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34.過去と現在と未来の子供たち

 司と金築、そしてメイハルがいるビルの裏の光景を想像しながら伊万莉は待っていた。

 やきもきとしながら足をそちらに向けては引き返し、というのを何度も繰り返している。

 心配で心配でたまらない。

 時間にしたら五分も経ってないだろうが、伊万莉の感覚ではもう三十分くらいこうしているような気がした。



 ここにいた他の生徒は全員迎えが来たようで残ったのは伊万莉たちだけだ。

 紫外線に晒されるのも構わず、伊万莉がアスファルトの隙間から草が生えている駐車スペースをうろうろと歩き回っていると、一人の少年が裏から駐輪場所に息せき切って走ってきて、何かに追い立てられるように自転車に乗って去っていった。

 あの金築少年だったが、伊万莉のことは微塵も目に入らなかったようだ。

 左の頬が赤くなっていたのがちらっとだけ見えた。



 これは何かあったな、と心配の度合いを強めたところで一台の軽自動車が駐車スペースにゆっくり入ってきた。

 白線のやや左側に寄って駐車された車から伊万莉の知った顔が降りてくる。


「え、何で伊万莉が? アルバイト先ってここだったの?」

「うん。司ちゃんが一緒に乗って帰ろうって誘ってくれたから待ってた」

「へー、偶然」


 狭いコミュニティなのでこんなこともあるのだろう。


「それで当の本人は?」

「何と説明したらいいのか。トラブルでもないし、ハプニングとも言えないし……。もう少ししたら戻ってくると思う」

「はあ」




 それからほとんど時を置かずに二人は戻ってきた。

 ただ、メイハルは行きと違って人型になっていた。

 司はメイハルの背中に縋りつくようにして顔を隠しているし、メイハルがそんな司を支えている。


「司ちゃん?」


 伊万莉が声をかけると司の肩がビクッと跳ねた。

 どうやら円満な解決には至らなかったらしい。

 鼻をすする音もしている。


「司ちゃん、これハンカチ。使って」


 伊万莉がまだ使ってないハンカチを差し出すと、司は左目だけでそれを確認して受け取った。

 泣き腫らしてる顔を見られたくないのだろう。

 どういう過程でどういう結果になったか伊万莉にはわからない。


「えーっと何が何だか……」


 完全に蚊帳の外にいるのは昴だ。

 メイハルのことも司のことも何もわからなくて、話に入っていいのかもわからないという顔をしている。

 伊万莉はとりあえず、メイハルのことから説明することにした。


「この人はオロチの仲間のメイハル。一昨日封印を解いて、今一緒に行動してる。……で、こっちが幼馴染の昴ちゃん。背中にいるのがその妹の司ちゃん」



 簡単だがお互いのことを紹介した。オロチのことを知っている昴と司の二人ならこれで通じるはず。


「ああオロチの。どうりで服が似ていると思った。昴です、よろしく。…………え? 一緒ってことはつまり今は伊万莉の家で寝起きしてるってこと?」

「メイハルはうちにいる時は蛇になってもらってる。母さんにも言ってないし」

「そうなんだ……」


 昴はほっと胸をなで下ろした。



 それを見てメイハルは瞬時に理解した。これがおそらくオロチの言っていた恋敵の一人だと。

 本能が訴えかけている。牽制しておかなくてはと。


「お初にお目にかかります昴殿、司殿。ヤマタの『一閃』ことメイハルです。伊万莉殿のお世話をさせてもらっています。それはもう『おはよう』から『おやすみ』まで」

「えっ……」


 昴の顔に再び不安の色が浮かぶ。

 さらに後ろにいる司の掴む手の力も心なしか強くなった気もする。

 メイハルは心の中でほくそ笑んだ。


「いやそれ逆だし。朝は起きてこないのを僕が起こして、ご飯の用意も全部して、夜はその辺で寝ちゃったのを部屋まで運んで」

「ああっ! 伊万莉殿ばらさないでください!」

「ぷふっ……ふふ、ふははっ!」


 メイハルの背後から堪えきれなくなったように笑い声が響いてくる。

 司がハンカチで目元を押さえながら声をあげていた。


「ははは、そういう人ですよね。伊万莉さんって」


 多少なりとも気分が落ち着いたのだろうか。


「心配をかけてすいませんでした。同級生に告白されて、断ったんですけど動揺しちゃってこの様です」

「そうだったの司……」


 昴が司の肩を抱く。

 ここにきて昴はようやく司が泣いている理由がわかった。

 昴の知る限り、司が告白されたのは初めてだったはず。


「それで断る為に私、伊万莉さんと付き合ってるって嘘をついちゃって……ごめんなさい」

「いいよ、名前くらい使っても。僕は全然気にしないから。それより司ちゃんは大丈夫なの?」

「正直わからないです。言いふらしたりされるのかなぁ。学校行くの憂鬱だ……」


 断られて逆ギレして司のことを悪く言うことももしかしたらあるかもしれない。

 何があったかわからないが、司が泣いているのをフォローしてない時点で伊万莉としては彼の評価は地に落ちている。


「そういえば彼、逃げるように走り去っていったけどどうしたの?」

「うっ……。その……あまりに最低な雄だったので、一発ひっぱたいてちょっと脅してやりました。すいません……」


 伊万莉から無闇に人間に手を上げないよう言われていたのに、司が泣いているのを見たら居ても立っても居られなくて体が動いていた。

 メイハルの中で彼の行動は許されないことだ。この時代でなかったら一呑みにしていたかもしれない。

 それぐらい怒っていた。


「いや、今回はよくやったと誉めてあげたい。僕もその場にいたら同じことしてたと思う」

「伊万莉殿……」


