38.虫がいい
伊万莉の正面に緊張顔(?)のルリ、右隣に不機嫌顔のオロチ、左隣にメイハルという配置で、ルリから話を聞いている。
『自分が他の兄弟たちと何か違うことに気が付いたのは巣立ちの頃でした。話しかけてもお腹空いたとか眠たいとか簡単な言葉しか返ってこなくて、自分だけおかしいのかなと』
「そういうものなの? 動物ってもっと複雑な話をしてるのかと思ってた」
「そもそも意思伝達体系が人間とは全く異なるからな。そうなると、伝えるなら単純なものが間違いや誤解が起こりにくい」
オロチの説明に伊万莉はなるほどと納得した。
ちなみにルリは今、人の言葉を話しているわけではないらしい。伊万莉の耳に届く過程で伊万莉が理解できる言語に翻訳されていると言われた。
そして驚くことにオロチとメイハルも現代日本語で会話していなかったという。
蛇の言葉で話していて、ルリと同じく相手の人間には現代日本語として聞こえるようだ。
神由来の能力。便利である。
『それでも困ることはなかったので、特に気にせず暮らしていました。ですがある日、山の主である猪に出会って言われたのです。お前は次世代の山の主だ、と』
「その山の主っていうのがつまり土地神か」
『興味ありませんでしたし、面倒そうだったから断りましたが』
「あ、断ったんだ……」
でも実際面倒なのかもしれない。
オロチもそうだったが、その土地で何か異常があれば対処しなければいけないのが土地神で、場合によっては実力行使も必要となる。
才能があるなしは別にして、そういうのが無理という者は土地神に向いてないのだろう。
『しかしそのままでも長生きは出来るというのは良かったですね。好きな歌をずっと唄っていられるってことですから』
ルリが小さく軽く、「ピピーピピーピッ」と口ずさむ。
意味のある言葉でないからなのか、伊万莉には鳥の鳴き声そのままで聞こえた。
朝の冷たい空気のように澄んでいて綺麗な歌だった。
『好きなだけ唄って、お腹が空いたら食べて、そして寝て起きてまた唄う。これ以上の幸せはないと思っていました。あのお方に会うまでは』
「それが……」
『はい、タダヨシ様です。別に初めて会う人間が彼だったわけではありません。山でも町でも、人間の姿はよく見ていましたから。ただ、あんなに近寄ったのは初めてだったのです』
「鳥からしたら人間は警戒すべき存在だろう? 何故近づいた?」
『そうですね、本能は避けるべきと言っていました。ですが元々の性格だからなのか、力があったからなのか、興味が勝ってしまいました』
オロチの疑問はもっともであるものの、人間もその好奇心からいろいろなことに首を突っ込みたがる性質なので、伊万莉からは何とも言い難い。
『木にもたれかかって苦痛に顔を歪めているその人間を見て、気休めになればと思って歌を唄いました。他に意図なんかありません。でもそれは結果として怪我を癒して、そして彼は言ったのです。綺麗な声だね、って』
ルリの声に照れの成分が混じる。
『そんなこと言われたの初めてでした。鳥は鳴くのが当たり前だから誰も褒めてくれなかったのに、タダヨシ様はそう言ってくれたんです。自分の声を褒めてもらえるってこんなに嬉しかったんだって』
「あー、それはわかるかも」
当たり前になると褒めてくれる人はいなくなって、だからこそそれを褒めてもらえると嬉しくなる。
『はい。それでまた唄ったらこの人は褒めてくれるのかなって思って、その後もタダヨシ様の元に何度も通って。彼も私の姿が見えないと探しているんですよ。可愛くないですか? ふふっ』
「伊万莉殿……私寝てもいいですか?」
真夜中に鳥から惚気話聞かされてうんざりしているメイハル。
オロチもこんなことの為に起こされたのかと不機嫌さが増している。
「本題は多分ここからだと思うけど。うん、まあ寝てていいよ。危ないことはないだろうし」
「では失礼をして……んっしょっと」
そう言ってメイハルが頭を預けた枕は、高さが十五センチメートルくらいのほどほど弾力があるもの。
「メイハル、そこは僕の脚」
「ややっ⁉ 私としたことが……。しかしこれは抗い難く…………すや」
メイハルは伊万莉の膝枕であっという間に寝てしまった。
最初は悪ノリでやっていたのに思いの外気持ちが良かったらしく、静かな寝息が規則的に伊万莉に届く。
こうまでされると逆に起こすのが悪い気がしてきた。
『いいなぁ……』
ルリが羨まし気に呟く。
「ルリも一緒に寝てたって東条先生に聞いたけど?」
『そうなのですが、そのような身体的接触はなくて……』
「それは人間と鳥だから下手すると潰しちゃうし。それで話の続きは?」
『あっ、はい。それである時私は不注意で怪我をして飛べなくなってしまって。私の命もここで尽きるのかと目を閉じ最後の瞬間を待ちました』
飛べない鳥は野生動物の餌でしかない。キツネとかイタチ、それに蛇も鳥を捕食する。
