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第十七章 神々の上映会

カンヌから帰国した後、しばらくの間、わたくしの生活は嵐の中にあった。

受賞のニュースは瞬く間に広がり、国内外のメディアからの取材依頼が殺到した。

プロデューサーの電話は鳴り止まず、配給の打ち合わせが連日続いた。

パルム・ドールという言葉が、わたくしの名前の前に常についてまわるようになった。

それでも、騒ぎが少し落ち着いた頃、わたくしは奇妙な感覚を覚えるようになった。

映画が、自分の手を離れて、どこか遠い場所へ旅立ってしまったような感覚である。

作り終えた時も、試写会の時も、カンヌの時も、映画は常にわたくしの手の届く場所にあった。

けれど、ある夜を境に、何かが変わった気がした。

きっかけは、夢だった。

その夜見た夢は、これまでの前世の夢とは、まるで質が違っていた。

前世の夢は、いつも地に足のついた感覚がある。

処刑台の石の感触、夜会の燭台の光、牢の冷たさ。

体感を伴う、生々しいものだった。

けれどその夜の夢は、もっと広く、もっと高い場所から見下ろすような映像だった。

夢の中に、巨大な空間があった。

天井も、床も、壁もない。

あるのは、無限に広がる暗闇と、その中心に浮かぶ、柔らかな光だけだった。

その光の中に、映画館のような場所があった。

異世界の夜会で見るような絢爛な装飾ではなく、かといって現代の映画館とも違う。

もっと根源的な何かで作られた空間、と夢の中のわたくしは感じた。

ただ、そこに椅子があり、スクリーンがあった。

そのスクリーンに映し出されていたものが、わたくしの映画だった。

夢の中で、わたくしはその空間の隅に立っていた。

椅子には、人の形をした何者かが座っている。

人間に近い姿をしているが、人間ではないと直感的に分かった。

その存在が醸し出す空気が、あまりにも深く、あまりにも静かで、人のものではなかったからだ。

スクリーンでは、処刑台の場面が流れていた。

主演女優が、最後の言葉を告げている。

 

「誰か……わたくしの話を、聞いてください」

 

その声が、夢の空間に響いた。

椅子に座る存在が、静かに動いた。

スクリーンから視線を外すことなく、その存在はゆっくりと立ち上がった。

夢の中でわたくしは、その存在の言葉を聞いた。

声、というより、空間そのものが震えるような感覚だった。

 

「これほど魂が映った映画は、初めてだ」

 

それだけだった。

その一言の後、夢は終わった。

目が覚めた時、窓の外は白み始めていた。

全身に、薄い汗をかいていた。

前世の夢を見た時の重さとは違う、不思議な疲労感があった。

夢の内容を、手帳に書き留めた。

これまで前世の記憶に関する夢は何十回と見てきたが、あのような夢は初めてだった。

理由は分からないが、ただの夢だとは思えなかった。

その日の夕方、わたくしは父の書斎を訪ねた。

手帳を見せながら、夢の内容を話した。

父は、腕を組んだまま、黙って聞いていた。

話し終えると、父は天井を一度見上げた。

それから、低い声でつぶやくように言った。

 

「映画は、撮った人間の想像を超えた場所へ行くことがある」

 

その言葉の意味を、わたくしはすぐには理解できなかった。

 

「どういう意味でしょうか」

 

問い返すと、父はわたくしを見た。

 

「映像というのは、フィルムに焼き付けた瞬間から、監督のものではなくなる」

「観客のものになる」

「それは、人間だけが観客とは限らない」

 

その言葉を、わたくしは胸の中で転がした。

その夜もまた、夢を見た。

今度は、より鮮明だった。

夢の空間は、前の夜と同じ場所だった。

けれど今度は、あの存在だけでなく、もっと多くの何者かがいた。

数えられないほどの存在が、スクリーンの前に集まっている。

エンドロールが流れ始めていた。

夢の中のわたくしは、その空間の片隅から、じっとその光景を見守っていた。

エンドロールが終わると、しばらくの沈黙があった。

最初に口を開いたのは、中心の椅子に座っていた存在だった。

 

「これは記録ではない」

 

深く、静かな声だった。

 

