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鬼の子と最後の魔女  作者: スパイシ〜しゃけ


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キリーダ人のドン、ムンドの商店



 ビッグブリッジを渡り切ると、街の空気が変わった。


 西区にも人は多い。

 だが、あちらは路地の街だ。壁と壁の隙間に人が暮らしている。


 対して北区は、開けている。


 まず目に入るのは河原沿いの倉庫街だった。


 巨大な建物が、川に沿ってずらりと並んでいる。石造りもあるが、鉄骨を組んだものも多い。雨に濡れた外壁は黒く鈍り、荷車が行き交うたびに泥水が跳ねる。


 西区の鋳物工場とも違う。

 もっと規模が大きい。


 物流と労働で膨らんだ街だった。


 そのまま倉庫街を囲むように、繁華街が広がっている。


 酒場。

 肉屋。

 香辛料店。

 賭場まがいの遊技場。


 昼だというのに、通りには酒の匂いが漂っていた。焼いた肉の煙も混ざる。呼び込みの声が飛び交い、怒鳴り声と笑い声が重なっている。


 西区を、そのまま広く、派手にしたような街だった。


 当然、裏社会もある。


 むしろ、この規模で無い方がおかしい。


 そして、その裏をまとめているのが赤天狗一家だった。


 北区のルール。

 縄張り。

 揉め事。


 全部、あそこを通る。


 現トップはシェリル。

 若いが、街ではもう十分に顔が通っている。


 武闘派だった先代の流れをそのまま継ぎ、喧嘩も早い。だが締めるところは締めるらしく、北区では妙に信頼も厚かった。


 飯屋や酒場、歓楽街。

 そういう“夜”の商売が、赤天狗の主なシノギだ。


「……」


 ライゾーは淡々と歩いている。


 この辺りは、もう見慣れた景色だった。


 だが、アネモネは違う。


「わぁ……」


 完全に圧倒されていた。


 目が忙しい。


 右を見て、左を見て、また後ろを見る。


 香辛料屋の軒先には見たことのない色の粉が山になって積まれているし、串焼き屋では丸ごとの肉が吊るされている。


 異国の服を着た人間も多かった。


 肌の色も、髪も、言葉もばらばらだ。


「……きょろきょろすんなよ」


 ライゾーが言う。


 そのまま自然に、アネモネの手首を掴んだ。


「迷うぞ」


「ひゃっ」


 アネモネの肩が跳ねる。


 顔が一瞬で熱くなる。


「え、あ、う、うん……」


 だが、ライゾーは気にしていない。


 人混みを抜けるために引っ張っているだけだった。


 迷いもなく進む。


 横道も、入り組んだ通りも、躊躇なく抜けていく。


「あれ、西区の鬼の子じゃねぇか?」


 どこかで声がする。


「なんで北区にいんだ?」


「また赤天狗絡みか?」


 ひそひそ声が飛ぶ。


 だが敵意は薄い。

 警戒と好奇心が半々だった。


「おーいライゾー!」


 今度は別方向から声が飛んだ。


 八百屋の親父だった。


「最近見ねぇと思ったら生きてたか!」


「勝手に殺すなよ」


「ガハハ!」


 笑い声が響く。


 その横で、親父が焼き鳥を一本放ってきた。


「ほら嬢ちゃん!食っとけ!」


「えっ?」


 アネモネが慌てて受け取る。


「か、かわ……じゃねぇ、細いんだから食え!」


 途中で言い直していた。


 周囲から笑いが漏れる。


「ありがとうございます……!」


 アネモネはぺこぺこと頭を下げる。


 その様子がまた珍しいのか、周囲がくすくす笑っていた。


「……」


 アネモネは完全に翻弄されていた。


 だが、不思議と嫌ではない。


 知らない街。

 知らない人。

 騒がしくて、雑で、ちょっと怖い。


 それなのに、街全体に妙な熱があった。


 生きている感じがする。


「……」


 気づけば、少し楽しくなっていた。


 そのときだった。


 前を歩いていたライゾーが、不意に立ち止まる。


「ふひゃっ」


 背中にぶつかる。


 変な声が出た。


「……おし、着いた」


 ライゾーが顎を上げる。


 視線の先。


 通りの奥に、一軒の店があった。


 布が何枚も吊るされ、入口には見たことのない文字が並んでいる。乾燥した葉や赤い実が束になってぶら下がり、風に揺れていた。


 匂いが、違う。


 甘い。

 辛い。

 土っぽい。


 鼻の奥に残る熱い香り。


 気づけば、周囲の空気そのものが変わっていた。


