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『異世界で死に戻る。ただし、持ち越せるのは最期の三分だけ』  作者: エクレアだった物


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第三話 初めての旅、初めての死


 朝。


 健は、何か柔らかいものが顔に乗っている感覚で目を覚ました。


「……ん」


 目を開ける。


 白銀の毛。


「……ルゥか」


「みゃ」


「重いって」


 顔の上に乗っていたルゥを横へ退かす。


 窓から差し込む光は、元の世界の朝と変わらない。


 それなのに、窓の外には見知らぬ森が広がっている。


「……異世界二日目か」


 健は上半身を起こした。


 昨日の出来事を思い出す。


 転移。


 魔獣。


 セレネ。


 異界の門。


 迷人。


 そして、最果ての塔。


「夢じゃなかったか」


「おはようございます」


「うおっ!」


 突然、横から声がした。


 振り返る。


 セレネが立っていた。


「……いたの?」


「ずっといました」


「いや、気配なさすぎだろ」


「そうですか?」


「そうだよ」


 セレネは首を傾げた。


「朝食ができています」


「ありがと」


 健は立ち上がった。


 そして、自分の服を見て少し顔をしかめる。


 昨日から着たままだ。


「……風呂ってある?」


「水浴びなら」


「ですよねー」


     ◇


 朝食を終えると、セレネは旅の準備を始めた。


 食料。


 水。


 薬。


 簡単な野営道具。


 そして一本の剣。


「これで全部?」


「はい」


「少なくない?」


「必要なものは現地で調達します」


「サバイバル能力高いな……」


 健は感心した。


 一方、自分には何もない。


 元の世界から持ってきたスマートフォンくらいだ。


「俺は?」


「これを」


 セレネが布袋を差し出す。


「何?」


「旅費です」


 中には数枚の硬貨が入っていた。


「いいの?」


「あなたにはこの世界の貨幣がありませんから」


「助かる」


 健は素直に受け取った。


 するとルゥが健の足元をぐるぐる回り始める。


「こいつも行くの?」


「はい」


「大丈夫なのか?」


「問題ありません」


 ルゥは胸を張るように、


「みゃ」


 と鳴いた。


「……本人が大丈夫って言ってるな」


「本人?」


「いや、なんとなく」


 セレネは少しだけ笑った。


 そして三人は小屋を出た。


     ◇


 異界の門は、昨日の夜とは何も変わっていなかった。


 巨大な石柱。


 その上に渡された石。


 ただの古びた鳥居のように見える。


 昨日、健をこの世界へ呼び寄せたものとは思えないほど静かだった。


「これ、本当に動いたの?」


「はい」


「全然そんな感じしないな」


「門が再び開くことはありません」


「再び?」


「あなたが来た直後、門は閉じました」


 セレネは門を見上げる。


「今はもう、ただの石です」


「じゃあ、俺が来たせいで一回だけ動いたってこと?」


「そうなります」


「……俺、迷惑な客じゃない?」


「そうかもしれません」


「否定してくれよ」


 セレネは真顔だった。


 健はため息をつく。


「まあ、いいか」


 二人と一匹は森の中へ歩き出した。


 最初は順調だった。


 鳥の声。


 風に揺れる木々。


 時折見たことのない植物。


 健は妙に新鮮な気分になった。


「なあセレネ」


「はい」


「この世界って、本当に魔法があるんだよな?」


「あります」


「見せて」


「嫌です」


「即答?」


「旅の途中で必要になれば」


「ケチだな」


「あなたは魔法を使えるのですか?」


「使えない」


「では、お互い様です」


「そういう問題か?」


 くだらない会話だった。


 だが、健は楽しかった。


 昨日まで人生の底にいた。


 それが今は、見たこともない世界を歩いている。


 少なくとも、退屈はしない。


 その時だった。


 ルゥが突然立ち止まった。


「みゃ……」


「どうした?」


 健も足を止める。


 セレネが前を見る。


「……静かすぎます」


「え?」


 先ほどまで聞こえていた鳥の声が消えていた。


 風もない。


 森全体が、息を潜めている。


 セレネは剣に手をかけた。


「健」


「ん?」


「私の後ろへ」


 昨日と同じ言葉。


 だが、昨日とは違う。


 セレネの声には、明らかな緊張があった。


