。


 その瞬間。


 雲の切れ目から、朝の光が一筋だけ落ちた。


 湿った橋桁の下を、細く照らす。


 ちょうどライゾーの背中へ差し込む形だった。


「……」


 カッツがそれを見る。


 隣でチトも目を細めた。


「あっちも大変そうだけど」


 チトがぼそりと呟く。


「……こっちもまだ片付け残ってんだよね」


「あー……」


 カッツが苦笑する。


「帰ったら俺そのまま寝そうだわ」


「あたしも寝る。洗い物は起きてから」


 チトが即答する。


 そして少し間を置いて、


「……夜、たまには飲みたい」


 珍しく弱音みたいに漏らした。


 カッツが笑う。


「今日は飲めよ。お疲れ会くらいするか」


「雉亭のチーズステーキサンド食べたい」


「予約しといたぞ」


「じゃあ許す」


 そんな会話をしている間にも、周囲では撤収が始まっていた。


 屋台を畳むやつ。

 布を外すやつ。

 鉄骨を解体するやつ。


 夜を売っていた連中が、今度は静かに朝へ戻っていく。


 橋桁の下に残るのは、熱の残骸だけだった。


 その中を、ライゾーは歩いていく。


 ふらつくシェリルの方へ。


 百鬼夜行の列へ混ざるみたいに。



 「チッ……お前、酒臭ぇんだよ」


 ライゾーが顔をしかめる。


 肩には、ぐったりとした重みが乗っていた。シェリルだ。ちゃっかり肩を組む形で身体を預け、千鳥足でふらふら歩いている。さっきまで握っていた酒瓶はどこかへ消えていたが、代わりに酒の匂いだけは全力で残っていた。


「んへへぇ〜……らいほぉ〜……」


 完全に呂律が死んでいる。


「今日はさぁ〜……あたし一人でお忍びぃ〜……」


「知らねぇよ」


「だからぁ〜……北区まで送ってぇ〜……」


「あ!?ざっけんなよ!」


 ライゾーが本気で声を荒げる。


「俺だってもうクッタクタなんだよ!」


 だがシェリルはまるで聞いていなかった。朝の湿った風を胸いっぱい吸い込みながら、「ん〜〜〜……朝の匂いぃ〜……」などと呑気に呟いている。完全に出来上がっていた。


 ライゾーは死んだ目になる。


 たしかにシェリルは背負っているものが多い。赤天狗一家の現トップ。北区の顔役。歳の割に責任も圧力もデカいのだろう。そういう立場の息苦しさがあるのも、なんとなくは分かる。


 だが。


(……知るかよそんなもん)


 それはそれ、これはこれだった。


 徹夜明け。疲労。ソース地獄。フェス終わり。そこへ酔っ払い介護。意味が分からない。


「……マジで帰りてぇ」


 ぼそりと呟いた、その時だった。


「おいおいおい」


 声。


 複数。


 ライゾーの足が止まる。


 気づけば囲まれていた。四人。倉庫街の影から滲み出るみたいに現れている。


 橋はもう抜けていた。西区と北区の中間、河沿いの倉庫街。人通りは薄い。フェス帰りの連中もほとんど残っておらず、たまにふらつきながら通るやつらも、こちらを見る気はない。


 ただの喧嘩。


 そんなものに関わるより、早く帰って寝たい。


 そういう空気だった。


「……」


 ライゾーが周囲を見回す。


 知らない顔だ。北区の地場不良だろう。赤天狗側ではない。


 咄嗟に腰へ手を伸ばす。


「……あ」


 バールがない。


 屋台だ。置いてきた。


 最悪だった。


 その横で、「んへへぇ……」とシェリルが寝息混じりに笑っている。肩へ乗っかったまま、もう半分くらい意識が飛んでいた。


「……ふざけんなよ」


 ライゾーが低く呟く。


 男の一人が近づいてくる。舌舐めずりするみたいな、湿った喋り方だった。


「にーちゃんよぉ。その女、どうするつもりなのかなぁ?」


 別の男が続く。


「置いてってくれよ。俺ら、そのコに用事あってさぁ」


 じりじり距離が縮まる。


 その瞬間、背中へひやりとした感触が走った。


「……」


 刃物だった。


 気づけば背後から背中へ、前からは胸元へナイフを当てられている。完全に囲まれていた。


(……面倒事多すぎだろ、この女の周り)


 頭の奥がじわじわ熱くなる。


 疲労。理不尽。送迎。酔っ払い。喧嘩。徹夜明け。


 全部が積み重なっていた。


「おい、聞いてんのか?」


 男が顔を近づける。


 ライゾーは俯いたまま、小さく呟いた。


「……うるせぇ」


「あ?」


 男が耳を寄せる。


 次の瞬間、男の視界は空を向いていた。


 ライゾーの蹴りだった。顎を真下から蹴り抜かれ、男が白目を剥く。


「……うるせぇんだよ、てめぇら!!」


 怒鳴るのと同時に、ライゾーはシェリルを思い切り突き飛ばした。


「あぅぅ……」


 普段のシェリルからは想像もできないような気の抜けた声が出る。そのまま道路脇のゴミ置き場へ突っ込み、袋の山へ埋もれた。


 だが柔らかかったらしい。


 ゴミがクッションになったのか、温かいのか、そのまま幸せそうに寝続けている。


「……最悪だろ」


 ライゾーは吐き捨てる。


 だが止まれない。


 振り向きざま、二人目へ足払い。転倒した男の手から離れたナイフを空中で掴み、その勢いのまま左側の男の顔を切り裂いた。


「ぐぁっ!?」


 血が飛ぶ。


 叫び声。


 さらに右へ踏み込み、そのまま腹へ刺突。


 鈍い感触が手に返る。


 そこで、不意に背中が熱くなった。


「……ぁ?」


 一瞬、何が起きたのか分からない。


 最初に蹴り飛ばした男だった。ふらつきながらも立ち上がり、ライゾーの背中へナイフを突き立てていた。


「っ……!!」


 肺が止まる。


 男はそのまま崩れ落ち、もう一度意識を失う。


 ライゾーも膝をついた。


 力が抜ける。


 視界が揺れる。


「……っ、クソ……」


 そのまま前へ倒れ込む。


 水たまり。


 濁った水。


 そこへ、朝の光が映っていた。


 雲の切れ目から差し込む、薄い陽光。そして、その半分には、ゴミ山へ埋もれたまま眠っているシェリルの姿が揺れている。


「……昨日から……」


 ライゾーが掠れた声を漏らす。


「……ずっとツイてねぇ……」


 背中に刃物が刺さったまま、意識がゆっくり沈んでいく。


「……ふざけんな……よ……」


 そこで、世界が暗くなった。

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