第十八章 真実の証明
夢を見るようになったのは、カンヌから帰国してしばらく経った頃からだった。
最初は、前世の記憶が蘇るいつもの夢だと思っていた。
けれど、その夢は明らかに、これまでのものとは違っていた。
前世の夢は、わたくしが経験した出来事を再生するものだった。
婚約破棄の夜会、裁判、処刑台。
それらはすべて、わたくし自身の記憶に根ざしていた。
しかし新しい夢の中では、わたくしはただの観察者だった。
自分が経験していない場面が、映画のように展開していく。
そして、その舞台となっているのは、まぎれもなく前世のあの王国だった。
最初にその夢を見たのは、秋も深まった夜のことである。
夢の中の王国は、昼だった。
城下町の広場に、見たことのない巨大なスクリーンが出現していた。
透明な光で出来たような、薄く輝く幕が、空中に浮かんでいる。
広場には、民衆が集まっていた。
貴族も、商人も、農民も、身分の違いを無視するように、ごった返していた。
そのスクリーンに映し出されていたのは、わたくしの映画だった。
夢の中のわたくしは、それを上空から見下ろしている。
まるで鳥になったように、広場全体を眺めることができた。
民衆が、スクリーンを見上げて固唾を呑んでいる様子が、はっきりと見えた。
映画の婚約破棄の場面が流れると、広場にどよめきが走った。
裁判の場面では、民衆の顔に困惑の色が広がっていく。
処刑の場面に差し掛かった時、あちこちで泣いている人の姿があった。
夢から目覚めた時、わたくしは深く息を吐き出した。
前世の世界に映画が届いている。
神々の上映会の夢で見た通りのことが、起きているのだと直感した。
その後も、夢は毎晩続いた。
少しずつ、映っている場面が変わっていく。
映画の上映が終わった後の場面が、夢の中に現れるようになった。
ある夜の夢の中で、王城の一室が映し出された。
見覚えのある部屋だった。
かつてセドリック様と話したことのある、小さな応接間に似ていた。
その部屋で、複数の貴族たちが、慌ただしく書き物を焼こうとしていた。
何かを隠滅しようとしているのだと、夢の中のわたくしには分かった。
しかし、扉が激しく叩かれ、騎士たちが雪崩れ込んできた。
翌朝、その夢を手帳に書き留めながら、わたくしは胸の高鳴りを抑えられなかった。
さらに数日後の夢では、映画に描いた密談の場面が、現実の王国でも問題になっていることが見えた。
映画の中で、セドリック様とエルフィーネが密かに会っていた場所、時刻、交わした言葉。
それらが、あまりにも正確だとして、証人を名乗り出る者が現れていた。
映画に描かれたその密会の日時が、実際の記録と一致していたというのだ。
続く夜の夢では、毒薬の件が明るみに出る場面が映し出された。
映画の中で、エルフィーネを狙った毒薬の入手経路として描いたルートが、現実でも同じ経路で購入された記録が残っていたという。
それを突き止めた調査官たちが、顔を見合わせている場面が、夢の中に鮮明に映っていた。
次の夜は、賄賂の受け渡し場所についての夢だった。
わたくしが映画の中で描いた、城の厩舎の裏手にある石壁の窪み。
そこが実際に使われていたことを示す証拠が、発見されたという場面だった。
調査官の一人が、驚いた顔で言っていた。
「この映画は、なぜここまで正確なのだ」
その声が、夢の中に響いた。
そして、決定的な夢を見たのは、それからしばらく後のことだった。
夢の中の王城は、夜だった。
松明の光が、石造りの廊下を照らしている。
騎士たちが、城の地下へ向かっていった。
映画の中に、わたくしはある場面を描いていた。
主人公が処刑される前、偽証を命じた部屋として、城の地下の隠し部屋を登場させた場面だ。
前世の記憶の中に、うっすらと残っていたものを、映像として再現したのである。
その部屋は、城の公式な図面には存在しないはずのものだった。
少なくとも、わたくしが知る限りではそうだった。
だからこそ脚本に書いた時、母から問われたことがある。
「この部屋、本当に存在するの?」
その時のわたくしは、「記憶にある気がする」とだけ答えたのだった。
夢の中で、騎士たちは地下通路の奥へと進んでいった。
長い廊下の突き当たり、石壁の一部が、他とは微妙に異なる積み方をされていた。
騎士たちが、その壁を調べ始めた。
しばらくすると、壁の一部が動いた。
その奥に、小さな部屋があった。
夢の中のわたくしは、その光景を上から見下ろしていた。
部屋の中には、文書が保管されていた。
偽証を命じた記録、証人に渡した報酬の帳簿、計画の詳細を記した書面。
それらが、封印されたまま残されていた。
