先輩の商会は、異世界初の銀行らしいです
館の中は、異世界とは思えないほど整っていた。
広間には長いカウンター。その向こうで、揃いの外套を着た職員たちが帳簿をつけている。
壁には大きな黒板。日付と、数字の列。上下する矢印。
「……これ、株価ボードですか」
「近いけど違う。この地方の、魔力の"貸出金利"」
先輩は歩きながら、さらりと言った。
「私が三ヶ月で作った、この世界で最初の魔力銀行だよ」
セレスの足が、ぴたりと止まった。
リーネは天井の高さに目を奪われて、半分浮きかけていた。
奥の応接室で、先輩は紅茶のようなものを淹れてくれた。
「まずは、それを貸して」
「え?」
「スマホ。8%でしょ。見ればわかる」
先輩が棚から取り出したのは、見慣れた白いケーブルと、ずっしりしたモバイルバッテリーだった。屋根のソーラーパネルから線が伸びている。
「せ、先輩……!」
コネクタを挿した瞬間、画面に稲妻のマークが灯った。
泣きそうになった。異世界に来て、一番感動した瞬間かもしれない。
先輩は小さく笑い、椅子に深く腰掛けた。
「三ヶ月前、出張先のホテルで寝て、起きたらこの国の東の端にいた。手元にあったのは、スマホと、キャンプ用に車に積んでたこのセット。それと――ラクペイ残高、1,240円」
「千二百……」
「余ったお金は全部積立に回してたからね。君と違って」
1,240円。それでも1兆2400億MP。大魔導師四人分だ。
でも、使えば減る。減れば、いずれ底をつく。
「だから最初の一ヶ月は、ほとんど使わなかった。使わずに、観察した。この世界の人がどうやって魔力をやり取りして、どこで困ってるのか」
「この世界の人は、みんな自分の魔力を"体に"持ち歩いてる。盗まれる心配はないけど、使いすぎたら終わり。そして一度マイナスに落ちた人を、引き上げる仕組みがない」
「……だから、銀行」
「そう。余ってる人から預かって、困ってる人に貸す。利子をつけて。この世界で一番足りないのは、魔力じゃなくて、魔力を"流す仕組み"だったんだよ」
セレスが、低い声で口を挟んだ。
「魔力の貸し借りは、魔導院の管轄です。認可を受けた記録はありませんが」
「ええ、知ってます。だから東の端でやってるの」
先輩はにっこり笑った。営業スマイル。俺はその顔を何度も見てきた。
「査察官さん。あなたたちの魔導院は、マイナスに落ちた人をどうしてきました?」
「…………」
「見捨てるか、魔物になる前に処分する。違います?」
セレスは答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
「この三ヶ月で、うちから魔力を借りて、マイナスから戻ってきた人が400人いる。あなたたちの記録には、一人もいなかったはずの人たちが」
会話が途切れた隙に、俺はスマホを手に取った。
電池に余裕ができた。ずっと絞っていた通知を、ようやく全部オンに戻す。
途端に、画面が震えた。止まらなかった。
『課長:田中、今どこだ』
『課長:連絡しろ』
『母:誠、会社から電話あったけど大丈夫?』
『ネトシネマ:今週のおすすめ作品』
『課長:東都電子の件で緊急会議。至急』
五日分の通知が、雪崩のように流れていく。
課長のメッセージが七件。母さんが三件。胸がちくりと痛んだ。
そして、そのいちばん下に。
俺が転移した翌日の日付で、ひとつの通知が埋もれていた。
『【マナ・プロトコル2】本日正式サービス開始! 事前登録特典を受け取ろう』
「…………え」
指が、勝手に通知をタップしていた。
圏外のはずなのに、公式のお知らせページが開いた。
キービジュアル。荒野に立つ、崩れかけた巨大な塔。その下に広がる、石造りの街並み。
『力場文明の崩壊から、数百年――』
『人類は再び、マナと共に生きることを選んだ』
スクロールする指が、震えた。
用語解説。
計量石――旧時代の力場制御端末の残骸。
大観測塔――旧時代の都市管理施設。
魔導院――崩壊後に成立した、マナ管理組織。
魔物――エネルギーを失ったマナが変質した"イビルマナ"に侵された存在。
「……イビルマナ」
声に出していた。
知っている。その言葉を、俺は知っている。
仕事帰りに毎晩のように遊んでいたゲーム。現代によく似た世界で、マナの力――力場を使って、テロリストや怪異と戦う、あのゲーム。
マナ・プロトコル。
そしてここは――その"2"。
あの世界から、数百年後の世界。
「田中くん?」
先輩の声が、遠く聞こえた。
「先輩……ここ、ゲームの世界です」
「は?」
「マナ・プロトコルです。俺が毎晩やってた、あれの続編。俺が飛ばされた翌日に、公開されてた」
俺はスマホの画面を、先輩に向けた。
崩れた塔のキービジュアル。計量石の解説。魔導院の文字。
先輩は、しばらく黙って画面を見つめていた。
「……そう。2、ね」
それだけ言って、先輩はカップを置いた。
かちり、と小さな音がした。
「あの、先輩……もしかして、知って――」
「マナ・プロトコル?」
横から、セレスが静かに割り込んだ。紫の瞳が、俺と先輩を交互に見ている。
「その言葉を、どこで」
「え?」
「それは、魔導院の最深部の書庫にだけ残る、旧時代の言葉です。"人とマナとの間に結ばれた、最初の約定"。今ではその意味を知る者は、院長猊下を含めて数人しかいない」
部屋の空気が、凍った。
リーネだけが、きょとんとした顔で、天井近くから俺たちを見下ろしていた。
「マコト様、げーむって、なんですか?」
答えられなかった。
手の中で、スマホがもう一度震えた。
『【マナ・プロトコル2】あなたへのおすすめ:新規プレイヤー向けチュートリアル「はじめての計量石」』