「何がいる?」


「分かりません」


「分からないの?」


「だから警戒しています」


 次の瞬間。


 右手の茂みが爆発した。


「――っ!」


 黒い影が飛び出してくる。


 セレネが剣を抜く。


 金属音。


 巨大な爪が剣と衝突した。


 火花が散る。


「魔獣!」


 昨日とは違う。


 今度の魔獣は、鹿に似た四本脚の獣だった。


 ただし、頭部には三本の角があり、口は胸元まで裂けている。


「なんだよ、あれ……!」


「走ってください!」


 セレネが叫ぶ。


「でも!」


「早く!」


 健は走った。


 だが、数歩進んだところで足が止まった。


 背後から、セレネの苦痛の声が聞こえたからだ。


「……っ!」


 振り返る。


 魔獣の角がセレネの脇腹をかすめていた。


 服が裂け、赤い血が滲んでいる。


「セレネ!」


 健は戻った。


「来ないで!」


「無理!」


 健は近くに落ちていた太い枝を拾った。


 武器になるとは思えない。


 それでも握る。


「俺だって……何もしないくらいなら!」


 魔獣がこちらを見る。


 黄色い眼。


 健は唾を飲み込んだ。


「……怖ぇな」


 足が震える。


 それでも前に出た。


「こっち来い!」


 枝を振る。


 魔獣が首を振る。


 次の瞬間。


 健の身体が宙に浮いた。


「がっ――!」


 腹に衝撃が入った。


 何が起きたのか分からない。


 背中から地面へ叩きつけられる。


「――っ、げほっ!」


 肺から空気が全部抜けた。


 痛い。


 息ができない。


 視界が揺れる。


 魔獣が近づいてくる。


「健!」


 セレネの声。


「逃げろ……」


 声が出ない。


 魔獣が前脚を振り上げた。


 セレネが割り込む。


 剣が魔獣の脚を弾く。


「立って!」


「無理……!」


「立ってください!」


 セレネが健の腕を掴む。


 その瞬間。


 魔獣の角が突き出された。


「――セレネ!」


 セレネが健を突き飛ばした。


 角が彼女の肩を貫く。


「……っ!」


 血が飛ぶ。


 健の顔に温かい液体がかかった。


「……え?」


 セレネの身体が崩れた。


「セレネ!」


 健は這うように近づく。


 その瞬間、魔獣がこちらを向いた。


 大きく口を開く。


 逃げなければ。


 分かっている。


 なのに身体が動かない。


 恐怖で筋肉が固まっている。


「……嫌だ」


 魔獣が迫る。


「嫌だ……!」


 健は後ずさる。


 背中に木が当たった。


 逃げ場がない。


 魔獣の爪が振り上げられる。


 健は咄嗟に腕で顔を庇った。


 ――ドンッ!


 衝撃。


 左腕に焼けるような痛みが走った。


「ぐ、ああああっ!」


 爪が腕を裂いた。


 皮膚が裂け、肉が抉れる。


 熱い。


 いや、熱いというより――


 痛い。


 痛すぎる。


 骨まで響く。


 血が止まらない。


 健は叫びながら地面を転がった。


 魔獣が再び迫ってくる。


「嫌だ……」


 涙が出た。


「死にたくない……!」


 自分でも驚くほど素直な言葉だった。


 昨日まで人生に絶望していた。


 死んでも構わないと思っていた。


 なのに。


 今は違う。


 怖い。


 死ぬのが、怖い。


「俺……まだ……」


 何もしていない。


 何も分かっていない。


 借金だって返していない。


 元の世界に戻れるかすら分からない。


 それでも――


「死にたく……ない……!」


 魔獣の口が開く。


 健の視界いっぱいに、牙が迫る。


 最後に見えたのは、倒れたセレネだった。


 そして。


 その傍らで震えているルゥ。


「……ごめん」


 健が呟いた。


 次の瞬間。


 鋭い痛みが胸を貫いた。


 何かが身体の中へ入り込む感覚。


 肺が潰れたように息ができない。


 口から血が溢れる。


 喉の奥が鉄の味で満たされる。


 視界が急速に暗くなっていく。


 音が遠ざかる。


 身体から力が抜けていく。


「……死ぬ……」


 初めて、本当の意味でそう思った。


 そして――


 世界が、止まった。


 ◇


 健は知らなかった。


 この瞬間から。


 自分だけの、奇妙な時間が始まることを。


 死ぬ直前の三分間。


 それだけが、彼の未来を変えることになる。

セレネは物語的には結構強いですが今回は主人公が足を引っ張ったのでピンチになりました。

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