 ここで反省してくれないと、この先彼は多くの女性を悲しませることになる。

 それはどちらにとっても不幸だ。


「司ちゃん、もしそのことで何か言われたら僕を頼ってくれていいから。彼氏のフリでも何でもするよ」

「ありがとうございます、伊万莉さん……。でもそれは……」


 司は昴の顔をチラッと窺う。

 昴はそれに気付き、視線の意味を自分なりに受け取った。


「伊万莉なら上手くやってくれるから大丈夫。…………私のことなら気にしなくていいからね」

「あ、うん……」


 最後の部分は司にだけ聞こえるように、唇の動きと吐息の音だけで伝えた。






 秘密は嘘を呼び、その嘘が秘密を嘘にしてしまった。司の中で罪の意識が折り重なっていく。

 気にしなくていいと言われても、優しい二人の言葉がナイフのように次々と司に刺さる。

 あの場面であの嘘をついたのはどう考えても失敗だった。

 伊万莉や昴が司の立場だったなら上手く切り抜けられたのだろうか。



 そしてやはり伊万莉は大人だった。

 伊万莉だけじゃない。姉の昴も、このオロチの仲間のメイハルって人も、司の周りは自分をしっかり持った大人に囲まれている。

 たった四つしか違わないのに、自分自身を含めた同級生は全て子供に見えてしまうくらいに。

 早くこの人たちのようになりたかった。







「……司寝た?」

「うん、メイハルに寄りかかって寝てる」


 伊万莉が助手席から振り返って確認する。

 車に乗って五分もしないうちに司はうつらうつらとし始めて、今はもうメイハルの肩に頭を預けて静かな寝息を立てていた。

 必然的に車内の会話は小声になる。


「受験勉強と件の人間関係でかなりストレスが溜まってたみたい」

「それで今日、突然の無神経な告白で爆発しちゃったのか。もしかして私とお母さんに気を遣って我慢してたのかなぁ……」


 司は聡い子だ。幼くして父を亡くし、母と姉が苦労しているのを見てきたせいか、遠慮をすることがままある。

 悪いことではないにしても、昴と彼女の母はそれに甘えてしまったことは否定できない。

 そんな司からしたら自由奔放な同級生たちはストレスの種だったと想像がつく。


「そういうのを発散できる場とか機会が必要かもしれないね。昴ちゃんももうすぐ夏季休暇だし、今度皆で海にでも行く?」

「いいね、そうしようか。そうなると水着も買わないといけないなー」


 運転席と助手席の二人とは真逆で後部座席は一切会話がない。

 メイハルが司を起こさないように優しく髪を撫でて見守っている。



 するとメイハルはバックミラー越しの昴の視線に気が付いた。


「どうしました? 昴殿」

「いや、何か手馴れてるなと思って」

「ああ、私子供がたくさんいますから。あやしたりは得意ですよ」

「えっ、そうなの?」

「それは僕も初耳だよ」

「正確には『いました』になるんでしょうけどね。二千年も経ってればもう全員死んでいると思います」

「あっ……」


 こういうケースでも子供に先立たれたと言うのだろうか。

 神の血縁ということで多少の長生きはしても、二千年という遥かな時は全てを置き去りにしていく。

 長生きのメイハルからしたらそういう経験は今までにもあったのかもしれない。

 でもこれは。


「ああ、気を遣わなくていいですよ。生きる術は教えましたし、後はそれぞれ天寿を全うしたと思います。そうであれば誇らしいですね」


 家事が苦手で性に奔放な戦いが得意なだけの神様ではなかった。

 彼女は親として子供をきちんと育て上げるだけの矜持がある。

 伊万莉のメイハルに対する見方が少し変わった。


「ふふっ、でもこうしていたらまた子供が欲しくなっちゃいました。ねー? 伊万莉殿」

「うえ゛っ⁉」


 運転席から鳴くのを失敗したカラスのような声が聞こえてきた。


「大丈夫? 昴ちゃん」

「あああ、うん、平気平気」

「そう。でも子供か……」


 伊万莉はその単語について考えに耽る。

 子供というのは恋愛や結婚の延長にあるものというのが一般の認識だろう。



 では恋愛欲求や性的欲求のない伊万莉のような人には子供は不相応なのか?

 パートナーは必要ないが子供は欲しいと思う人は少なからずいるはずだ。そういう場合彼ら、彼女らが取り得る手段は多くない。

 普通養子縁組の制度、または精子バンクや代理母出産を利用する。これくらいか。

 しかし、どの手段を取るにしても何かしらの問題は残ってしまう。並大抵では飛び越せないハードルばかりだ。



 伊万莉自身の男性としての機能については問題ないと思う。

 実際に行為に及んだことはないのでどういう結果になるかはわからないが、伊万莉が望めば『男性として』子供を作ることは現時点では可能だ。



 それでは伊万莉がこの先女性になることを選択したとしたら?

 性別適合手術を受けても現在の医療技術では妊娠出産はできない。『女性として』自分お腹を痛めて子供を産むことは叶わない。

 子供が欲しかったらそれこそ体を男性のままにするか、ホルモン療法や手術をする前に精子を凍結保存して代理母出産をお願いしなければ自らの遺伝子を継ぐ子供を抱くことができない。



 このジレンマを解消するにはどうしたらよいか。

 伊万莉はもちろんのこと、世界で何千万もの人々が長年悩んでも出せない答えがある。



「昴ちゃんは子供欲しい?」

「ひゃっ⁉ それって……え、う、うん。欲しい……かな?」

「そうなんだ」

「うん?」


 もしかしたら伊万莉が望んでいるものはその答えの先にあるのかもしれない。


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