はじめてのお使い・決着
チャイは、結局三杯飲んだ。
一杯目は熱さに苦戦していたアネモネだったが、三杯目になるころには、もう香りを楽しむ余裕まで出てきている。
「……おいしい……」
小さく呟く。
甘い。
けれど甘ったるいだけじゃない。
舌の奥に、少しだけ刺激が残る。
香辛料の熱だった。
「変わってるけど、落ち着く味……」
「気に入ったかい?」
シャーリアが笑う。
アネモネはこくこく頷いた。
「はいっ。スパイス入りのミルクティーみたいで……すごく好きです」
「ガッハッハ!そりゃよかった!」
豪快な笑い声が店に響く。
その頃には、子供たちももう完全にアネモネへ懐いていた。
袖を引っ張られたり、髪を触られたり、質問されたり。
忙しい。
「お姉ちゃんまた来るー?」
「え、えっと……」
「来てくれないのー?」
「……た、多分?」
その返事だけで歓声が上がる。
「……」
ライゾーは、その様子を横目で見ていた。
ふ、と口元が緩む。
そのタイミングで、ムンドが奥から戻ってきた。
「荷物、出来たみたいだぞぉ」
大きな麻袋を親指で示す。
「また顔出しに来いよ、ライ坊。喧嘩ばっかしとるんじゃないぞ?」
ガッハッハ、と笑う。
「……気をつけるよ」
ライゾーが返す。
珍しく、素直だった。
「……」
アネモネがじっと見る。
ライゾーが気づく。
「……なんだよ」
「ライゾーでも、そんな感じになるんだなあって」
「……は?」
「なんていうか……ちゃんと怒られるんだ」
「怒られてねぇだろ」
ぶっきらぼうに返す。
だが否定しきれていない。
「……じっちゃんには世話になってるから」
少し間を置いて、吐き捨てるように続けた。
「当たり前だろ」
「……」
アネモネは少しだけ目を丸くする。
ライゾーは乱暴だ。
口も悪い。
けれど、今の言い方には妙な真面目さがあった。
年上に対する礼。
世話になった相手への筋。
そういうものが、体に染みついている感じだった。
きっと、こういう街で生きてきたからだ。
アネモネにはまだ全部は分からない。
けれど、なんとなく理解する。
だから、この人は色んな場所で可愛がられるんだ、と。
「……じゃ、じっちゃん。そろそろ行くわ」
ライゾーが立ち上がる。
「チャイ、ごちそうさん。シャーリアもありがとな」
「いつでも来な!」
シャーリアが笑う。
「あんた来るとガキども喜ぶんだよ!」
そのあと、ちらりとアネモネを見る。
「それに、また“話題”も持ってきてくれたしねぇ?」
「……っ」
アネモネの顔が赤くなる。
ライゾーは露骨に嫌そうな顔をした。
「だから違ぇって言ってんだろ……」
「ガハハハ!」
シャーリアは気にしない。
だが、不意に何か思い出した顔になる。
「あ」
少しだけ真顔。
「アンタ……シェリルには見つかってないだろうね?」
「……ああ、もう会った」
「ひぇぇ……」
シャーリアが頭を抱える。
対してムンドは腹を揺らして笑っていた。
「ガッハッハ!シェリルも年頃だからのぉ!」
「笑い事じゃねぇってお父ちゃん!」
「ライ坊!」
ムンドが指を立てる。
「夜道と背後には気をつけろよぉ!」
「うるせぇな……」
「ほれ、行け行け!」
しっしっと追い立てられる。
子供たちまで手を振っていた。
「またねー!」
「お姉ちゃーん!」
「チャイ飲みに来いよー!」
「う、うん!」
アネモネも慌てて手を振り返す。
*
店を出る。
荷車には、スパイスや野菜、ソース用の材料が積まれていた。
ライゾーがそれを引く。
「……ったく」
頭をぼりぼり掻く。
完全に居心地悪そうだった。
その横を、アネモネがちょこちょこと歩く。
まだ少し顔が赤い。
キリーダ人街の通りを抜ける間にも、ちょいちょい声が飛んできた。
「おーライゾー!」
「嫁かー?」
「ついに女連れて歩くようになったか!」
「うるせぇ!!」
即座に返す。
そのたびに笑いが起きる。
アネモネはもう、恥ずかしくて俯くしかなかった。
ようやく喧騒が薄れてきたころだった。
「あっ」
アネモネが立ち止まる。
「ミソノさんの買い出し……!」
完全に忘れていた顔だった。
「どうしよう……!」
「……ここ」
ライゾーが顎をしゃくる。
「え?」
見る。
すぐ横に、小さな生活用品店があった。
入口には、ミソノから渡された紙と同じ印。
「……あ」
「ミソノさん、ここだって言ってたろ」
淡々とした声だった。
アネモネは目を瞬かせる。
気づかなかった。
ライゾーは最初から、ここへ向かって歩いていたのだ。
「……」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「俺、外で待ってるから」
