第六話 三分間の死闘
魔獣が地面を蹴った。
「健、離れて!」
セレネの声が響く。
だが、健の身体は動かなかった。
巨大な魔獣が迫ってくる。
鋭い爪。
開かれた口。
その向こうに、セレネの姿が見える。
「――くそっ!」
健はとっさに横へ転がった。
爪が地面をえぐる。
土と小石が飛び散った。
「健!」
「大丈夫!」
立ち上がる。
心臓が異常なほど速く動いている。
怖い。
当然だ。
一度死んだばかりなのだから。
それでも、今度はただ逃げるわけにはいかなかった。
視界の端に、倒れた荷車がある。
その下には女性。
近くには、泣いている少女。
そして目の前にはセレネと魔獣。
「……三分」
健は呟いた。
自分の能力について考える。
自分が死ねば、時間が戻る。
でも――。
持ち越せるのは、死ぬ直前の三分間だけ。
ならば、今から三分より前に起きたことは、次の自分には残らない。
つまり。
今ここで母親を助ける方法を考えても。
もし三分以上前に戻るなら、その方法を知識として持って帰ることはできない。
「……便利じゃねえな」
思わず苦笑が漏れた。
「何を笑っているんですか!」
「いや、俺の能力って……」
言いかけて、口を閉じる。
能力のことは話せない。
まだ何も分からない。
だったら――。
「今できることをやる!」
健は荷車へ走った。
「健!」
セレネが魔獣の攻撃を受け流す。
その隙に健は荷車へ駆け寄った。
「お母さん!」
下から女性の声が返ってくる。
「……娘を……!」
「分かってる!」
健は荷車の端に手を掛けた。
「くっ……!」
重い。
持ち上がらない。
だが、元の世界で肉体労働をしていた経験がある。
力を入れる。
足で地面を踏む。
腰を落とす。
「うおおおおっ!」
少しだけ。
荷車が浮いた。
「今です!」
女性が身体を引き抜く。
少女が駆け寄る。
「お母さん!」
「大丈夫……」
二人が抱き合う。
健は安堵した。
だが。
「健!」
セレネの叫び声。
振り返る。
魔獣がセレネへ突進していた。
「――!」
セレネは剣を構える。
正面から受ける。
ガァン!
地面が大きく沈んだ。
セレネの足が後ろへ滑る。
「……っ!」
魔獣の力が強い。
セレネは剣で押さえ込みながら、身体を捻った。
魔獣の爪が頬を掠める。
一筋の血が流れた。
「セレネ!」
「大丈夫です!」
セレネは言い切った。
その声に迷いはない。
次の瞬間。
セレネが剣を弾き上げた。
魔獣の首元へ斬撃。
浅い。
しかし確実に傷をつけた。
魔獣が怯む。
その一瞬。
セレネが踏み込む。
「――終わりです」
剣が閃いた。
魔獣が倒れる。
今度こそ。
静寂が戻った。
◇
「……助かった」
母親が頭を下げた。
隣では少女が何度もセレネへ礼を言っている。
健は少し離れた場所で座り込んでいた。
「……疲れた」
「健」
セレネが近づいてくる。
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「本当に」
セレネは健の腕や肩を確認する。
やがて小さく頷いた。
「大丈夫ですね」
「セレネは?」
「この程度なら問題ありません」
頬の傷を指で触れる。
血は止まっている。
「……強いな」
「普通です」
「それ、もう聞いた」
健は笑った。
セレネも少しだけ笑う。
「ですが」
「ん?」
「健は無茶をしました」
「……」
「戦えないのに、荷車を持ち上げたでしょう」
「まあ」
「危険です」
「でも、あのままだと助けられなかった」
「だからといって、死んでは意味がありません」
その言葉に。
健の表情が止まった。
「……そうだな」
セレネは気付いていない。
だが健には、その言葉が妙に重かった。
自分は一度死んでいる。
そして戻った。
だからといって。
死ぬことが平気になったわけではない。
死ぬ瞬間の恐怖は、まだ身体の奥に残っている。
「死んだら……」
健は小さく呟いた。
「全部やり直せると思ってた」
「?」
「いや、なんでもない」
健は立ち上がった。
そのときだった。
「みゃ」
ルゥが健の足元に近寄ってきた。
「……お前は怖くないのか?」
「みゃ」
「そうか」
健はルゥの頭を撫でる。
柔らかい毛。
温かい身体。
生きている。
それだけで少し安心した。
◇
街道を進み始める。
助けた母娘とは、街まで一緒に行くことになった。
道中。
健は何度も自分の能力について考えていた。
最後の三分間。
そこだけは持ち越せる。
ならば、三分間の中でできることを最大限利用するしかない。
例えば。
敵の攻撃。
誰がどこにいるか。
どこで死ぬか。
何が起きるか。
死ぬ直前にそれを把握できれば、次の周回で役に立つ。
逆に言えば。
三分より前に起きたことは、次の周回では思い出せない。
「……短すぎる」
健は呟いた。
たった三分。
長いようで。
戦闘ではあまりにも短い。
「健」
「ん?」
「先ほどから、何か考えていますね」
「分かる?」
「顔に出ています」
「マジか……」
健は頭を掻いた。
「まあ、これからどう生きるか考えてた」
「そうですか」
「セレネは?」
「私ですか?」
「この先、どうするつもり?」
セレネは少し考えた。
「最果ての塔を目指します」
「俺を連れて?」
「はい」
「何があるんだろうな、そこ」
「分かりません」
「分からないのに行くの?」
「使命ですから」
迷いのない答え。
健は少し笑った。
「真面目だな」
「健は不真面目です」
「なんで!?」
セレネは答えず、前を向いた。
ルゥが、
「みゃ」
と鳴く。
「ほら、ルゥまで」
「違うと思います」
「そこだけ否定するんだな……」
そんなやり取りをしながら。
やがて街が近づいてきた。
高い石壁。
大きな門。
その上に掲げられた旗。
健は立ち止まった。
「……異世界の街」
胸が少し高鳴る。
ここから、本当に何かが始まる。
そう思った。
だが。
健はまだ知らない。
この街で出会う人々の中に。
やがて自分が何度も死ぬ理由となる人物がいることを。
そして。
その人物を救うためには。
三分間という短すぎる記憶だけで、未来そのものを変えなければならないことを。