そう考えると蛇の神であるオロチとメイハルの前に姿を見せたルリは勇気がある。
『暗闇の中で振り返る過去の日々。しかしそこに飛び込んできたのはタダヨシ様の声。その手で救われた私は思いました。これは運命だと。この方を幸せにする為に私はこの世に生を受けたのだと』
語気を強めていくルリ。
『その為にはどうしたらいいか必死に考えました。彼と共に行動し、彼の為に唄い、彼の一番近くにいてタダヨシ様が笑っていてくれることが彼の幸せだと……そう思っていました』
「そこで気が付いたのか」
『種族の壁。私ではどうしてもそれを超えられません。時を同じくして体の衰えも感じていたので山の主を頼りました。私には何やら次の山の主になれる才能があるらしかったので、もしかしたら何かその方法があるのではと。しかし、どうにかできないかとの私の問いに山の主は一言だけ。ただの鳥として生を終えよ、と』
ルリはこの時には既に力を失っていた。山の主もそれを見抜いての一言だったのだろう。
しかし、例えルリが力を失ってなくても山の主は同じことを言ったのかもしれない。
オロチはそのことも承知でルリのことを叱責した。
「当然だ。虫がいいこと甚だしい。その男の為と言いつつお前がやっていることは全部自分の為ではないか。責任ある立場になるのが嫌だ、だが力だけは欲しい? そんな奴の言うことを聞く為に山の主や土地神がいるわけではない。大方俺たちの前に現れたのもそれが目的だろう? 先に言っておく。俺もメイハルもお前に手を貸すことは絶対にない。これは元土地神としての矜持だ」
『それ……は……』
「不愉快だ。俺も寝る」
それだけ言い放ってオロチは自分の布団に横たわった。
伊万莉の心情としては東条とルリのことをどうにかしたいと思う。
ルリのことをずっと想い続けてきた東条も不憫だし、東条の幸せを願っていたルリの気持ちも理解できる。
だけどオロチの言うことは正鵠を射ていて、伊万莉から弁護の余地はない。陽子とシラヤの件とは事情が違うのだ。
あれも特例ではあったが、オロチの眷属である蛇のシラヤを陽子が助けようとし、さらにシラヤが陽子の為に自分の全ての可能性を差し出したことがオロチを動かした。
しかし、東条とルリはオロチに縁がない。それどころかルリはオロチの不興を買うようなことをしている。
これでは快く協力してくれるわけがない。
「僕もこの二人に力を貸してもらうってのは無理だと思ってる。それ相応の理由がないと絶対に動いてくれないよ」
『そうですか……』
「こんな風に話せるのにどうして直接本人に想いを伝えないの? 今日ここに来たってことは東条先生にずっと憑いているんでしょ?」
神となる為の力を喪失し死んでしまっても、その名残なのかこうして人と会話が出来る。東条と話せないということはないはずだ。
『山の主に断られて私はそのまま彼の前から姿を消し、ひっそりと朽ち果てました。私のことなど忘れて人間同士で幸せになってほしいと思って。だからいくら死んでいると言っても彼と話すわけにはいかないのです。変な希望を抱かせたくはありませんから』
「じゃあ羽根については? そのせいで東条先生は君がまだ存在しているかもしれないと思っていたわけだけど」
ルリが東条の元を去ってから毎年同じ日に、一枚の羽根が届くという。
その羽根は今までずっと東条を縛り付けてきた。
『う……。でもたまには思い出してほしくて』
「はあ」
溜息のような何かが伊万莉の口から漏れる。
この二人はかなり特殊なケースであるが、恋愛とはこんなに複雑なものなのかと伊万莉を悩ませた。
「本当のところ、ルリはオロチたちに何を頼もうと思ったの? 僕に相談って言うのは口実でしょ? 僕がただの人間なのは明らかだし」
『え? 貴方がただの人間? タダヨシ様に憑いていろんな場所に行きましたが、こちらのお二方程力の強い存在には会ったことがありません。そんな方々に慕われている貴方が普通の人間であるはずはないかと。だからこそ仲介役を担っていただきたいと思った次第なのです。それもですが、魂も……ぎゃっ!』
「うるさい、まだいたのか。口の減らない鳥が」
寝たと思っていたオロチが起きて、ルリを潰れそうなほど握りしめている。
「伊万莉もこんな話にまともに付き合う必要はない。こうして――」
オロチはそのまま大きく振りかぶると外に向かってルリを力いっぱい投げた。
窓も外の闇もすり抜けて、ルリはどこかへと飛ばされていったのだった。
「あ~。まだ聞いてないことあったのに……」
「聞かなくても想像がつく。そしてそれに俺が力を貸すつもりはない。あの手の奴は以前にも会ったことあるが、要求を少しずつ上乗せしてくる。だから最初にきっぱりと断るしかない」
「そうかもしれないけど……うーん」
少し気になるが必要ならばまた来るだろうと思い、伊万莉は寝ることにした。
もちろんメイハルを起こして姿を蛇に戻させてから。




