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36.まだ君を探してる

 オロチとの出会いから始まる一通りの話を終えて、伊万莉はお茶を湯飲みの半分まで飲み一息つく。

 東条は最初は聞き役に徹するつもりだったようで、伊万莉が喋るのに合わせてたまに相槌を打つくらいだった。


「黄泉比良坂、ヤマタノオロチとクシナダヒメの関係、それにスサノオ……。昨日神代君が言っていたのはこの事だったのか」

「本人から聞いていましたから」

「ふむ」


 東条もお茶を飲んだ。こちらは一息で全部飲み干した。


「正に歴史の生き証人というわけだな。研究者としては尋ねたいことが山ほどあるが、あまり踏み込まないほうがいいのだろうね」

「ええ、そうですね。文化や生活様式とかなら大丈夫だと思いますが」


 伊万莉がオロチのほうを振り返ると苦々しい顔をしていた。

 彼にとっては触れてほしくない話題だろう。

 忘れたくはないが思い出したくない。伊万莉ですら軽々しく踏み込めないものだ。


「まあそちらを論文にするにしても、根拠が当時生きていた人物に聞いたというのは学会から荒唐無稽と叩かれてしまうがな。また食事の席なんかで私個人用に聞かせてくれ」

「オロチもいい?」

「構わんが昔のことがそんなに面白いのか? 今の世のほうが断然面白いと思うが」

「日々新しいものが生み出される現代と比べたら確かにそうかもしれない。しかし未知のものに対する興味という意味では私も君も同じだ」

「そういうものか」


 お茶請けに出していた煎餅をばりばりと食べながらオロチは適当な相槌を打つ。

 伊万莉の話の中でオロチたちのことは現代に慣れる最中であると説明はしてある。

 それと同時に、古代の神なので現代の常識には収まらないこともあるからと注意も。

 なので多少の失礼は大目に見てもらっている。

 まあ失礼も何も彼らのほうが遥かに年上なのだが。




「僕からの話はこれくらいです。それで、東条先生のお話したいことというのは彼らのような存在に関すること、になるのでしょうか?」


 伊万莉の核心をついた質問に東条が鷹揚に頷き返した。

 そして今ではないどこかの風景を現在に重ねて、瞳の深度が増していく。


「実は私もこっちの出身でね、当時住んでいた家はもうないが」

「そうでしたか。大先輩ですね」

「久しぶりに故郷の米を食べられて良かった。やはり自分の体を作った食べ物というのは特別らしい。それで私が中学生の時の話なのだが……」


 東条が中学生の頃の話ということは四十年くらい前になるのか。

 暇そうにあくびをしていたメイハルの背中を伊万莉が撫でてやると、うねうねと細い体をくねらせている。


「私は外で泥にまみれて遊ぶより家の中で本を読んでいるほうを選ぶような、今で言うインドア派な少年だった。野山を散策したことなど数度しかないようなね。しかしある日、本に書かれていた何かが気になって山に入ってみようと思ったんだ。それが何だったのかは思い出せない。些細な事であったのは確かだ」


 伊万莉もインドア派なので東条には共感する。

 インターネットの発達であらゆる情報を簡単に手に入れられる今と比べ、四十年前は情報の入手手段がかなり限定されていた。

 本で調べるか、誰か詳しい人に訊くか、それとも自分自身で調査するか。


「だが山に入った私はすぐに後悔した。普段そんなことしないものだから歩き方もわからなくて、脚を痛めて歩けなくなってしまったのだ。恨んだね、愚かな自分を。本を読むだけで結局何も学んでいなかった。それからだ、得た知識をそのままにせず、実践して自分のものにするべきだと考えるようになったのは」


 東条がフィールドワークを重視しているのはこれに起因するものだったのか。

 東条がやっているような研究ならば文献を相当数あたれば一応の形は見えてくる。

 しかしそれだけはわからないこともある。地方の独特の空気や住んでいる人々の感情、民間伝承や土着信仰の現在の変化など、会って実際に話して触れてみなければ語ることなど到底できない。


