第五章 映画学校
高校を卒業する頃には、わたくしの中で進路は既に定まっていた。
父と同じ道を歩む。
それ以外の選択肢を、考えたことすらなかった。
進学先に選んだのは、世界最高峰と称される映画大学だった。
国内外から、映像表現を志す若者たちが集まってくる。
合格通知を受け取った日、父は珍しく表情を緩めた。
「自分の力で入ったんだ」
「誇っていい」
その短い言葉が、何よりも嬉しかった。
これまで父からの推薦や口利きは、一切なかった。
すべて、わたくし自身の力で勝ち取ったものだった。
入学式の日、キャンパスを歩きながら、わたくしは周囲を見渡した。
同級生たちは、誰もが映画への情熱を瞳に宿していた。
ある者は熱心に古典映画について語り、ある者は最新の撮影機材について議論している。
誰もが、根っからの映画好きだった。
授業が始まると、その熱量にさらに圧倒されることになった。
同級生たちは、何百本という映画を見て育ってきている。
監督の名前、作品の年代、撮影技法。
そうした知識を、当然のように語り合う姿に、わたくしは最初戸惑いを覚えた。
けれど、わたくしにはわたくしの強みがあった。
それは、人生経験だった。
同級生たちの多くは、恵まれた家庭で育ち、平穏な日々を過ごしてきている。
彼らが知る「絶望」や「裏切り」は、あくまで映画の中の出来事に過ぎない。
けれど、わたくしには、前世という形で、それらを実際に経験した記憶がある。
授業の課題で短編脚本を書いた時、その違いがはっきりと表れた。
教授は、わたくしの提出した脚本を読み、しばらく沈黙した後、こう言った。
「君の書く人物には、痛みがある」
「これは、教えて身につくものじゃない」
クラスメイトたちからも、似たような評価を受けることが増えていった。
技術的には未熟な部分もあったが、人物描写の説得力だけは、誰にも引けを取らないと言われた。
二年目に入ると、実技の授業で短編映画の制作が始まった。
わたくしは、脚本だけでなく、撮影や編集にも自ら携わった。
幼い頃から撮影所で培ってきた技術が、ここで存分に発揮された。
制作した短編は、孤独な少女が、誰にも理解されない苦しみを抱えながら、それでも前を向こうとする物語だった。
直接前世の体験を描いたわけではない。
けれど、そこに込めた感情は、紛れもなく本物だった。
完成した作品は、学内の上映会で高く評価された。
その後、世界的な学生映画祭にエントリーすることになり、見事に賞を獲得した。
授賞式の様子を写真に収め、父に見せに行った日のことを覚えている。
父は写真を一瞥し、それから静かに言った。
「映像は上手い」
褒め言葉だと思い、わたくしの胸は高鳴った。
けれど、父の言葉には続きがあった。
「だが、まだ人生を撮れていない」
わたくしは、写真を握りしめたまま、父を見つめた。
「これは……人生を描いた作品ではないのですか」
問いかける声が、わずかに震える。
父は腕を組み、ゆっくりと首を振った。
「描いたのは、人生の断片だ」
「お前が本当に撮るべきものは、まだその先にある」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
学生映画祭での受賞は、わたくしにとって大きな自信になっていた。
けれど、父の評価は、いつもそれより一歩先を見ていた。
「断片では足りないということですか」
わたくしの問いに、父は静かに頷いた。
「お前の中には、まだ語っていない物語がある」
「それを、お前自身が分かっているはずだ」
その瞬間、わたくしの心臓が大きく跳ねた。
父は、何か気づいているのだろうか。
わたくしの中にある、前世の記憶のことを。
けれど、父はそれ以上、深くは追及しなかった。
ただ、わたくしの肩に軽く手を置き、それだけだった。
「焦らなくていい」
「いつか、撮りたいものが見えてくる」
その夜、寮の自室に戻ったわたくしは、ベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。
父の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
語っていない物語。
それが何を指すのか、わたくし自身は、痛いほどよく分かっていた。
婚約破棄。
公開処刑。
誰にも届かなかった、最後の願い。
それらすべてを、まだ一度も、物語として形にしたことはない。
けれど、それを描くことには、大きな恐怖が伴った。
あの夜の記憶を、再び自分の中で呼び起こすこと。
処刑台に立った時の絶望を、もう一度言葉にすること。
それは、想像するだけで、胸が締め付けられるような痛みを伴った。
それでも、とわたくしは思う。
父の言葉が、心の奥底で何かを動かし始めていた。
映画は、人間を映す仕事だ。
父はそう言っていた。
ならば、わたくしが本当に映すべき人間は、誰よりも、わたくし自身に他ならない。
窓の外には、キャンパスの灯りが、ぽつぽつと光っていた。
同級生たちは、それぞれの夢を追いかけながら、夜遅くまで作品作りに励んでいる。
わたくしもまた、自分の中にある物語と、いつか向き合わなければならない。
その日が来るのは、おそらくそう遠くない未来のことだろう。
そんな予感を抱きながら、わたくしは静かに目を閉じた。
前世の記憶が、夢の中で再び鮮やかに蘇る。
それは、もはや恐怖だけの記憶ではなくなっていた。




