第十話 死に戻った先で
健の意識が途切れた。
――その直後。
「健――!」
セレネが駆け寄った。
倒れた健の身体を抱き起こす。
「しっかりしてください!」
返事はない。
胸から血が流れている。
「……そんな」
セレネの顔から血の気が引いた。
レナも一瞬、言葉を失っていた。
「……嘘」
黒い服の男は、倒れた健を見下ろしている。
「……庇ったか」
男が呟く。
セレネが健を抱えたまま、男を睨みつけた。
「あなた……」
声が震えている。
「絶対に、許しません」
「待て!」
レナが叫んだ。
「セレネ、今は彼女を連れて逃げる!」
「でも、健が――」
「もう……」
レナは言葉を止めた。
言えなかった。
健が動かない。
呼吸もない。
その事実を認めることが怖かった。
黒い服の男も短剣を下ろした。
「……予定外だ」
男は小さく呟く。
「まさか、あいつが庇うとは」
「どういう意味?」
レナが問い詰める。
男は答えなかった。
ただ、路地の奥へ視線を向ける。
「……時間がない」
そう言い残し、男は暗闇の中へ消えていった。
「待ちなさい!」
レナが追おうとする。
だが。
「レナ!」
セレネの声が響く。
レナが振り返る。
「彼を……」
セレネは健を抱きしめていた。
「この人を、置いていけません」
レナは何も言えなかった。
やがて、ゆっくりと剣を納める。
「……分かった」
その夜。
街の一角で、一人の異世界から来た青年が死んだ。
けれど。
健自身は、その後に何が起きたのか知らない。
知ることもできない。
なぜなら――。
世界が、止まったから。
◇
「――っ!」
健は目を開けた。
「……え?」
息を吸う。
肺が動く。
胸に手を当てる。
傷はない。
「……はぁ……」
だが。
心臓だけが異常なほど速く動いている。
「健?」
すぐ隣から声がした。
「大丈夫ですか?」
「……セレネ?」
振り向く。
銀色の髪。
いつものセレネ。
剣を腰に差している。
その表情には心配の色が浮かんでいた。
「顔色が悪いです」
「……」
健は周囲を見た。
夜の街。
宿へ向かう道。
そして――。
セレネと二人で歩いている。
「……ここ、どこだ?」
「え?」
セレネが目を丸くした。
「宿を出て、西地区へ向かっている途中ですよ」
「……そうか」
健は額を押さえた。
記憶を探す。
宿を出た。
セレネと一緒だった。
悲鳴を聞いた。
それは覚えている。
ここまでは覚えている。
しかし。
その先が――。
「……」
何もない。
いや。
正確には。
何かがある。
突然、頭の中に映像が流れ込んできた。
暗い路地。
壁際に座り込む女性。
血。
黒い服の男。
レナ。
セレネの銀色の髪。
そして――。
胸に突き刺さる短剣。
「――っ!」
健は胸を押さえた。
「健!」
セレネが肩を支える。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
「大丈夫には見えません」
「いや、本当に……」
健は無理に笑った。
「ちょっと、気分が悪くなっただけ」
「急にですか?」
「たぶん寝不足」
「昨日から眠れていませんでしたからね」
「そうそう。それ」
セレネは納得していない顔をしていた。
「……本当に?」
「本当」
健は笑った。
けれど。
手はまだ震えていた。
胸を貫かれた感覚。
息ができなかった感覚。
死ぬ直前の恐怖。
全部、残っている。
そして理解した。
「……また、死に戻った」
声には出さなかった。
◇
健は歩きながら、必死に記憶を整理した。
自分が死んだ。
その直前の三分間だけ。
鮮明に覚えている。
それ以外は――。
「……分からない」
健は小さく呟いた。
「何がですか?」
「いや……」
健は周囲を見回した。
道。
建物。
街灯。
何一つ見覚えがない。
当然だった。
死ぬ直前の三分間より前。
自分たちがどの道を通ったのか。
どこで曲がったのか。
誰と話したのか。
レナがいつ現れたのか。
あの女性がなぜそこにいたのか。
何も覚えていない。
「……俺、さっきまで何してた?」
「さっき?」
「いや……なんでもない」
セレネが首を傾げる。
健は誤魔化すように前を向いた。
「西地区って、まだ遠い?」
「あと少しです」
「そうか」
あと少し。
その言葉だけを頼りに歩く。
しかし、健の頭の中では別のことを考えていた。
――あの路地はどこだ?