騎士の一人が、震える手でその文書を開いた。
「……これは」
その顔が、蒼白になっていくのが見えた。
目が覚めた時、まだ夜明け前だった。
わたくしは、暗い天井を見つめながら、体が震えていることに気づいた。
寒さではなく、興奮と、それ以上に言いようのない感情が、全身を揺らしていた。
あの部屋が、実在したのだ。
映画を作る時、わたくしは前世の記憶を頼りに脚本を書いた。
隠し部屋の存在は、確かな記憶というよりも、かつて何かで見たような、霧がかかった感覚に近いものだった。
だからこそ、確信を持てずにいた。
しかし、夢が見せてくれた光景は、その部屋が確かに存在したことを告げていた。
手帳を手に取り、夢の内容を書き留めた。
手が震えて、文字が乱れた。
翌日、わたくしは取材の合間を縫って父の書斎を訪ねた。
夢の内容を、改めてすべて話した。
父は、いつも通りの表情で聞いていたが、目の奥に、普段とは違う光があるように見えた。
話し終えると、しばらくの沈黙があった。
「映画は、真実を映せるか」
父が、静かに言った。
それは問いかけでもあり、独り言のようでもあった。
「映画は嘘をつく。だからこそ、真実を映せる」
父の口癖を、わたくしは口の中で繰り返した。
この言葉の意味が、今ほどリアルに感じられたことはなかった。
フィクションとして作った映画の中に、現実の真実が映り込んでいた。
それは、わたくしが前世で生きた記憶が、映像の中に染み出していたからだろう。
意識していなかった記憶でさえ、カメラは拾っていた。
映画とは、そういう力を持つものなのかもしれない。
その夜もまた、夢を見た。
今度の夢は、王城の謁見の間だった。
国王と、主要な貴族たちが集まっている。
その場に、セドリック様の姿があった。
年を経て、わたくしの記憶より少し大人びているが、面影は残っている。
彼の表情は、硬く強張っていた。
調査官が、発見された文書の内容を読み上げていた。
謁見の間に、重苦しい空気が流れている。
セドリック様が、立ち上がった。
「偶然だ!」
その声が、夢の中に響き渡った。
「映画が当てずっぽうに書いた内容が、たまたま一致したに過ぎない」
「あの映画は、別の世界の人間が作ったフィクションだ」
「そんなものに、なぜ振り回されなければならない!」
声は大きかったが、どこか必死さを帯びていた。
その目の奥に、かつてわたくしが知っていた冷静さはなく、焦りの色が滲んでいた。
謁見の間がざわついた。
貴族たちが、互いに顔を見合わせている。
その時、別の騎士が扉を開けて駆け込んできた。
息を切らしながら、調査官に何かを耳打ちした。
調査官の顔色が変わった。
「ただいま、映画の中に描かれた地下の部屋から、さらなる文書が発見されました」
その一言で、謁見の間が静まり返った。
「書面には、証人への口裏合わせを命じた指示書が含まれており、署名が確認されております」
セドリック様の顔が、白くなっていくのが見えた。
エルフィーネは、傍らで視線を落としたまま、微動だにしなかった。
夢はそこで終わった。
目が覚めた時、わたくしはしばらく動けなかった。
胸の中に、複雑な感情が渦巻いていた。
怒りでも、悲しみでも、復讐の喜びでもなかった。
もっと静かな、しかし深いものだった。
真実が、ようやく光の中に出てきた。
その実感だけが、胸の奥に静かに満ちていた。
手帳を開き、昨夜の夢を書き留めながら、わたくしは前世のリリアーナのことを思った。
処刑台の上で、誰も聞いてくれなかった最後の言葉。
あの日誰にも届かなかった真実が、今、映画という形を借りて、前世の世界に届いた。
映画が描いた密談の日時、賄賂の受け渡し場所、毒薬の隠し場所、偽証を命じた部屋。
それらすべてが、現実に実在した。
王国の人々は、その事実と向き合わなければならなくなった。
窓の外には、冬の朝の光が差し込んでいた。
澄んだ光が、部屋の床に長い影を作っている。
この先、前世の世界でどのようなことが起きるのか、まだ分からない。
けれど、動き始めた流れは、もう誰にも止められないだろう。
その確信だけが、静かに胸の中心にあった。
この映画を作ってよかったと、心の底から思った。
どれほど苦しくても、痛くても、向き合い続けてよかった。
前世のリリアーナが誰にも届けられなかった声を、映画は届けてくれた。
それも、現代の観客だけでなく、前世の世界にまで。
窓の外の光を受けながら、わたくしは静かに手帳を閉じた。
次に何が来るとしても、受け止める覚悟はできていた。
この物語は、まだ終わっていない。
そんな予感が、胸の奥で静かに燃えていた。