「歩けなくなってどうされました?」

「木に背中を預けて途方に暮れていた。這ってでも帰るべきか助けが来るのを待つか。その時だったな、アレが現れたのは。私の痛めた脚の上に乗ってきたのは尾が綺麗な青色をした小さな鳥だった」

「野鳥がそんな近くまで来たんですか?」

「動かない私を朽ち木か何かと勘違いしていたのかもしれないな。しばらくその歌声を聴いていたよ。気も紛れたし、本当に可愛かった」


 少し硬かった東条の表情がふっと和らいだ。

 不安の中での思いがけない出会い。心潤う時間だったのだろう。


「そして本題はここからなんだ。不思議なことにその鳥が去った後、脚の痛みがなくなって歩けるようになった。一歩も歩けなかったのに、山道を軽々踏破して無事家に帰ることができたのだ」


 オロチとメイハルが反応して顔を上げた。

 伊万莉と同じことを考えているに違いない。それは妖異神霊の類ではないか、と。

 しかしそうなると心配なことがあった。


「帰ってから脚が治ったこと以外は何か変化はありませんでしたか?」


 その鳥がそういう存在だとすると、見返りに何か要求されたりすることがある。


「うむ。それ以降晴れた日は毎日庭先でその鳥の鳴き声を聞くようになった。同じ個体かどうかはわからなかったが、私はその鳥に『ルリ』と名付けて訪れるのを心待ちにするようになったんだ」


 調べたらルリビタキという種類の鳥だったからそんな単純な名前にした、と彼は自虐的に笑った。



 ルリビタキ。

 野鳥に詳しくない伊万莉は知らなかったが、東条の説明によるとオスは背中全体が青くなって、メスは尻尾だけ青いらしい。

 ここまでだと特に危険なものではなく、ただ懐かれただけのように思える。


「しかしある日、晴れでも鳴き声が聞こえなかったので、まさかと思い家の周囲を探してみると一羽の鳥が傷付き倒れているのを発見した。私の姿を見て弱々しく鳴くそれがルリだと直感でわかった。当時は近くに動物病院なんてものはなかったから自分で必死に調べて世話をしたよ」

「なんか鶴の恩返しを彷彿とさせますね。順番とか立場は逆ですけど」

「動物報恩譚だね。確かに最初に助けられたのが私だからそうなるな」


 ということは伊万莉とオロチ、メイハルの関係も大きな括りでは動物報恩譚になるのか。


「世話の甲斐あってかルリは元気になった。それから私の行く所行く所についてきてね、こっちの言っていることがまるでわかるようだった。歌ってほしいと言えば綺麗な声で鳴いてくれて、私が寝ていると自分から布団に入ってくる。だが、そんな生活は一年くらいで突如終了した」


 ここまで淡々とした調子で話をしていた東条の声に影が滲んでいく。


「あの日のことは忘れない。朝起きたらルリの姿が消えていた。籠に入れていたわけじゃないから逃げたと言えばそれまでだが、ではそれまでの一年、ルリが逃げなかったのはどう説明したらいい? 学校を休んで何日も探したが結局見つからなかった。あれから私はずっとルリのことを探しているんだ……」


 東条のルリを想う気持ちは伊万莉が思っていたよりずっと強いものだった。

 空になった東条の湯飲みにお茶を注ぐ。


「その……、鳥の生態に詳しくないのですが、小型の鳥ってどのくらい生きられるものなんですか?」

「大体三年から四年らしい。個体差はあるだろうがそれ程長生きではない」

「じゃあ、もう……」


 ルリは死期を悟って東条の前からいなくなった、と伊万莉は考えてしまう。


「だがもし、ルリが彼らのような存在だったら? そう思うと諦めきれなかったのだよ。毎年、ルリがいなくなったその日に、私の枕元に一枚の羽根が届くんだ。自分はここにいるとルリが教えてくれているように」


