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第四章 人生は教えられない

小学校に入学してからも、わたくしの撮影所通いは続いた。

学校が終わると、運転手に迎えに来てもらい、まっすぐ現場へと向かう。

それが、わたくしにとっての日常になっていた。

カメラの操作も、少しずつ教えてもらえるようになった。

撮影監督が、休憩時間を使って基礎を教えてくれる。

レンズの選び方、構図の取り方、光の捉え方。

覚えることは無限にあるように思えたが、わたくしはそのすべてを貪欲に吸収していった。

 

「美月ちゃんは筋がいいね」

 

撮影監督は、そう言って笑った。

わたくしの構えるカメラのファインダーを覗き込み、感心したように頷く。

 

「構図のバランス感覚が、もう出来上がってる」

「普通、これは何年もかけて身につけるものなんだけどな」

 

褒められることは嬉しかった。

けれど、わたくしの中には、それだけでは満たされない何かがあった。

編集室にも、頻繁に出入りするようになった。

父の長年の右腕である編集者が、フィルムの繋ぎ方を見せてくれる。

同じ素材でも、繋ぎ方一つで、まったく違う印象に仕上がる。

その面白さに、わたくしは夢中になった。

照明の使い方も覚えた。

光の角度一つで、人物の表情の見え方が劇的に変わる。

悲しみを強調する光、希望を感じさせる光。

撮影所のスタッフたちは、皆それぞれの技術を惜しみなく教えてくれた。

しかし、唯一褒められない分野があった。

それが、脚本だった。

母が脚本家であることもあり、わたくしも自然と脚本を書くようになっていた。

学校の作文の授業で書いたものを、家で母に見せたこともある。

構成はしっかりしているし、文章も整っている。

けれど、母の反応はいつも同じだった。

 

「美月、悪くはないんだけど……」

 

母は、原稿用紙を見つめながら、困ったような表情を浮かべる。

 

「何かが、足りないのよね」

 

その「何か」が何なのか、母自身もうまく言葉にできないようだった。

わたくしは、自分の書いたものを何度も読み返した。

構成も、論理も、間違っているとは思えない。

それなのに、何かが決定的に欠けている。

ある夜、夕食の席で、父が珍しくわたくしの脚本に目を通した。

何枚かのページをめくり、最後にそれを静かにテーブルへ置いた。

 

「お前の登場人物は、喋っているだけだ」

 

その言葉は、わたくしの胸に重く突き刺さった。

 

「どういう、意味でしょうか」

 

声が震えた。

父は箸を置き、わたくしを見据えた。

 

「セリフは正しい。状況も整理されている」

「だが、そこに人間がいない」

 

わたくしは、言葉の意味を理解しようと必死になった。

人間がいない、とはどういうことなのだろう。

登場人物には、名前も性格も設定してある。

それなのに、なぜそう言われるのか分からなかった。

父は続けた。

 

「人はそんなに簡単に、本音を言わない」

 

その一言が、わたくしの中で何かを揺さぶった。

 

「人は隠す。誤魔化す。本当のことから目を逸らす」

「お前の登場人物は、思っていることをすべてセリフにしている」

「それは、現実の人間とは違う」

 

わたくしは、何も言い返せなかった。

父の言葉は、正しいと感じたからだ。

けれど、では一体どうすればいいのか、その答えはまだ見えなかった。

その夜、自室に戻ったわたくしは、前世の記憶を思い返していた。

婚約破棄を告げられたあの夜会の場面が、自然と蘇ってくる。

あの時、わたくしは何を考えていたのだろう。

表面上は、無実を訴えていた。

けれど、その奥には、もっと複雑な感情が渦巻いていたはずだ。

セドリック様への失望。

信じていた人々への怒り。

そして何より、誰にも理解されないことへの、深い孤独。

それらすべてを、わたくしはあの時、言葉にすることができなかった。

口に出したのは、ほんの一部の感情に過ぎない。

本当に伝えたかったことは、心の奥底に沈んだまま、誰にも届かなかったのだ。

そこで、わたくしは初めて気づいた。

脚本に必要なのは、セリフそのものではない。

セリフの裏に隠された、語られない感情なのだと。

涙が、自然とこぼれ落ちた。

前世の記憶が、これほどまでに鮮明に蘇ったのは久しぶりのことだった。

処刑台の上で叫んだ言葉と、心の中で叫んでいた本当の言葉。

その二つの間にある、埋めようのない隔たり。

わたくしは机に向かい、再び原稿用紙を広げた。

今度は、登場人物にすべてを語らせなかった。

言葉にできない感情を、沈黙や仕草、視線の動きで表現してみる。

書き終えた時には、夜が更けていた。

窓の外には、月が静かに輝いている。

書き上げた原稿を読み返すと、これまでとは何かが違うように感じられた。

翌日、その原稿を母に見せた。

母は、ゆっくりとページをめくっていった。

読み終えると、しばらく無言のまま、原稿用紙を見つめていた。

 

「美月、これ……」

 

母の声が、わずかに震えていた。

 

「何があったの」

 

わたくしは、答えに詰まった。

前世のことを話すわけにはいかない。

ただ、静かに答えた。

 

「人は、本当のことを簡単には言わないと、気づいただけです」

 

母は、わたくしの頭をそっと撫でた。

その手のひらの温もりが、胸に染み渡っていく。

 

「成長したのね」

 

母の目には、わずかに涙が浮かんでいるように見えた。

わたくしは、その言葉の意味を、深くは聞かなかった。

ただ、自分の中で何かが大きく変わったことだけは、確かに感じていた。

その日以降、わたくしの書く脚本は、少しずつ変わっていった。

登場人物に、語らせすぎないこと。

沈黙の中にこそ、真実があること。

それを意識するようになってから、母の評価も徐々に変わっていった。

人生は、誰かに簡単に教えられるものではない。

それは、自分自身で経験し、痛みとともに学ぶしかないものなのだろう。

前世での絶望が、今世でのわたくしの糧になっている。

そのことに気づいた時、わたくしは少しだけ、自分の過去と和解できたような気がした。

窓の外の月を見上げながら、わたくしは静かに誓った。

いつか、この経験のすべてを、一つの物語に込めるのだと。

その日が来るまで、もっと多くのことを学ばなければならない。

夜の静けさの中で、わたくしの決意は、確かなものになっていった。














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