第七話 街で出会った少女
街の門は、想像していたよりも大きかった。
高さは十メートル近くある。
灰色の石を積み上げて造られた城壁には、ところどころ補修した跡が残っていた。
門の両脇には武装した兵士が立っている。
腰には剣。
背中には槍。
そして胸元には、見慣れない紋章が刻まれていた。
「……本当に異世界なんだな」
健は思わず呟いた。
「さっきから、そればかりですね」
隣を歩くセレネが言う。
「いや、だってさ。街だぞ? 異世界の街」
「私にとっては普通の街ですが」
「俺にとっては普通じゃないんだよ」
「そういうものですか」
「そういうものです」
セレネは少し考えた。
「……では、楽しんでください」
「急に観光客扱いするなよ」
「違うのですか?」
「違うわ!」
「みゃ」
ルゥが鳴いた。
「ほら、ルゥまで……」
健はため息をついた。
◇
門を抜ける。
その瞬間。
空気が変わった。
人が多い。
露店。
荷馬車。
武器屋。
魔法道具らしきものを並べた店。
獣の耳を持つ人間。
角を持つ人間。
健には見慣れない姿の者まで歩いている。
「すげえ……」
思わず立ち止まる。
「健?」
「いや……」
健は周囲を見回した。
誰もが普通に生活している。
笑っている人もいる。
喧嘩している人もいる。
子供たちが走り回っている。
魔法のようなものを使って荷物を運んでいる人間までいる。
その光景を見ていると。
自分が本当に元の世界から遠く離れてしまったことを実感する。
「……俺、この世界でやっていけるか?」
小さく呟く。
セレネは答えなかった。
ただ、隣を歩いている。
「……悪い」
「何がですか?」
「いや」
健は笑った。
「なんでもない」
元の世界へ帰りたいと思っているわけではない。
ただ、ここで生きていくために、知らないことが多すぎる。
今はまだ。
考えても仕方がない。
◇
「まず宿を探しましょう」
セレネが言った。
「宿?」
「はい。今日はここで休みます」
「お金は?」
「あります」
「どこから?」
「少し貯めていました」
「八年間?」
「……そのくらいです」
「それ、結構な金額じゃないか?」
「使う機会がありませんでしたから」
「森で八年暮らしてたら、そりゃ使わないか……」
そんな会話をしながら歩いていたときだった。
「――危ない!」
突然、誰かの声が響いた。
健が振り向く。
その瞬間。
一台の荷馬車が、坂道を猛スピードで下ってきた。
「え?」
御者が必死に手綱を引いている。
だが止まらない。
その進行方向には――。
小さな女の子がいた。
「危ない!」
健は走った。
身体が勝手に動いた。
「健!」
セレネの声。
健は少女へ飛びついた。
そのまま二人で地面へ転がる。
直後。
荷馬車が目の前を通り過ぎた。
「……っ!」
健は息を止めた。
少女を抱きしめたまま、しばらく動けない。
「大丈夫?」
少女が震えながら頷く。
「う、うん……」
「よかった……」
健はようやく息を吐いた。
すると。
「何をしている!」
怒鳴り声が飛んできた。
振り向く。
数人の兵士がこちらへ走ってくる。
そして、その後ろから一人の少女が歩いてきた。
年齢は健より少し下。
黒髪を肩のあたりで切り揃えている。
細身の身体。
腰には剣。
服装からして兵士か、あるいは冒険者だろう。
彼女は倒れた荷馬車を確認すると、短く息を吐いた。
「車輪が壊れています」
「事故か?」
「おそらく」
少女はそう言ってから、健を見る。
「あなたが助けたの?」
「あ、はい」
「怪我は?」
「俺は大丈夫です」
「……そう」
彼女は少女へ視線を移した。
「あなたも?」
「うん……」
「ならよかった」
淡々としている。
感情が薄いわけではない。
ただ、必要なことだけを確認しているようだった。
「ありがとうございます」
健が頭を下げる。
「私は何もしていない」
「でも――」
「あながその少女を助けた」
「……まあ」
「なら、それが全て」
少女は踵を返した。
「待ってください」
健が呼び止める。
「名前くらい教えてもらっても?」
少女は少しだけ振り返った。
「……レナ・ヴァルガ」
「レナ……」
「あなたは?」
「荒木健です」
「ケン?」
「はい」
レナは健をじっと見た。
その視線に、なぜか少しだけ違和感を覚える。
「……変わった名前」
「よく言われます」
「そう」
それだけ言うと、レナは兵士たちとともに去っていった。
「……なんだったんだ?」
健が呟く。
「知りません」
セレネが答える。
「でも、悪い人には見えませんでした」
「だよな」
健も頷いた。
今のところ。
何の問題もない。
ただ街で出会った、少し無愛想な少女。
それだけだった。
◇
その夜。
宿の一室。
健はベッドに横になっていた。
「……死ぬって、嫌だな」
突然、そんな言葉が口から漏れた。
目を閉じる。
脳裏に浮かぶ。
最初に死んだとき。
胸を貫かれた感覚。
身体から力が抜けていく感覚。
そして。
最後に見たセレネの顔。
「……」
目を開ける。
汗をかいていた。
死に戻り。
便利な力だと思っていた。
けれど。
回数制限があるのか。
何か代償があるのか。
死に続けたら、自分はどうなるのか。
そもそも――。
本当に何度でも戻れるのか?
「……分からないことだらけだ」
健は天井を見上げる。
そのとき。
遠くから、悲鳴が聞こえた。
「……?」
健は身体を起こす。
街のどこかで、誰かが叫んでいる。
しかし。
それは一瞬で止まった。
「何だ……?」
窓の外を見る。
夜の街。
何も起きていないように見える。
健はしばらく窓を見つめた。
その声の正体は、まだ分からない。
ただ、静まり返った街の中で。
健はなかなか眠りにつくことができなかった。




