第38話 折れた刀と、決死の防衛線
空気が焼け焦げ、肺を刺すようなオゾンと硫黄の匂いが火口を満たす。
星喰いの竜の巨大な顎から、極度に圧縮された青白い閃光――すべてを原子レベルで消し炭にする超高熱の『竜のブレス』が解き放たれた。
だが、千代女は逃げない。
硬い岩盤を蹴り割り、爆発的な脚力で、迫り来る光の奔流へと真っ直ぐに踏み込んだ。
極限まで沈み込んだ低い姿勢。そこから、空気を裂く鋭い鞘走りの音と共に、刃こぼれした愛刀『無銘』が弾け飛ぶ。
相打ち覚悟の、極限の抜刀術。
狙うは、ブレスを吐き出すために無防備に開かれた竜の喉元、その柔らかい逆鱗のただ一点のみ。
激突。
千代女の放った、薄っぺらい鋼の一閃が、神の業の如く青白い光の奔流を真っ二つに裂き割り、竜の硬い顎の下へと到達した。
――だが。
相手は、星の硬度を誇るというAランクオーバー指定の規格外の巨獣。
そして何より、千代女の命たる刀は、すでに万全ではなかったのだ。
――――パキンッ。
轟音と爆炎が渦巻く地獄の火口において。
それは、あまりにも不釣り合いなほど高く、そして冷たく澄んだ音だった。
圧倒的な質量と熱量の暴力。それが、極限まで薄く鍛え上げられた鋼の物理的な限界を、ついに超えたのだ。
ゴブリン・キングの黒鋼の大斬馬剣を両断した激戦で生じていた、髪の毛一本ほどの微小な『欠け』、そこを起点として、千代女の半身たる愛刀『無銘』の刀身が、無残にも半ばからへし折れた。
「……っ!」
涼やかな瞳を限界まで見開く千代女。
刀という絶対の「盾」であり「矛」を失った彼女の華奢な体は、裂き切れなかったブレスの衝撃波と、竜の巨体による突進をモロに浴びた。
「がはっ……!」
千代女の体が、まるで千切れたボロ布のように宙を舞う。
数十メートルも無造作に吹き飛ばされ、火口の鋭い岩壁に背中から激しく叩きつけられた。
ゴキリ、と。
絶対に鳴ってはいけない嫌な音が響き、千代女は大量の赤い血を吐いて、糸の切れた人形のように崩れ落ちて地面に倒れ伏した。
ピクリとも動かない、完全に意識を失っている。
「千代女さんッ!!」
絶望に満ちたソフィアの悲鳴が、火口に響き渡る。
彼女は自分の身を焼く熱気も恐怖も忘れ、鋭い岩肌を這うようにして、倒れた千代女のもとへ駆け寄った。
ひどい惨状だった。異国の衣服は焼け焦げ、真っ白だった肌には無数の打撲と切り傷。何より、呼吸がひどく浅く、不規則だ。
「やだ、やだっ……! 死なないで、千代女さん!」
ソフィアはポロポロと大粒の涙をこぼしながら、震える両手を千代女の血濡れた胸に当てる。
そして、己の持てる魔力のすべてを注ぎ込み、最大出力の『治癒魔法』を展開し始めた。淡く優しい緑色の光が、千代女の痛々しい傷をゆっくりと覆っていく。
しかし、非情な戦場は彼女たちの都合など待ってはくれない。
ズズンッ……!
千代女の最後の一撃で顎の下を浅く裂かれ、ドクドクと熱い血を流している星喰いの竜。
ただの小バエだと思っていた人間に手痛い反撃を受けたことで、巨竜は完全に激怒していた。
目障りな虫どもを今度こそ完全にすり潰そうと、動かない千代女と、必死に治療を続けるソフィアに向けて、憎悪に満ちた巨大な顔を向けてきた。
「させるかァッ!!」
竜の視界を遮るように、リオンが横から飛び込んだ。
彼は足元にあった巨大な岩の塊を力任せに蹴り砕き、竜の顔面に向けて散弾銃のように連続で打ち出す。
「こっちを見ろデカブツ! 東の拳の真髄、たっぷりと味わわせてやる!」
さらに、竜の太い前脚の前に、ツルハシを構えたバルバスが、岩のように立ち塞がった。
「リオンの坊主! 小娘が目覚めるまで、死んでも一歩も通すんじゃねェぞ!」
「わかってる! 時間稼ぎだ!」
格闘士と鍛冶師。
二人の男による、千代女とソフィアを守るための決死の防衛線が始まった。
だが、相手が悪すぎる。
竜が苛立ち任せに太い尻尾を横に薙ぎ払っただけで、局地的な暴風が巻き起こり、周囲の岩盤が粉々に砕け散って散弾となって襲い掛かってくる。
「ぐおおおっ!?」
リオンは太い腕を交差して直撃を防ごうとしたが、岩の破片が全身を容赦なく打ち据え、防御した腕の骨がミシミシと悲鳴を上げる。
バルバスも、踏ん張った短い足が、熱く焼けた地面ごと後ろへズルズルと削られていく。
圧倒的な、純粋な『生物としての力の差』。
リオンの打撃も、バルバスのツルハシも、分厚い星屑の鱗には傷一つつけられない。逆に、竜の一撃でもモロに喰らえば即座に肉塊に変わる。
彼らにできるのは、竜の周りを決死の覚悟で動き回り、少しでも気を惹いて囮になることだけだった。
「ハァッ……ハァッ……! クソッ、デカすぎる……!」
滝のような汗と、額から流れる血を拭いもせず、リオンがギリッと歯軋りをする。
竜の巨体から放たれる圧倒的な熱気と、即死のプレッシャーから逃げ回るだけで、体力がゴリゴリと削られていく。
肺に入ってくる空気すら熱く、呼吸をするたびに喉が焼けるようだ。
もって数分。それ以上は絶対に持ち堪えられない。リオンの強靭な足の筋肉は、すでに限界を迎え、悲鳴を上げて痙攣し始めていた。
「お願い、千代女さん……! 早く、早く目を覚まして……!」
背後で、ソフィアが蒼白な顔で祈るように魔力を送り続けている。
砕け散る大地。
迫り来る巨竜の赤熱した顎。
防衛線が完全に崩壊し、パーティー全滅の足音が、もうすぐそこまで迫っていた。




