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35.聞かれた?

 昴が運転する車が伊万莉の家に着くと、同じタイミングで司が起きた。


「あ、ん……あれ?」

「司ちゃん、おはよ。僕とメイハル降りるから、また土曜日にね」

「私、寝てたのか。あ、伊万莉さん今日はいろいろすいませんでした。土曜日はよろしくお願いします。メイハルさんもありがとうございました」

「いえいえ」


 軽く手を振りメイハルは蛇の姿に戻り伊万莉の肩に上っていく。

 それを見た昴と司は驚きに目を見開いていた。二人はオロチのことも人型でしか知らない。

 目の前で人が蛇になるなんてどんなマジックもできないことだろうからこの反応は当然か。


「じゃあ昴ちゃん、乗せてくれてありがとう」

「う、うん。……そういえば土曜何かあるの? 司も塾の日じゃなかったと思うんだけど」

「ああ、そっちの家で司ちゃんに勉強教えることになってて。昴ちゃんも休みだよね?」

「休みだけど、ミャオから泊まりに来ないかって誘われてて、朝からミャオの家にいくの。何か久しぶりに話がしたいって。いつ以来かな、お泊りなんて」


 ミャオこと宮尾陽子はこの機にあの事件のことを話すつもりだろう。

 だが、彼女が話すまで伊万莉が言えることはない。先日確認を取ったら陽子自身が話すと言っていたのだから。

 話を聞いた昴がショックを受けないか心配ではある。


「あれ? お姉ちゃん土曜日いないの?」

「言ってなかったっけ? 日曜日の昼前には帰ってくるけど」

「ありゃ」


 司の話では昴から何か伊万莉に話すことがあるような言い方だったが、二人はどこか食い違ってるように伊万莉には映る。

 司の早とちりか?