「魂の記憶だ」

 

その言葉に、周囲の存在たちが応えるように動いた。

 

「この映画を、あの世界へ届けよう」

 

あの世界、という言葉に、わたくしの胸が跳ねた。

夢の中でありながら、それが何を意味するのか、直感的に分かった気がした。

前世の、今の私からしたらあの異世界のことだ。

翌朝、わたくしは二日続けて見た夢を手帳に書き留めながら、頭の片隅で考えていた。

これは、本当にただの夢なのだろうか。

前世の記憶が、夢という形を借りて何かを伝えようとしているのだろうか。

答えは出なかった。

けれど、その問いが頭から離れなかった。

それから数日後のことだった。

わたくしは、配給の打ち合わせを終えて帰宅する途中、ふと足を止めた。

理由は分からない。

ただ、夕暮れに染まる空を見上げた瞬間、胸の奥に奇妙な感覚が走った。

温かくもなく、冷たくもない。

懐かしいとも、怖いとも言えない。

ただ、何かが動いているという確信だけが、静かに体の中心に宿った。

その感覚を、うまく言葉にすることはできなかった。

けれど、後になって思えば、あの瞬間がそれと重なっていた。

後にわたくしが神によって異世界へ招かれ、そこで見聞きすることになる出来事の数々。

その始まりは、おそらく、あの夢の中の決定からだったのではないかと思っている。

神々が映画を見た。

そして、その映画を異世界へ届けることを決めた。

どのような形で上映されたのかは、後でわたくしが目にすることになる。

しかしその時のわたくしには、まだその詳細は分からなかった。

ただ、夢の中で聞いた言葉だけが、胸の中に残り続けていた。

魂の記憶だ。

その言葉の意味を、わたくしは静かに噛み締めた。

前世のリリアーナとして生き、誰にも話を聞いてもらえないまま死んでいった。

その魂の記憶が、映画という形になった。

そして今、それが想像を超えた場所へと旅立った。

映画は、撮った人間の想像を超えた場所へ行くことがある。

父の言葉が、改めて胸に響いた。

もし、あの夢が現実を映したものであれば、映画は今、神々の手によって、前世の世界へと上映されていることになる。

あの王城の、あの広場の、あの人々の前に。

セドリック様も、エルフィーネも、わたくしの父も。

みんなが生きていたあの世界で、わたくしの映画が流れている。

その想像は、恐怖よりも、不思議な静けさをもたらした。

前世では誰にも届かなかった声が、今度は空から降り注いでいる。

そのイメージが、夕暮れの空と重なって見えた。

自宅へ向かう道を歩きながら、わたくしは前世の人々のことを思った。

あの世界の民は、突然空に映し出された映像を見て、どう感じるだろう。

信じるだろうか。

拒絶するだろうか。

答えは、まだ分からない。

けれど、届いているのだということだけは、あの夢が教えてくれていた。

夜、自室の窓から空を見上げた。

今夜は雲が多く、星は見えない。

けれど、雲の向こうに星があることは変わらない。

見えなくても、そこにある。

前世の世界は、今のわたくしには見えない場所にある。

けれど、確かに存在していて、今この瞬間も、何かが起きているのかもしれない。

映画は、もうわたくしの手の届かない場所へ旅立った。

その先で何が起きるかは、わたくしには分からない。

それでも、不思議と不安はなかった。

映画は、ひとりで立つことができる。

父の言葉が、また頭の中で響く。

そうだ。

この映画は、もうわたくしがいなくても、自分の言葉を語り続けることができる。

スクリーンの上で、あの日のリリアーナが、今夜もどこかで叫んでいる。

誰か、話を聞いてください。

その声は今、異世界の夜空に、静かに降り注いでいるはずだった。

眠りにつく前、わたくしは手帳を開き、二つの夢の記録を読み返した。

これほど魂が映った映画は、初めてだ。

その言葉を指でなぞる。

前世では誰にも届かなかった声が、神々の耳にまで届いた。

その事実を噛み締めながら、わたくしはそっと手帳を閉じた。

明日もまた、取材と打ち合わせが続く。

それでも、どこか遠い場所で何かが動き始めているという確信が、わたくしの胸の中に静かに宿っていた。













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