その明細、身に覚えがないです
村の集会所は、生まれて初めて「査察」という言葉が似合う場所になっていた。
長机の向こうに、銀髪の査察官セレス・ヴァルト。その背後に、青マントの騎士が四人。
こちら側には、俺。それから天井付近に、心配そうに浮いているリーネ。
「改めて伺います。お名前は」
「田中誠です。会社員です」
「カイシャイン。聞かない職業ですね。どこの魔導結社ですか」
「結社というか……株式会社です」
「カブシキ」
セレスは羽根ペンを止め、紫の瞳を細めた。冗談の通じる顔ではない。
「回りくどいのは好みません。まず、こちらを」
彼女が机に広げたのは、細い銀の線が波打つ羊皮紙だった。
「王都の大観測塔が記録した、この地方の魔力の揺らぎです。通常、人ひとりの魔力が動いても、この線は震えもしない。ですが――」
白い指が、二つの山を示す。
線が、羊皮紙を突き破らんばかりに跳ね上がっていた。
「一つ目の山は、あなたがこの村に現れた夜。そして二つ目が、昨夜。合わせて、大魔導師およそ300人分。国家の総魔力を揺るがしかねない規模です」
「いや、待ってください」俺は思わず身を乗り出した。「俺が使ったのは、1円――あ、えっと、10億MPと、あとは9800億MPのサブスクだけです。大魔導師三千人分なんて――」
「サブスク?」
「それは忘れてください」
セレスは表情ひとつ変えず、羊皮紙の山の頂点を指でなぞった。
「どちらの揺らぎも、夜半過ぎに始まり、明け方まで続いています。そして日が昇ると、ぴたりと止む」
夜半過ぎに始まり、明け方に止む。
その時間帯に、妙な既視感があった。
残業帰りの電車の中で、何度も眺めた、あの時間。
「……ちょっと、いいですか」
俺はスマホを取り出した。
ラクペイの通知をタップする。『ご利用明細が更新されました』。
支払い履歴。リーネへの送金1円。ネトシネマ980円。そして、その下に――見慣れない項目があった。
【連携サービス:ラクペイ証券】
評価損益(2日間):+90,412円
「…………あ」
思い出した。
新入社員の頃、先輩に「老後は自分で守れ」と言われて、なんとなく始めた積立投資。
ラクペイ証券の、全世界株ファンド。給料から毎月二万円、自動で。
三年半、一度もアプリを開いていなかった。
そして夜半過ぎは――向こうの世界で、アメリカの株式市場が開いている時間だ。
「……ご心当たりが?」
「あります。ものすごく、あります」
俺は、できるだけ噛み砕いて説明した。
元いた世界には「株」というものがあって、会社の一部を買える。
その値段は毎日上がったり下がったりする。
俺はそれを毎月少しずつ買っていて、この二晩で、たまたま値段が上がった。
その上がった分が、9万412円。
「つまり」セレスはゆっくりと言った。「あなたの魔力は、異界の"市場"とやらに預けられていて、そこで勝手に増減している、と」
「……そういうことに、なるみたいです」
「九万円。魔力にして、九十兆」
セレスの羽根ペンが、ぴたりと止まった。
九十兆MP。大魔導師300人分。
俺がこの二日間、鶏の丸焼きを食べたり、サブスクの解約に絶望したりしている間に、遠い世界の誰かが株を買い、そのたびに俺の魔力が膨れ上がっていた。
「それで、その増えた分は今どこに?」
「アプリの中です。ほら」
画面を見せる。評価額の欄。
評価額:2,871,402円
「…………」
「…………」
集会所が、静まり返った。
二百八十七万円。
電卓を叩く指が、震えた。
2871兆4020億MP。
リーネが天井から落ちてきた。
「リーネ!?」
「す、すみません、びっくりして浮力が……!」
騎士たちは動揺し互いを見た。
セレスだけが、微動だにしなかった。
ただその紫の瞳の奥で、何かが冷たく計算を始めたのがわかった。
「タナカ・マコト。ひとつ確認させてください。その"評価額"の魔力は、今すぐ使えるのですか」
「えっと……たぶん、無理です」
画面をよく見る。評価額の横に、小さな注記があった。
『※評価額は売却・現金化するまで確定しません。魔力としてのご利用には、ラクペイ残高への出金が必要です(反映まで2〜3営業日)』
「……出金に、2〜3営業日かかるそうです」
「エイギョウビとは」
「向こうの世界の、平日のことです」
「この世界の暦と、あなたの世界の暦は一致しているのですか」
「…………わかりません」
セレスは、初めて小さく息を吐いた。呆れたのか、安堵したのか、判別できなかった。
「なるほど。使えないが、そこに在る。在るがゆえに、揺らぐたびに大観測塔を震わせる」
彼女は羽根ペンを置き、立ち上がった。
「あなたの身柄は、王国魔導院の監視下に置きます。拒否は――お勧めしません」
「ま、待ってください! マコト様は村を救ってくれたんです!」
リーネが俺の前に飛び出す。まだ少し浮いたまま。
「存じています」セレスは淡々と言った。「だからこそ、です。この男がもし悪意ある者の手に渡れば、一国どころではない。それに――」
彼女は、俺のスマホに視線を落とした。
「上がるものは、いずれ下がる。あなたはそう説明しましたね」
背筋が凍った。
そうだ。株は、下がる。
上がった分が魔力になるなら、下がった分は――
「次に揺らぐのは、今夜の夜半過ぎ。その時あなたの魔力がどちらへ動くか、私はこの目で確かめます」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その夜。
集会所の一室に、俺は軟禁された。扉の外には騎士が二人。窓の外には、なぜか浮いて見張りをしているリーネ。
そして部屋の隅の椅子に、セレス・ヴァルトが腕を組んで座っていた。
「……査察官さんも、ここで夜を明かすんですか」
「観測に最も適した位置ですので」
会話が続かない。
充電残量:18%
電池を気にしながら、俺は画面を伏せて待った。
窓の外で、二つの月がゆっくりと傾いていく。
夜半を、過ぎた。
スマホが、震えた。
『【ラクペイ証券】ご登録の銘柄に大きな値動きがありました』
恐る恐る、画面を返す。
評価損益の数字が、生き物のように点滅していた。
+90,412円
+61,200円
+23,847円
−4,115円
−38,902円
赤い数字。
「な、なんで、下がって……!」
ニュース速報のプレビューが、画面の上部を流れていく。圏外のはずなのに、なぜかそれだけは届く。
『【速報】米国市場、寄り付きから急落――』
「マコト様っ!」
窓の外でリーネが叫んだ。
腕に違和感を感じた。
皮膚の下で何かが蠢いた気がした。
部屋の隅で、セレスが静かに立ち上がる。
その手には、抜き身の細剣が握られていた。




