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『異世界で死に戻る。ただし、持ち越せるのは最期の三分だけ』  作者: エクレアだった物


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第九話 夜の路地


「……セレネ」


 健は隣の部屋の扉を叩いた。


「セレネ、起きてるか?」


 返事はない。


 もう一度叩く。


「セレネ?」


「……はい」


 少しして、扉が開いた。


 銀色の髪が少し乱れている。


「どうしました?」


「今、悲鳴が聞こえた」


「悲鳴?」


「ああ。昨日と同じだ」


 セレネの眠そうだった目が、一気に鋭くなる。


「どこからですか?」


「たぶん西の方」


「分かりました」


「……いいのか?」


「健が一人で行くよりは」


「やっぱり来てくれるのか」


「当然です」


「助かる」


 セレネは剣を腰に差した。


 その間に健は自分の靴を履く。


「ルゥは?」


「……」


 二人が振り返る。


 ベッドの上。


 白い毛玉が丸くなって眠っている。


「置いていこう」


「賛成です」


「みゃ……」


 眠ったまま、ルゥが小さく鳴いた。


「聞こえてるのか?」


「分かりません」


「まあ、いいか」


 二人は静かに宿を出た。


     ◇


 夜の街は昼間とはまるで違っていた。


 店はほとんど閉まっている。


 街灯代わりなのか、壁に取り付けられた魔石が淡い光を放っていた。


「静かだな」


「人の気配も少ないですね」


「西地区って、どっちだ?」


「こちらです」


 セレネが先に歩く。


 健はその後ろをついていった。


 しばらく歩いたところで。


「……あれ?」


 健が足を止めた。


「どうしました?」


「今、何か動いた気がした」


 路地の奥。


 建物の隙間に、何か黒いものが見えた。


「猫かもしれません」


「そうかな……」


 二人が近づく。


 すると。


 路地の奥から男が飛び出してきた。


「うわっ!」


 健が思わず後ろへ下がる。


「待って!」


 男は止まらない。


 そのまま健たちの横を通り過ぎていく。


「なんだ?」


 セレネが男を目で追う。


「追いますか?」


「いや……」


 健は迷った。


 そのとき。


 路地の奥から。


「……助けて」


 小さな声が聞こえた。


「!」


 健とセレネが同時に振り向く。


「今の声……」


「はい」


 二人は路地へ入った。


 少し進むと。


 一人の女性が壁際に座り込んでいた。


 服は汚れている。


 腕を押さえている。


「大丈夫ですか?」


 健が近づく。


 女性は怯えたように顔を上げた。


「……来ないで」


「え?」


「あなたたちも……あいつの仲間?」


「違います」


 セレネが即答した。


「私たちはあなたを助けに来ました」


「……本当に?」


「はい」


 女性は震えながら頷いた。


「なら……逃げて」


「何から?」


 健が尋ねる。


 女性は答えようとした。


 しかし。


「――そこまで」


 背後から声がした。


 健の身体が固まる。


 聞き覚えのある声。


 振り返る。


「レナ……?」


 路地の入口。


 そこにレナ・ヴァルガが立っていた。


 腰の剣には手を掛けていない。


 しかし、その表情は昼間とは違っていた。


「どうしてここに?」


「それはこちらの台詞」


 レナは健たちを見る。


「何度言えば分かるの。関わらないでって言ったでしょう」


「それは聞いたけど」


「だったら――」


「悲鳴が聞こえたから」


 健は言った。


「放っておけなかった」


「……」


 レナが黙る。


「それで、彼女は?」


「保護します」


 セレネが答えた。


「彼女は怪我をしています」


「その人は、行方不明者じゃない」


「え?」


「昨日から捜していた人とは別人」


 健は女性を見る。


 女性は怯えたままだ。


「じゃあ、誰なんだ?」


「それを調べている」


 レナはそう言って、路地の奥を見る。


「ここは危険だから、戻って」


「でも――」


「お願い」


 初めてだった。


 レナが強い口調ではなく、頼むように言ったのは。


「……何か知ってるんだな」


 健が言う。


 レナは答えなかった。


 代わりに女性へ近づく。


「怪我を見せて」


「……」


「私は敵じゃない」


 女性はしばらくレナを見つめた。


 そして、ゆっくり腕を差し出した。


 傷は浅い。


 刃物で切られたような傷だった。


「これは……」


 セレネが呟く。


「剣?」


「たぶん」


 レナが答える。


「誰にやられたんですか?」


 健が尋ねる。


 女性は震えながら口を開いた。


「……黒い服の男」


「顔は?」


「分からない」


「何をしていた?」


「分からない……」


 健は眉を寄せる。


「じゃあ、どうして襲われたのかも?」


「……分からない」


 まただ。


 分からない。


 行方不明になった三人。


 悲鳴。


 黒い服の男。


 そしてレナ。


 何かが繋がりそうで、繋がらない。


「レナ」


「何?」


