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サブスクの解約が面倒くさいです

 異世界二日目の朝は、窓を叩く音で始まった。


 コン、コン。


 客間の窓の外に、リーネが浮いていた。

 地上二階の高さに。笑顔で。


「おはようございます、マコト様! 朝ごはんできてますよ!」


「……おはよう。あと、普通に玄関から来てくれると助かる」


「それが、降りられなくて」


「えっ」


「体の中が、ずっとお祭りみたいなんです。ふわふわして、勝手に浮いちゃうんです」


 彼女は申し訳なさそうに、空中で頭を下げた。そのまま一回転した。


 昨日、婆さんが教えてくれた話を思い出す。

 リーネは村の結界を張り直すために魔力を使い果たし、さらにその先――マイナス2000万MPまで沈んでいたらしい。


 マイナスの魔力。

 ゼロを割っても、人はすぐには魔物にならない。どこまで耐えられるかは人それぞれで、本人にもわからない。わかるのは、限界を越えた瞬間に「堕ちる」ということだけ。


 そこへ俺が1円――10億MPを送った。

 差し引き、約9億8000万MP。この世界の平均魔力が200万だから、常人の五百倍近い魔力が、十六歳の少女の中で今もお祭り騒ぎをしているわけだ。


「……そりゃ浮くよな」


 朝食は村長の家でいただいた。


 というか、食卓に乗り切らなかった。


「マコト様、こちら村一番の鶏でございます」

「マコト様、秘蔵の蜂蜜酒を」

「マコト様、うちの畑で一番大きいカブを」


「いや、あの、普通の量で大丈夫です」


 村人たちが入れ替わり立ち替わり、貢ぎ物を置いていく。

 昨日まで「スーツを着た変な男」だった俺は、一夜にして「天から降りた奇跡の魔導士」に格上げされていた。


 悪い気はしない。

 悪い気はしないが、今の俺にはもっと切実な問題があった。


 スマホを取り出す。


 残高:36,303円


 昨夜のサブスク引き落としで980円。9800億MP。

 この国一番の大魔導師が3000億MPらしいから、大魔導師三人分が、見たこともない動画サービスの月額料金に消えた計算になる。


「……解約しなきゃ」


 俺は鶏の丸焼きを横目に、決意を固めた。


 まず、電池だ。


 画面の明るさを最低に。低電力モード、オン。バックグラウンド更新、全部オフ。


「マコト様、その光る板、なんだか苦しそうですね」


 リーネが天井付近から覗き込んでくる。


「わかる? こいつの体力みたいなのが、残り22%しかないんだ」


「じゃあ私が雷の魔法で――」


「やめて! 絶対にやめて! たぶん爆発する!」


 異世界の魔法とリチウムイオン電池の相性なんて、試したくもない。


 次に、解約だ。


 ラクペイのアプリを開く。設定、支払い管理、定期支払い。

 あった。一覧に、見慣れた名前が2つ並んでいる。


・ネトシネマ 月額980円

・音楽配信サービス 月額480円


 合計1,460円。毎月、1兆4600億MP。

 大魔導師5人分の魔力を、俺は毎月捧げていたらしい。


 停止ボタンを押す。


『音楽配信サービスの定期支払いを停止しました』


「よし……!」


 そしてネトシネマ。


『このサービスは、提供元のWebサイトから解約手続きを行ってください』


「…………は?」


 リンクをタップする。ブラウザが立ち上がる。


『ページを表示できません。インターネットに接続されていません』


 画面の左上を見る。


 圏外。


「いや、おかしいだろ!!」


 思わず叫んだ。


 圏外なのに、昨夜の引き落としは通った。

 圏外なのに、リーネへの送金はできた。

 なのに解約だけは、ネットに繋がらないとできない。


「入るときはワンタップ、辞めるときは迷路……異世界に来てまでこれかよ……」


 世の中の理不尽というのは、どうやら世界をまたいでも共通らしい。


 次回の引き落としは、30日後。

 それまでに解約できなければ、また大魔導師3人分が消える。


 昼過ぎ、俺は鑑定士の婆さんの家を訪ねた。


「兄ちゃん自身の魔力を、もう一度見せとくれ」


 婆さんは水晶玉に俺の手をかざさせ、しばらく唸った。


「……やっぱりじゃ。何も映らん」


「何も、ですか?」


「普通はな、どんな赤ん坊でも、多い少ないの光が見える。マイナスに沈んだ者なら、暗い渦が見える。じゃが兄ちゃんは――空っぽじゃ。水晶が、兄ちゃんを"数えられん"と言うとる」


 婆さんは、俺のスマホをちらりと見た。


「兄ちゃんの魔力は、たぶん全部、その板の中にある」


 ぞくり、と背筋が冷えた。


 つまり俺の命は、このスマホの残高に預けられている。

 残高が減れば魔力が減る。ゼロになれば――


 その先は、考えたくなかった。


「ひとつ、聞いてもいいですか」


「なんじゃ」


「この板の電池が切れたら……俺、どうなると思います?」


 婆さんは長いこと黙っていた。

 それから、静かに首を振った。


「わからん。じゃが、試すんじゃないよ。絶対にな」


 夕暮れ。村の外れの丘で、俺はリーネと並んで座っていた。

 正確には、俺が座って、リーネは隣で三十センチ浮いていた。


「マコト様は、どこから来たんですか?」


「東京って街。毎日満員電車に乗って、頭下げて、夜遅くに帰って、コンビニの弁当食べて寝る。そんな毎日だったよ」


「まんいんでんしゃ……?」


「人間をぎゅうぎゅうに詰めた、鉄の箱」


「拷問ですか!?」


「似たようなもんかな」


 リーネは真剣に怯えた顔をして、それから、ふわりと笑った。


「でも、マコト様は私を助けてくれました。村の誰も、私のマイナスを埋められなかったのに」


「たまたまだよ。たまたま、この板が使えただけ」


「たまたまでも、です」


 彼女は空中で姿勢を正し、まっすぐ俺を見た。


「だから、今度は私がマコト様を助けます。その板の体力も、解約……? っていうのも、きっと何か方法があるはずです!」


 解約の意味はたぶんわかっていない。

 でも、その言葉は少しだけ、胸に沁みた。


 そのときだった。


 丘の向こう、街道の先から、砂煙が上がった。

 馬だ。それも一頭や二頭じゃない。銀の鎧に、青いマント。旗には、杖と星の紋章。


 リーネの顔から、血の気が引いた。


「あの紋章……王国魔導院です」


「魔導院?」


「国中の魔力を管理している人たちです。一昨日の夜、村から光の柱が立ったから……たぶん、王都からも見えたんだと思います」


 先頭の騎馬が、丘の下で止まった。

 フードを外したのは、銀髪の女性だった。冷たい紫の瞳が、まっすぐ俺を――いや、俺の手の中のスマホを射抜いた。


「王国魔導院、第三査察官セレス・ヴァルトです」


 澄んだ声が、夕暮れの空気を切り裂く。


「三日前、この地で大魔導師300人分に相当する魔力反応を観測しました。――その発生源を、ご同行願います」


 大魔導師300人分。

 ……1円で、大魔導師三人分。俺の1円は10億だから……いや、計算が合わない。


 俺が使ったのは、リーネへの1円と、サブスクの980円だけのはずだ。


 手の中で、スマホが小さく震えた。


『【ラクペイ】ご利用明細が更新されました』

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