 東条の脚を治した力、人の言葉を理解する知能、それから羽根の贈り物。

 普通の鳥とは明らかに違う。


「オロチとメイハルはどう思う?」


 こういうことは彼らのほうが詳しい。


「既に死んでいる」

『私もそう思います』


 二人は躊躇うことなく、はっきりと現実を突きつけた。

 彼らからしたら東条にもルリにも思い入れがない。遠慮をする理由がなかった。

 東条はなかなか飲み込めない唾をお茶で無理やり喉に流し込み、そして恐る恐る尋ねた。


「……そう思う根拠は?」

「そうだな。まず、その鳥は神となる資質があったのは間違いない。そのまま行けば長生きしていただろう。だが神になる為に溜めておくべき力をお前を治すことに使ったことでその資質を失い、普通の鳥になってしまった」


 陽子に助けられ、陽子を助けたあのシラヤという蛇も、元々神となる資質があったとオロチは言っていた。

 シラヤの場合オロチから力を分け与えてもらって神となり、そして神器となった。

 それとは逆にルリは力を使い果たして、神となる資質を失ってしまった。


『普通の鳥になれば後は残りの寿命を消化するだけです。そして、子孫を残す為に使うはずのその最後の時間を、あなたと過ごす為に使うことを選んだのです』


 オロチの言葉を引き継いでメイハルが言う。


「ではあの羽根は……」

「死んでなお、お前のことが忘れられなくて霊となって迷っているのだろうな」

『それを不憫と思うか喜ばしく思うかはあなた次第ですけどね』


 東条が「そうか……」と小さく呟くのが伊万莉は聞こえた。

 それきり東条は黙り込んでしまった。



 これは東条が聞きたかった結末ではないかもしれない。

 彼が伊万莉たちに期待していたのは、ルリの正体と生存の確認。その後はルリとの仲介といったことだろう。

 四十年も探していたのに、ここに来てそれはあっけなく終わってしまった。

 あまりに酷な現実に伊万莉も口を開くことが出来なかった。





 これではもう会話を継続することが叶わないとみて、部屋から退出すべく居ずまいを正した伊万莉に、東条が独り言のように語りかけてきた。


「変だと思われるかもしれないが…………ルリが私の初恋だったんだ」

「あえ⁉ いや、はい?」


 突飛過ぎる東条の告白に、伊万莉の口から今までに出したことないような声が飛び出る。

 東条の初恋が人間ではなく鳥だった?

 それは人間同士の恋愛のような感情でか、ペットに対する愛情という意味でか。


「離れたくない、ずっと一緒にいたい、こういう感情を恋愛と言うのであれば、それは人間以外にも当てはまるのではないのか?」


 伊万莉自身恋愛の経験がないから、これこれこういうのが恋愛だと断言することができない。

 東条の言うこともこれだけ聞くと一理ある気がする。

 だが――。


「実は、僕は恋愛というものをしたことがありません。ですから東条先生のルリに対する感情が恋であるかわかりません。気を悪くされるかもしれませんが、それはペットに対する愛護の精神と同じものではないですか?」

「それは私も考えたよ。しかし、考えれば考える程ルリは特別な存在だったと認識させられた。ルリが人間だったら、もしくは私がルリと同じく鳥だったなら、と」

「あ……」


 ペットに対する親愛とどこで区別するか。

 一緒にいたい、守りたい、それだけでは明確な違いが見当たらない。

 あるとすればそこから先を考えるかどうかではないか。つまり、子供を作り家族となることを。

 望むか望まないか、可能か不可能かではなく、考えるか否か。



 そしてそれは東条とルリのような種を超えるケースの他にも、同性同士や極端な年の差など、世間から奇異の目で見られることもある関係全般に言えるのでは?

 友情や親愛との差異は未来に繋げたいという意思にこそあるのかもしれない。


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