シリーズものの初期装備は大体同じようなものです
館の地下は、ひんやりとしていた。
石の階段を降りきった先に、それはあった。
壁一面を覆う、銀灰色の金属の扉。継ぎ目ひとつない表面の中央に、見覚えのある紋章が刻まれている。
三角形を貫く、一本の光の線。
「アーガスノルンのロゴ……」
ゲームの中で、何百回も見た。ミッションの依頼画面で、敵の施設の壁で、ロード画面の片隅で。
「三ヶ月、毎日ここに来たよ」先輩が言った。「叩いても、削っても、魔力を流しても、傷ひとつつかなかった」
扉の横に、小さな窪みがあった。
ちょうど、スマホが一台はまるくらいの。
「……試してみます」
ポケットからスマホを取り出し、窪みに置く。
スマホの画面に、顔認証のマークが表示された。いつもの、あれだ。
画面を覗き込む。
『顔を認識できません』
「…………」
『顔を認識できません』
「なんで!?」
「田中くん、五日間ヒゲ剃ってないでしょ」
「あっ」
異世界の古代遺跡の前で、無精ヒゲに阻まれる男。
リーネが後ろで、必死に笑いをこらえている気配がした。セレスは無言だった。無言が一番つらい。
『パスコードを入力してください』
六桁を打ち込む。誕生日。セキュリティ的には最悪だが、今だけは自分の雑さに感謝した。
<<<2台目を認証してください>>>
「二人目、だって」
先輩が無言で隣の窪みにスマホを置いた。こちらは一発で顔認証が通った。毎朝ちゃんと身だしなみを整える人は、異世界でも強い。
空気が、抜けるような音がした。
閉ざされていた扉が、静かに左右へ開いていく。
中は、広い部屋だった。
天井の照明が、ぱちぱちと瞬きながら点いていく。
白い光に照らし出されたのは――この世界のどこにもないはずの光景だった。
机の上に並ぶ、薄型のモニター。キーボード。
壁際のラックに積まれた、黒い筐体の群れ。ケーブルの束。
作業台には、分解されたままの電子機器と、はんだごて。
反対側の壁には、金属のロッカーが並んでいた。
セレスが警戒しながら一つを開ける。
中には、黒いジャケットと、銃のようなものが収められていた。
「これは……武器、ですか」
「たぶん」
手に取る。軽い。グリップの横に、小さな刻印。
知っている。マナ・プロトコルで、新規プレイヤーが最初に支給される力場拳銃。ゲームの中で、俺はこれを握って、何十時間も怪異と戦った。
隣のロッカーには、防護コート。通信用の耳かけ端末。力場を纏わせて殴るためのナックル。
初期装備一式。
「マコト様、あっちにも……」
リーネの声が、震えていた。
部屋の一番奥。
壁に寄りかかるように、人の形をした何かが、座っていた。
骨だった。
黒いジャケットを着たまま、膝の上に、力場拳銃を抱いて。
その正面に、一台だけ、電源の入ったままのモニターがあった。
画面の中央で、再生マークが、ゆっくりと点滅していた。
誰も、しばらく動けなかった。
やがて先輩が、静かにモニターの前に立ち、マウスを操作し再生マークをクリックした。
画面に、映像が映った。
この部屋だった。
照明は今より暗く、机の上は今より散らかっていて、ラックの一部から煙が上がっている。
カメラの前に、男が座っていた。
三十代くらい。頬がこけ、額に血の滲んだ包帯を巻いている。黒いジャケット。あの骨が着ているのと、同じもの。
男は、カメラをまっすぐ見た。
『……この映像を見ているなら、君は扉を開けられたということだ。つまり、旧時代の登録端末を持っている。俺たちの後継者だ』
かすれた声だった。
『時間がない。要点だけ話す』
男は、咳き込んだ。手のひらに血が滲むのが見えた。
『アーガスノルン・コーポレーション。それに連なる民間企業群。奴らは今も生きている。この世界のどこかから、全部を見ている。誰がどれだけマナを持っているか。誰がどこで何を買ったか。誰がマイナスに沈んで、誰が魔物になったか』
『計量石は、ただの支払い道具じゃない。あれは、奴らの目だ』
リーネが、小さく息を呑んだ。
『そして、奴らの手先は、この世界に紛れている。ギルドに。教会に。君が信頼している誰かの隣に、奴らのスパイがいるかもしれない』
男は、身を乗り出した。
『だから、忠告する。人目のある場所で、むやみに電子機器を使うな。旧時代の端末は、奴らの監視網に必ず引っかかる。一度でも見られたら、もう追われていると思え。俺の仲間は、それで全員やられた』
背筋が、凍った。
ベルカの市場。
薬屋の前で、俺は大勢の人の前で、スマホを取り出した。少年に、1円を送った。
『俺たちは、奴らの支配を終わらせるために戦ってきた。人が、自分の命を取り戻すために。マナが、誰か管理されなくなる世界を』
男の声が、少しだけ揺れた。
『……でも、俺たちはここまでだ』
画面の外で、何かが爆ぜる音がした。
男は一瞬そちらを見て、それから、もう一度カメラに向き直った。
さっきまでの険しさが、ふっと消えていた。
『名前も知らない、君へ。ここにある物は全部、君のものだ。好きに使ってくれ』
『頼む』
『アーガスノルンによる支配を、終わらせてくれ』
映像が、途切れた。
長い沈黙だった。
最初に動いたのは、セレスだった。
壁際の骨の前に膝をつき、静かに目を閉じる。この世界の、死者への祈りの仕草だった。
「……ギルドと、教会」
目を開けたセレスが、低く言った。
「魔導院の名は、ありませんでしたね」
「見落としただけかもしれない」先輩が言った。「あるいは、名前を出すまでもなかったか」
セレスは答えなかった。
ただ、その手が、腰の細剣の柄を強く握っているのが見えた。
リーネは、俺の袖を掴んでいた。
「マコト様……ベルカの、トマくん……」
わかってる。わかってるよ。
俺は、モニターの横の端末に触れた。キーボードを叩く。
画面が切り替わる。監視ログ。
レジスタンスが盗み見ていた、通信記録の断片。
その一番新しい行に、俺は目を疑った。
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[新規] 未登録の転送を検知
場所:交易都市ベルカ/市場区画
デバイス:権限レベル不明/所有者不明
ステータス:追跡中
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日付は、二日前。
俺が、トマに1円を送った、あの瞬間だった。
「……見られてた」
先輩が、俺の肩越しに画面を覗き込んだ。
それから、ラックの影に積まれた装備を、ちらりと見た。
「田中くん」
「……はい」
「急いだ方がいい」
眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
壁際で、名前も知らない男の骨が、俺たちを見ていた。




