最終話 もう一度、君と、どら焼きを食べたくて
-龍登 88歳-
「よっこらっしょと」
白髪の似合うおじいさん、龍登が仏壇の前に座る。
「いやー、まいった。座るだけでも体痛むよ」
はっはっはと笑う姿は、困っているようだけれど、そこまで深刻さを感じない。
とはいえ、膝が痛むのもまた事実。
けれど、仏壇の前に座れば、龍登は笑顔でいられる。
「おっと、まずは挨拶からだな」
龍登は、慣れた手つきで線香に火を灯して、燃えている線香の火を一振りで落ち着かせる。
チーン
お鈴の音が、六畳の部屋で綺麗に物悲しく静かに響く。
手を合わせて目を瞑ること数分間。
龍登は目を開いて、満足したように目を細め、仏壇に飾られた写真を眺める。
そこに映るのは、笑顔の素敵な結菜の遺影。
龍登は、結菜の遺影を十分に眺めてから、右手に視線を移す。
そこには、四分割に切られたクリーム入りのどら焼き。
「ほら、これはいつものな」
龍登は、どら焼きを仏壇に飾って「ふふ」と小さく笑う。
「ふんわり堂のどら焼き。
今は夏だが、エアコンが効いてるから問題ないだろ?」
視線を移して、外を眺める。
そこには、背の高いひまわりが数十本顔を向けて並んでいた。
「君が亡くなってから、もう2年か……。
この寂しさは、言葉では表現できないな」
そう呟くと、結菜を見ながら、龍登は口を開けて笑う。
「はは、ノベル作家のくせにと、君は笑うかね。
まぁ、元ノベル作家だから、許してほしいな」
そういって、龍登は、また外の景色を眺める。
「君がいない時間は、あの頃の孤独が戻ってきたような気分だよ」
眉と目じりが下がり、少しだけ涙ぐむも、笑顔のままだ。
背筋を伸ばしながらの笑顔には、どこか誇らしさも含まれていた。
「と言っても、孤独じゃないがね。
華と楓君や、聡と美月さん、優司や杏奈、夏希と修治たちもいる」
家族の名前を、一人一人大切に大事に、呟いた。
「相変わらず、幸せなのは変わりないな……少し物足りないが」
もう一度、結菜と向き合う。
「やっと、君と同い年だ。
私もそろそろお迎えが来てもいいと思うがね」
笑顔が取れた真剣な表情で、結菜に語り掛ける。
「ただ、家族にまだ死なないでねと言われてしまったよ。
2年のうちに2人も死んだら迷惑なのかもな」
言葉とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいた。
「なに、冗談さ。
ブラックジョークというやつだ。この冗談は、君の前でしか言えないよ」
シーっと人差し指を口の前に持ってくる。
ふたりだけの秘密、ということなのかもしれない。
「この冗談を言うと杏奈と夏希が泣くんだよ。
ほかのみんなも、そんな事言うなときつく叱られてしまったな。
子供と孫に叱られるとは、いやはや、幸せなことだな……ちょっといい男になり過ぎたか」
そうしてまた、豪快に笑った。
「……ふう。久しぶりに、こんなに笑ったな」
笑いが収まると、じっと慈しむ目で結菜を見つめる龍登。
「毎週、誰かが顔を見に来てくれる。
こんな幸せなことがあっていいのかな。
まぁ、いいか。頑張ったしな、俺」
最後には、またワッハッハと笑う。
「今日は、みんなが来てくれるよ。
お盆だからね。君を迎えに行かないと」
仏壇には、すでに胡瓜と茄子の馬が乗っかっていた。
その隣には、少しだけ不釣り合いなクリーム入りのどら焼き。
「にしても、ふんわり堂が、まだ続いててよかったよ。
ほら、想い出の味も永遠ではないからね。運がいいのかもな」
それに、と言葉を続ける。
「これを食べると、君との思い出が蘇る。
なにより美味しいしな。幸せの味とは、こういうことを言うのだろう」
龍登は、四分の一に切られたどら焼きを手に取った。
「どら焼きといえば、君だからな。
昨日、夢に君が出てきたとき、そういえば最近、ふたりきりで食べてなかったことを思い出してね」
龍登は、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「久しぶりに、ここで食べちゃおうと思ってな。
本当は、みんなと一緒に食べるから我慢してねと言われてるが……まあ、もう一回食べればいいしな」
なにせとつぶやき、どら焼きを重ねる。
「もう一度、君と、どら焼きが食べたくてな」