 まるで別の国へ入り込んだみたいに。


「……」


 アネモネが目を丸くする。


「ここ……」


「ムンドの店だ」


 ライゾーが言う。


 青のキリーダ人。

 北区でも古くから店を構える、スパイス商人だった。



 店先に吊るされた布をくぐると、空気が一気に変わった。


 外よりも熱い。


 香辛料の匂いが壁にまで染み込んでいる。乾燥した葉、炒った豆、焼いた粉、甘い香り。鼻の奥がじんわり熱くなるような匂いだった。


 棚には色とりどりの袋が並び、見たことのない形の瓶が積まれている。奥では大鍋から湯気が上がっていた。


 その間を、子供たちが走り回っている。


「こらぁ!!走るんじゃないよ!!」


 怒鳴り声が飛んだ。


 振り向くと、恰幅のいい女が腕を組んで立っている。頭には布を巻き、腕まくりした格好のまま、大鍋をかき回していた。


 名はシャーリア。肝っ玉母ちゃん、という言葉がそのまま服を着て歩いているみたいな女だった。


 だが、ライゾーたちを見ると顔が緩む。


「ああ、ライゾーかい」


 気さくな声だった。


「いらっしゃい」


 それから奥へ向かって腹の底から声を張る。


「お父ちゃん!!ライゾー来たよー!!」


 店の奥から、重い足音が返ってきた。


 一歩ごとに床が鳴る。


 やがて暖簾の奥から、大柄な男が姿を現した。


 白髪。

 長い白髭。

 四角い特徴的な帽子。


 肩幅も広く、立っているだけで壁みたいな圧がある。


 だが目元は穏やかだった。


 ムンド。


 北区のキリーダ人なら、誰でも名前を知っている男だった。


 リバーフロントに渡ってきたキリーダ人の多くは、まずこの店を頼る。


 住む場所。

 働き口。

 繋がり。


 全部、ここから始まる。


 何代にも渡って商売を続け、北区でキリーダ人の信用を積み上げてきた男だった。


「よく来たなぁ、ライ坊」


 低く太い声が響く。


「カッツんとこの荷物だろう?」


「……ああ」


 ライゾーが頷く。


 ムンドは親指で奥を指した。


「今まとめさせてる。茶でも飲んで待ってけ」


「いつも悪ぃな」


「構わん構わん」


 豪快に笑う。


 その横で、シャーリアが人数分の茶を運んできた。


 湯気が立っている。


 真夏みたいな蒸し暑さなのに、出てきたのは熱々のチャイだった。


「はいよ」


「……熱」


 アネモネが思わず漏らす。


 ライゾーはもう慣れている。


 何も言わずに口をつける。


 アネモネは両手で器を持ちながら、ふー、ふー、と一生懸命冷ましていた。


「……」


 その様子を、近くで子供たちが見ている。


 気づけば、いつの間にか囲まれていた。


「お姉ちゃん、なにしてんのー?」


「冷ましてるの」


「子どもみたーい!」


「えっ」


「熱いの苦手なの?」


 けらけら笑う。


 アネモネが困った顔をする。


「に、苦手っていうか……熱いものは熱いでしょ?」


「変なのー!」


 さらに笑われる。


「……」


 その様子を見ていたライゾーの口元が、ふっと緩んだ。


 小さい笑いだった。


 だが、ちゃんと笑っていた。


「……!」


 アネモネの顔が一気に赤くなる。


「わ、笑った……!」


「別に」


「今笑ったよね!?」


「笑ってねぇよ」


「笑ったもん!」


 ライゾーがそっぽを向いてしらばっくれる。


「……」


 そのやり取りを、ムンドが腕を組んで見ていた。


 しみじみした顔だった。


「ほぉ……」


 長い髭を撫でる。


「ライ坊も、年頃の娘っ子を連れ回すようになったか……」


「じっちゃんやめてくれよ!」


 珍しくライゾーが即座に反応した。


「そんなんじゃねぇって!」


「ガッハッハッハ!!」


 シャーリアが腹を抱えて笑う。


 そのままライゾーの背中をばんばん叩いた。


「それをデートって言うんだよライゾー!」


「違ぇって!!」


「はいはい」


 完全に面白がっている顔だった。


 子供たちまで混ざる。


「デートだってー!」


「ライゾー顔赤ーい!」


「うるせぇなお前ら……!」


 ライゾーが眉をしかめる。


 アネモネはもう真っ赤だった。


 器を持ったまま縮こまっている。


 店の中には笑い声が広がっていた。


 雨音はまだ外に残っている。


 けれど、この店の中だけは、妙に温かかった。

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