――何分後に着く?
――十分後か?
十五分後か?
それとももっと先か?
自分は死ぬ直前の三分間しか覚えていない。
なら。
今から死ぬまでの時間が何分あるのかも分からない。
「……あと何分だ?」
「何がですか?」
「いや」
健は首を振る。
「独り言」
セレネは心配そうに健を見る。
「ケンは戻りますか?」
「え?」
「顔色が悪いです」
「……」
一瞬、戻りたいと思った。
もう行きたくない。
あの路地に。
あの男の前に。
死んだ場所になど。
行きたくない。
でも。
「……行こう」
「本当に?」
「ああ」
健は拳を握った。
「何か起きてるなら、確認したい」
「無理はしないでください」
「分かってる」
今度は。
絶対に無茶をしない。
◇
しばらく歩く。
健は周囲を観察した。
前の自分が通った道は覚えていない。
だからこそ、今の自分が見たものを覚えておく。
角。
店。
石畳。
魔石の街灯。
道幅。
そうしているうちに。
「……あれ?」
健が足を止めた。
「どうしました?」
「今、何か動いた気がした」
次の瞬間。
路地の奥から男が飛び出してきた。
「うわっ!」
健が一歩下がる。
男はそのまま走り去っていった。
セレネが男を目で追う。
「追いますか?」
「……いや」
路地の奥から声がする。
「……助けて」
健の身体が固まった。
来た。
この声。
死ぬ三分前の記憶が、完全に蘇る。
女性。
壁際。
怪我。
レナ。
黒い服の男。
そして――自分の死。
「健?」
セレネが振り返る。
「どうしました?」
健は答えなかった。
記憶を繋ぎ合わせる。
この先へ行けば、女性がいる。
その後、レナが来る。
黒い男が現れる。
セレネとレナが戦う。
そして自分は女性を庇って――。
死ぬ。
「……セレネ」
「はい」
「この先に、人がいる」
「分かるのですか?」
「……分からない」
一瞬迷う。
「でも、いる気がする」
セレネは健を見た。
「危険かもしれません」
「分かってる」
健は深呼吸した。
「だから、今回は俺が先に行かない」
「今回?わかりました」
「……ただ」
健は路地を見る。
「誰かが来る」
「誰か?」
「ああ」
その言葉を口にした直後。
路地の入口側から声がした。
「――そこまで」
健の心臓が跳ねる。
振り返る。
そこに。
レナ・ヴァルガが立っていた。
「……レナさん?」
セレネが驚く。
健は何も言えなかった。
知っている。
この光景を。
死ぬ前に見た。
けれど。
レナは健を見て、怪訝そうに眉を寄せた。
「……どうして、あなたたちがここに?」
健は答えを探す。
前の自分なら。
きっと何も知らないまま、彼女と話していた。
そして。
あの女性を見つける。
男が現れる。
戦闘になる。
自分が飛び出す。
死ぬ。
なら。
今回は違う。
「レナさん」
「何?」
「この先の人を助けたいなら――」
健は一度、息を吸った。
「警戒してください」
「……?」
レナが怪訝そうな顔をする。
「どういう意味?」
「俺は戦えない」
「それは分かってる」
「だから」
健はセレネの隣に立った。
「俺は、ここにいる」
セレネが健を見る。
「健……?」
「大丈夫」
健は小さく笑った。
「今度は、死なないようにする」
その言葉に。
セレネは違和感を覚えた。
「……今度?」
「……」
しまった。
健は慌てて首を振る。
「いや、違う。今度っていうか……」
「健?」
「なんでもない!」
誤魔化すように笑う。
だが。
その瞬間。
路地の奥から。
女性の悲鳴が響いた。
「――いや!」
健の身体が強張る。
記憶と同じ。
ここから先は。
死の三分間。
健だけが知っている。
そして。
今回は――。
その三分間を、ただ繰り返すつもりはなかった。