「君は何を知ってる?」


「……」


「俺たちが邪魔なら、理由だけでも教えてくれ」


 レナはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「三日前から、この辺りで人が消えてる」


「三人じゃないのか?」


「正確には四人」


「四人?」


「最初の一人は、死体で見つかった」


「……死んでた?」


「胸を一突き」


 レナは自分の胸元を指した。


「傷は一つだけ」


「魔物じゃないのか?」


「違う」


「どうして分かる?」


「魔物の傷なら、もっと痕跡が残る」


 セレネが頷いた。


「確かに」


 健は黙り込んだ。


 この世界に来てから、魔獣には襲われた。


 死にかけもした。


 だが。


 人間が人間を殺す。


 その話を聞くのは、妙に嫌な感じがした。


「それで……黒い服の男を探してるのか?」


「そう」


「一人で?」


「私だけじゃない。兵士も捜してる」


「じゃあ、なんでこんな夜に一人で?」


「……」


 レナは答えない。


「レナ?」


「私は……」


 その瞬間。


 路地の奥で物音がした。


 カツン。


 石を踏む音。


 三人が同時に振り向く。


「誰?」


 レナが剣を抜く。


 セレネも剣に手を掛けた。


 健は後ろへ下がる。


「俺は戦えないから、後ろにいる」


「それがいいです」


 セレネが答える。


「絶対に前へ出ないでください」


「分かった」


 路地の暗闇。


 何も見えない。


 しかし。


 何かがいる。


 そんな気がした。


「……出てきて」


 レナが言う。


 返事はない。


 数秒。


 十秒。


 やがて。


 路地の奥から、一人の男が姿を現した。


 黒い外套。


 顔の半分を布で隠している。


 右手には短い剣。


 男は三人を見ると。


 ゆっくりと笑った。


「……見つけた」


 健の背中に冷たいものが走った。


 レナが剣を構える。


「あなたが……」


 男はレナを見る。


「ヴァルガ家の犬か」


「……」


 レナの目が細くなる。


「どうして私の家を知っている?」


「知っているさ」


 男は笑った。


「お前たちは、ずっと邪魔だった」


 セレネが健の前に出る。


「健、下がって」


「分かってる」


 男の視線が健へ向く。


 ほんの一瞬。


 その目が変わった。


「……お前」


「え?」


「その銀髪……」


 男がセレネを見る。


「アルシェリアか」


 セレネの表情が変わった。


「なぜ、その名を?」


 男は答えなかった。


 ただ。


 短剣を握り直した。


「――予定が変わった」


「何の?」


 健が聞く。


 男は笑う。


「お前たち二人を殺す」


「……は?」


 健は思わず声を漏らした。


 次の瞬間。


 男が消えた。


「健!」


 セレネが叫ぶ。


 健は何が起きたのか理解できなかった。


 ただ。


 目の前に銀色の髪が見えた。


 セレネが男の攻撃を受け止めている。


 火花が散る。


「下がって!」


「分かってる!」


 健は壁際へ逃げる。


 セレネとレナが同時に男へ向かった。


 剣がぶつかる。


 速い。


 健には何が起きているのかほとんど分からない。


「セレネ!」


「大丈夫です!」


 セレネが男を押し返す。


 レナが横から斬り込む。


 だが。


 男はそれを紙一重で避けた。


「こいつ……!」


 レナが歯を食いしばる。


 男は二人を相手にしている。


 それでも余裕がある。


 健は悟った。


 自分が入れば、また足手まといになる。


 だったら。


 逃げる。


 それしかない。


 健は路地の出口を見る。


 あと少し。


 そのときだった。


 女性の悲鳴が響いた。


「――いや!」


 振り返る。


 黒い服の男が女性へ向かっていた。


「待て!」


 健は走った。


「健!」


 セレネの声。


 男が振り向く。


 目が合った。


 その瞬間。


 健は理解した。


 自分は。


 間に合わない。


 短剣が迫る。


「――っ!」


 胸に。


 鋭い衝撃。


 息ができない。


 身体から力が抜けていく。


 膝が地面につく。


「……え?」


 視界が傾く。


 セレネが何か叫んでいる。


 レナも驚いた顔をしていた。


 男はただこちらを見ていた。


 健は胸元を見る。


 血が滲んでいる。


「……また……」


 死ぬ。


 その言葉が頭に浮かんだ瞬間。


 怖かった。


 前と同じ。


 いや。


 違う。


 今回は、自分から死にに行ったわけじゃない。


 ただ。


 助けようとしただけだ。


「……死にたく……ない」


 声が震える。


 セレネが駆け寄ってくる。


「健!」


 その顔を見た。


 必死な顔。


 泣きそうな顔。


「……ごめん」


 何に謝っているのか、自分でも分からない。


 視界が暗くなる。


 音が遠ざかる。


 最後に聞こえたのは。


「健――!」


 セレネの叫びだった。


 そして。


 世界が止まった。

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