荷車を止めながら言う。
「せっかくだし、一人で買い物してみろよ」
突き放すみたいな言い方だった。
けれど、優しかった。
「……う、うん」
アネモネが頷く。
店を見る。
深呼吸。
そして。
生まれて初めての、“一人でのお使い”へ向かって歩き出した。
*
“アストリア生活用品店”と書かれた看板の前で、アネモネは立ち止まっていた。
北区の通りに面した、小さな店だった。
木の看板は少し色褪せている。けれど、掃除は行き届いていて、窓ガラスも綺麗だ。入口の横には、小さな鉢植えまで置かれている。
「……」
アネモネは、じっと入口を見る。
その後ろで、ライゾーは何も言わない。
急かしもしない。
助け舟も出さない。
ただ、黙って待っていた。
「……よし」
小さく呟く。
それから意を決したように、ドアへ手を伸ばした。
扉が開く。
ちりんちりん、と鈴が鳴った。
やさしい音だった。
「いらっしゃい――あら?」
店の奥から声がする。
「えっと……」
顔を上げる。
そこにいたのは、小柄な老婆だった。
細い肩。
丸めた背中。
鼻先にかけるような小さな眼鏡。
けれど目だけは、驚くほど優しい。
「……!」
アネモネの背筋がぴんと伸びる。
「こ、こんにちはっ。えと、あの……ちゅ、鋳鉄の雉亭から、ま、参りました……!」
噛んだ。
しかもかなり盛大に。
「……」
一瞬、静かになる。
アネモネの顔がみるみる赤くなった。
だが。
「あらあら」
老婆――アストリアは、くすっと笑った。
「聞いてるわよ。あなたがアニーちゃんねぇ」
目を細める。
「まあ、綺麗な髪」
ゆっくり手招きした。
「こっちへいらっしゃいな」
「……!」
怒られない。
怖くない。
それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。
「し、失礼します……」
恐る恐る店へ入る。
店の中は、思ったよりずっと狭かった。
けれど、そのぶん物がぎっしり並んでいる。
棚。
箱。
瓶。
麻袋。
色んな生活用品が所狭しと並べられていた。
ふと、入口横のガラスケースへ目が止まる。
色とりどりの瓶。
石鹸。
洗剤。
見覚えのある箱。
「……あ」
雉亭で見たことがある。
それに。
少しだけ、嗅いだことのある匂い。
洗濯の匂いだった。
「……」
それに気づいた瞬間、少しだけ落ち着く。
知らない場所じゃなくなる。
「えと……これを、いただきに来ました」
メモを差し出す。
アストリアは眼鏡をくいっと上げた。
いや、正確には。
紙へ顔を近づけた。
「ふむふむ……」
かなり近い。
アネモネは、なんとなく察する。
――見えにくいんだ。
「はいはい、分かったわ」
アストリアが頷く。
「ちょっとここで待っててねぇ」
メモを持ったまま奥へ向かう。
「お代はあとでまとめてミソノにもらうから、アニーちゃんは座って待っててちょうだい」
「は、はい」
アネモネは小さく返事をした。
*
数分後。
渡された籠の中には、備品が山盛りになっていた。
洗剤。
布。
小瓶。
乾物。
かなり多い。
「わ、わぁ……」
思わず声が漏れる。
完全に溢れていた。
アストリアがちらっと外を見る。
それから、にやっと笑った。
「乗り切らない分は、“王子様の馬車”に乗せてもらいなさいな」
「……お、おうじさま?」
アネモネが固まる。
アストリアは店の外を指差した。
「ほら、外の」
「……」
アネモネもつられて見る。
外。
荷車の横で待っているライゾー。
壁にもたれ、ぼんやり雨空を見ている。
「……あ」
「ライ坊でしょう、外にいるの」
アストリアが笑う。
「あの荷車に乗せてもらいなさいな」
「……」
アネモネの顔が少し赤くなる。
ちょうどそのタイミングで、ライゾーがこちらを見た。
なんとなく、自分のことを言われている気配を察した顔だった。
露骨に嫌そうな顔をする。
だが逃げはしない。
「……分かったよ」
そんな顔だけする。
アネモネは、それを見て少しだけ安心した。
「……ありがとうございます、おばさま」
「いいのよぉ」
アストリアは、まるで孫を見るみたいな顔で笑った。
それから、店の外へ向かって声を飛ばす。
「ライ坊ー!」
「……あ?」
「荷物落っことしたりするんじゃないよー!」
「へいへい」
ライゾーが片手をひらひら振る。
やる気のない返事だった。
けれど、ちゃんと待っている。
アネモネは籠を抱え直し、小さく頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「またおいで」
優しい声だった。
鈴が鳴る。
ちりん、と。
二人は、アストリア生活用品店をあとにした。