「まあ仕方ないか。夏休み中にってことだったし。じゃあまたです、伊万莉さん」

「バイバイ、伊万莉」





 二人の乗る車が見えなくなるまで見送った伊万莉。

 この後すぐ夜ご飯の用意をしなければならない。下準備は伊万莉の母がやってくれているはずだ。

 宿泊客である大学の准教授の東条が夜ご飯の時間を午後七時に予約していたので、もう帰ってきているのではないだろうか。


『伊万莉殿、今日のご飯は何ですか?』

「今日はね、アジの塩焼きとスルメイカの煮物なんかの旬のものがメインかな」

『よくわからないですが伊万莉殿の作るご飯は何でも美味しいです!』

「じゃあ何故訊いた……? んじゃメイハルはまたその辺に隠れてて。後で母さんがお風呂に入った時に――」

「神代君?」


 思ってもみなかった方向から突然声をかけられて、伊万莉の心臓が一瞬鼓動を大きくした。

 声のしたほうに振り返ると、伊万莉の背後、つまり道路側に東条の姿があった。


「ああ、驚かせてすまない」

「東条先生? 今お帰りでしたか?」


 いや、東条は調査には自分の車で移動している。その駐車場所は民宿のすぐ横だから道路側から歩いてくるのはおかしい。


「今日は少し早く帰ってきてね。食事までまだ時間があるからこの辺りをぶらぶらと歩いていたんだ」

「そうでしたか」


 冷静を装いつつも伊万莉の内心は穏やかではなかった。

 もしかしてメイハルとの会話を聞かれてしまったのではないか、と。

 まさか蛇と喋っていたなんて思わないかもしれないが、傍から見たら伊万莉は、声色を変えて独り言を言っている危ない奴と受け止められかねない。

 メイハルは第一声の時点で既にリュックサックに隠れている。


「ところでさっき、誰かと話していなかったかい?」

「うっ」


 聞かれていた。

 いや、まだそれならスピーカーモードで電話していたということで誤魔化せる。

 伊万莉がその言い訳を口に出そうとしたところで東条に先を越された。


「君はもしかして……その、幽霊とか妖怪とかそういうものと話せたりするのか?」

「え?」


 伊万莉のことを茶化して言っているのではなく、東条の言葉にはそうあってほしいという願望のようなものが表れているように感じた。


「いや、すまない。変なことを訊いてしまったな……。部屋に戻っているから食事ができたら呼びに来てくれ」

「あ、待ってください」


 伊万莉の勘だが彼もまた何かを抱えている、そんな気がする。

 昨日の夜ご飯の時、東条の反応に伊万莉が違和感を覚えたことと関係があるかもしれない。

 話を聞いてみたいと思った。


「だとしたら、東条先生はその『何か』と話したいことがあるんですか?」

「そうだな。……神代君は不思議な体験をしたことはあるかね?」

「ここ最近ですが何度か」


 黄泉比良坂に入ってしまったこと、古代の神ヤマタノオロチに出会ったこと。そしてそこから派生するように数々の出来事が伊万莉の周辺で起きていた。

 これまで全くそういう体験はなかったのに、この一週間は本当に目まぐるしく忙しかった。


「……それなら私の戯言も信じてくれるかもしれんな」


 東条が何かを決心したように伊万莉の顔をしかと見つめる。


「では、食事の後でお部屋に伺わせてもらってもよろしいですか? 長くなるかもしれませんので」

「是非にお願いする」

「その際、一人、いえ二人同席しても? 僕よりそういうことに詳しいので」

「別に構わないよ。むしろ歓迎するさ。何を聞かせてくれるのか楽しみだ」

「ありがとうございます。では今から食事の準備をしますので、もう少々お待ちください」


 暑苦しい夏の夜に怪談となるのか。それは蓋を開けてみなければわからない。

 でも、それがもしかしたらオロチの仲間が封印されている場所のヒントになる可能性もある。

 伊万莉たちにとっても聞く価値がある話だ。





「東条先生、よろしいですか?」

「どうぞ入って」

「失礼します」


 余程この話とやらをしたかったらしい東条は、夜ご飯を早食いで味わって早々に平らげた。

 伊万莉の母は驚いていたが、早くまとめたい資料があるので、という東条の言葉にさすが大学の先生と感心しきっていた。



 いつもなら宿泊客の食事が済んだ後に食事を取る伊万莉も今日はまだ食べていない。

 後学のために東条の研究を見せてもらうという体で片付けも後回しにして、オロチとメイハルを連れて東条の宿泊する部屋にやってきたのだ。


「おや? 神代君と手伝いをしていた君だけなのか? 同席は二人と言ってなかっただろうか?」


 料理を運んだりしていたオロチとの面識はすでにある。

 しかしもう一人のメイハルはまだどちらの姿も見せていないし、今は蛇の姿になって伊万莉のパーカーのフード部分に隠れている。


「ええ、二人いますよ。メイハル」

『はい、伊万莉殿』


 東条の耳にこの場にいない女性の声が入ってくる。

 呼びかけに応じてメイハルが伊万莉の体を伝い、ぬるっと畳に着地した。


「先生がおっしゃられていたのはこういうことですよね?」

「あ、ああ。でもまさか……。いやそれなら……」


 驚きから疑念、それから納得。東条の表情がころころと変わる。

 やはり彼が知りたかったのはこういうことか。


「彼女は人の姿にもなれますが、うちの事情もあって今はこちらの姿になってもらっています」

「なんと! ではもしかしてこちらの君もそうなのか?」

「はい。そこからお話しましょうか。最初に言っておきますが彼らの正体は限られた人しか知りません。ですから今日知ったことは口外しないようお願いします。……言っても誰も信じないかもしれませんが」


 昴、司、陽子などは伊万莉の話だから信じてくれた節がある。

 他の人からヤマタノオロチが復活したなどと聞かされれば、一笑に付するだけであったかもしれない。


「もちろんそうしよう」


 その点、東条は伊万莉の話を全て真剣に聞く心構えができている。

 伊万莉の話を信じなければ、彼自身の話もまた信じてもらえないからだ。



 持ってきた湯飲みに全員分のお茶を淹れて話の準備は整った。


「では。事の始まりは先週の土曜日になるのですが――」


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