表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼の子と最後の魔女  作者: スパイシ〜しゃけ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/35

梅雨のお使い



 雨は弱いまま降り続いていた。


 屋根を叩く音は一定で、強くもならず、止みもしない。空気は湿っていて、服の内側にじわりと張りつく。梅雨らしい昼だった。


 ギルドの中も、どこか緩んでいる。


 人はいる。だが、張り詰めた気配がない。酒場ほど騒がしくもなく、戦闘前の空気でもない。半端な静けさが残っていた。


 掲示板の前で、ライゾーは立っている。


 紙を一枚ずつ目で追う。


 護衛。荷運び。簡単な討伐。どれも、手慣れたものばかりだった。


 危険度は低い。報酬も、それなり。


 ――悪くはない。


 だが。


「……シケてるな」


 ぽつりと落ちる。

 隣でヒエンが肩をすくめた。


「まあなー。最近ずっとこんな感じだろ?」


 指先で掲示板を軽く叩く。


「平和っちゃ平和だけどさ。張り合いねぇよな」


 軽い口調だった。

 だが、完全に冗談でもない。


 ライゾーはもう一枚紙をめくる。

 内容は同じだ。

 違いは、ほとんどない。


「……地回りもやったしな」


 視線は動かしたまま言う。


「掲示板もこの有様じゃ、暇潰しにもならねぇ」


「贅沢言うなよ」


 ヒエンが笑う。


「ちょっと前まで、殴る相手には困ってなかったくせに」


「……あ?」


「いや別に」


 すぐに視線を逸らす。


 これ以上突くと面倒になるのを知っている顔だった。


 少しだけ間が空く。

 雨音だけが残る。


 そのあとで、ヒエンが思い出したように口を開いた。


「あー、そういやさ」


「……」


「カッツさんの屋台、なんか依頼出すかもって言ってた気がする」


 掲示板から視線を外さずに言う。

 軽い話題のつもりだった。


「……ああ」


 短く返す。

 手が止まり、紙から離れる。


 ヒエンが横目で見る。


「行く?」


「暇だしな」


 掲示板から離れる。

 足が外へと向かう。



 闘技場の一件は、すでに片付いていた。


 表向きは。


 あの地下施設は、ギルドの手で解体された。主に動いたのはザンガだ。容赦はなかったらしい。


 関わっていた連中も、散った。

 捕まったやつ。逃げたやつ。いなくなったやつ。


 レニーは、姿を消している。

 東区は、今も落ち着いていないらしい。


 ハンター連中の間でも、話にはなっていた。

 ――面倒は、まだ残っている。


「……」


 ライゾーは何も言わない。

 ただ歩く。

 考えるほどのことでもない。


 今は、関係ない。

 ギルドの扉を押す。


 外の湿気が、少しだけ軽くなる。

 後ろから、声が飛んだ。


「ちょっとあんたたち!」


 振り返らない。

 声の主は分かっている。


「ちゃんと気をつけて行きなさいよー!」


 エリナだった。

 いつもの調子。でも、どこか少しだけ緩んでいる。

 張っていたものが、少しだけ下りたような声音だった。


「……はいはい」


 ヒエンが手を振り、軽く返す。

 ライゾーは、片手だけ上げた。


 扉が閉まる。

 音がひとつ、区切りになる。


 外は、まだ雨だった。

 弱いまま、止まないそんな昼下がり。



 西区の路地は、雨で色が落ちていた。


 石畳は黒く沈み、壁の染みも濃く見える。人通りはあるが、足は早い。濡れたくないだけだ。


 ヒエンが先を見て、軽く口を鳴らした。


「……あれ?ここもいねぇな」


 覗き込む先に、屋台の影はない。

 空いた壁際。水が溜まっているだけだった。

 ライゾーは足を止めない。


「ここもいねぇなら、あの橋の下だろ」


 迷いはない。

 ヒエンが「あー」と頷く。


「雨の日の定位置か」



 グリーンリバーにかかる橋は、やけに広い。

 その下も同じだけ抜けている。雨を避けるにはちょうどいい。


 その代わり、人も、音も、匂いも溜まる。

 階段を降りると、空気が変わった。


 湿気に、別の匂いが混じる。甘い煙と、香辛料と、油の焼ける匂い。

 続いて、音も。


 まだ本番じゃないが、低く響くビートが試されている。腹の奥に残る重さだった。


 橋の柱には、大きい布が張られている。

 円形の模様。色が渦を巻いている。見ていると、少しだけ焦点がずれる。


「……曼荼羅かっけー」


 ヒエンが呟く。

 その周りに、紐が渡されていた。

 旗がぶら下がっている。


 見たことのない色や紋様が混ざっている。どこのものか分からない。

 風に揺れて、ぱたぱたと鳴る。


 その下で、人が動いていた。

 機材を運ぶやつ。火を起こすやつ。布を結ぶやつ。誰もが手を動かしている。


 いわゆる祭典、"フェス"の準備だった。

 雨でも関係ない。

 むしろ、合っている。


「……いた」


 ライゾーが言う。


 視線の先。

 橋の奥、柱の影に、屋台があった。

 鉄板の煙が上がっている。


 小さく、安定した火。

 その前に、男が立っていた。


 手を上げる。


「おう」


 カッツだった。

 軽く振るだけの合図。

 その横で、チトがこちらを見る。


 少しだけ目を細める。

 歓迎でも拒絶でもない顔。

 ――なんだお前らか。

 そんな顔だった。


「カッツさん、お疲れ様」


 ライゾーが近づく。

 声はいつも通りだ。


「ギルドに何か依頼出すって聞いたんだけど」


「おお、どこから漏れたか分かんねぇけど助かるわ」


 カッツが笑う。

 鉄板を擦りながら続ける。


「お前らなら楽勝だとは思うんだが……」


 言いかけたところで、横から声が入る。


「……北区にある、キリーダのスパイス屋から、材料を運んできてほしいの」


 チトだった。

 視線はライゾーに向いたまま。


「ジャイロに使うやつ。スパイスと、ソース用の。あと野菜もどっさり」


 一拍置く。


「……今夜、“フェス”あるでしょ」


 周囲を軽く顎で示す。

 準備が進んでいる。

 音も、匂いも、すでにそれだった。


「仕込み、間に合わないの。あたしたち」


 頼み方は雑だが、内容ははっきりしていた。


「フェスの日かー!どうりで……」


 ヒエンが頭を掻く。

 少しだけ困った顔。


「オレ、ターニャちゃんとデートなんだよな……」


 ため息を混ぜる。


「ライゾー、オマエ、行ける?」


 横を見る。

 ライゾーは何も言わない。


 一度だけ頷く。


「ありがてえ」


 カッツが言う。

 すぐに手を動かす。


 パンを開く。肉とポテトを乗せる。野菜を挟み、ソースをかける。


 迷いがなく、手際がいい。


「ほら、持ってけ」


 差し出される。


「弁当代わりだ。北区、ちっと遠いからな」


 温かい。

 受け取った包みの中から、香りが抜ける。

 スパイスの焼けた匂い。ヨーグルトの酸味。ハーブの青い香り。

 それが混ざる。


「……じゃあサクッと行ってくる」


 それだけを短く言い放ち、背を向ける。


 ヒエンが手を振る。


「帰りに寄るわー!」


 軽い声だった。

 


 橋の外に出ると、雨はまだ続いていた。

 だが、さっきよりほんの少しだけ弱くなっていた。


 ライゾーは包みを片手に歩く。

 バールをもう片手に。


「……雨、止まないな」


 小さくひとりごちる。湿った道を、北区へそのまま進んでいく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