そして、クリーム入りのどら焼きをパクリと食べる。
甘さ控えめの生地とあんこ。
そしてそこに、柔らかい甘みのクリームが溶け合っていく。
どら焼きを通して思い出す。
君との日々。
過去の懐かしい記憶が、クリーム入りのどら焼きと共に、鮮明に蘇る。
「うーん、美味しいけど、やっぱり重たいな」
アハハと、四分の一のどら焼きを食べ終えた龍登が、満足そうに笑った。
「やっぱり、四分の一でちょうどいい。四分の三は、きみにあげよう」
どら焼きをそのままに、龍登は結菜の前でにっこりと笑う。
ピンポーン
インターホンの音が鳴る。
スマホも光り、ロック解除と、家族の映像が流れてきた。
「でも、まあ、もう少しだけ生きていようかな」
慣れた手つきで、龍登はロックを解除する。
「ひ孫を抱いてからじゃないと、怒られてしまいそうだからな」
ハハハと、龍登は穏やかに、幸せそうに皺を寄せる。
「パパー、ただいまー」
「じいちゃーん」
「おじいちゃーん!」
玄関から、大きな声で龍登を呼ぶ声。
「ハッハッハ、どうだ、まだ死ぬわけにはいくまい」
龍登はゆっくりと立ち上がり、
曲がってしまった腰の背筋をぐっと伸ばす。
「君と、どら焼きを食べるのは、もう少しだけ先になりそうだ」
そういうと、満足そうに笑って、仏壇の前から離れる。
ガラガラ
扉が勢いよく開いた。
「あー、いた!もう、返事してよね、おじいちゃん!」
そこに現れたのは、結菜と華そっくりの孫の杏奈の姿。
龍登が返事をしなかったことに、ご立腹のようで、頬を膨らませている。
「おうおう、悪かった悪かった」
龍登は嬉しそうに口角を上げて、怒られる。
扉を開けられたということは、生きてるということなのだが、それでは駄目らしい。
「もうー、ちゃんとしてね!
さて、わたしも、おばあちゃんに挨拶しよっと」
杏奈は、龍登の横をすり抜けて、結菜へと挨拶に向かう。
「じいちゃん、よっす」
「おう、優司。相変わらず、身長が高いな」
「じいちゃんが、縮んだんだよ。
あとで、ゲーム一緒にしようぜ。ハンデつけるから」
「ハンデついても負けてしまうだろうが、やってみようかの」
「さすが、じいちゃんだぜ!
いや、ハンデがあれば、結構いい勝負すると思うけどな」
「それは、期待値が高すぎるというもんさ」
「そうかな?」
うーんと、悩む姿を見せる優司。
大げさなリアクションは、母親譲りだろう。
「あああああああ!」
挨拶を終えた結菜が、大きな声を出す。
「おじいちゃん、どら焼き食べちゃったの!?」
「あ、いや、それはのう、のう、優司」
「さて、ばあちゃんに、線香あげよっと」
「おん」
優司と入れ替わりで、杏奈が鬼の形相でやってくる。
「もう、先に食べないでってあれほど言ったのに!」
「いやな。結菜と久しぶりに食べたくなってな。すまんすまん」
「う。それは、反則だよ……」
申し訳なさそうにしょげる杏奈を、柔らかく慣れた手つきで撫でてやる。
「大丈夫、ちゃんとあと四分の一は、食べられるから」
「もう、ならいいけどさ」
「少ないな、じいちゃん。長生きするには、よく食べないと」
すぐに戻ってきた優司が、突っ込みを入れる。
たった今、納得した杏奈であったが、優司の言葉に大きく頷いた。
「そうだよ! まだひ孫、抱いてないんだから!」
杏奈は、自らのお腹をポンポンと叩いた。
命を宿した、大きなお腹。
龍登は、それを見て、愛おしそうに微笑んだ。
「そうだな……もう少しだけ、しっかりと食べようかな」
はっはっはと笑うと、杏奈がガッツポーズを見せる。
「目指せ、100歳だよ、おじいちゃん!」
「じいちゃんなら、いけるぞ!」
二人から応援をされるも、龍登は頬を掻く。
「それはちょっと、ボケそうだから、遠慮したいの」
タハハと笑うと、二人は固まって目を合わせた。
「じいちゃんがボケるの想像できねー」
「確かに! 100歳でもどら焼き食べてそう」
「しかもさー」
なんとなく言いたいことが分かった龍登も、声を出した。
「「「クリーム入りのやつ」」」
3人の声が重なる。
お互いに顔を見た。
三人とも驚いた顔で固まっている。
「……ふ」
誰かが、声に出して笑うと、そこから笑い声が溢れる。
龍登もまた、過去に求めていた幸せを感じながら、大きく口を開けて笑っていた。
おしまい。
ラスト一話、お付き合いください




