第35話 蛇と巨獣、そして燃える山
翌朝。
マグメリアの宿『赤銅亭』の広間には、無惨な光景が広がっていた。
「う、うぐぐ……頭が、割れる……」
「水……誰か、水をくれぇ……」
床のあちこちに転がり、二日酔いで呻き声を上げるドワーフの親父たちと、完全にノックダウンされて白目を剥いている一番弟子(自称)のリオン。
そんな屍の山の中で、千代女ただ一人が、艶やかな肌を輝かせながら優雅に白湯を啜っていた。
「なんじゃ、ドワーフというのは酒に強い種族だと聞いておったが。案外脆いものじゃな」
呆れ顔で呟く千代女の前に、頭に氷袋を乗せたバルバスが、ドカッと重い腰を下ろした。
「……バケモノめ。お前、内臓まで鋼で出来てんじゃねェのか……」
バルバスは呻きながらも、昨晩の続き――『星の鉄』についての話を切り出した。
「いいか、ねーちゃん。あの刀の魂を殺さずに修復できる唯一の素材、不純物ゼロの『隕鉄』は、この街の背後にある活火山の頂上にある。昔、あそこにデカい星の欠片が落ちたんだ」
「ふむ。ならば、ちゃちゃっと登って拾ってくれば良いのだな」
千代女が立ち上がろうとした瞬間、バルバスが慌てて手を突き出した。
「待て待て! 拾うだけなら、俺たちドワーフがとっくの昔に採掘に行ってる! 頂上に誰も近づけねェ理由があるんだよ」
「理由?」
「ああ。隕石の持つ強大な魔力に惹かれて、あそこにゃとんでもねェ主が巣食っちまったんだ。Aランク指定の凶悪な魔物……『星喰いの竜』がな」
竜。
その言葉を聞いた瞬間、千代女は小首を傾げた。
「竜だと? ……竜というのは、あの……ヒョロヒョロとした変な顔の、空を泳ぐ蛇のようなやつのことかの?」
千代女の脳内に浮かんでいたのは、日ノ本の掛け軸に描かれているような、細長く、角と髭を生やした『龍』の姿だった。
「……は?」
バルバスがポカンと口を開ける。
「ヒョロヒョロ? 蛇? なんだその貧相な生き物は」
「違うのか? 某の知る竜は、手足も短く、掴みどころのない姿をしておるが」
「アホ抜かせ! 竜ってのはな、こう、もっと……!」
もどかしくなったバルバスは、暖炉から消し炭になった枝を拾い上げると、広間の木の床にガリガリと直接絵を描き始めた。
「いいか! 竜ってのは、こうやって巨大なコウモリみてェな翼があってな! 四本の丸太みてェな太い脚と、鋼みてェな分厚い鱗に覆われた、筋肉と破壊力の塊だろうが!」
黒い炭で乱暴に描かれた、西洋風の巨大な『ドラゴン』の姿。
それを見た瞬間――千代女の瞳孔が、カッと大きく見開かれた。
「おおおおおっ……!!」
千代女は炭の絵に顔を近づけ、歓喜に全身を震わせた。
「なんと! なんと素晴らしい死合相手じゃ!! あのヒョロヒョロの蛇ではなく、これほどの巨獣が火山の頂で某を待っておるのか!」
「だ、だからそう言ってんだろうが……」
「よし! 善は急げじゃ! ソフィア、リオン! 起きろ! 今すぐ火山の頂へ向かうぞ!」
目をキラキラと輝かせ、腰に『無銘』を差して飛び出そうとする千代女。
しかし。
「おい、待て!! 本気で行く気か!」
バルバスが、千代女の腕をガシッと掴んで引き止めた。
「なんじゃ、親父殿。某の剣の邪魔をする気か?」
「アホか! 行くのは勝手だがな、お前……その格好で火山に登るつもりか!?」
バルバスが指差したのは、千代女の服装だった。
動きやすさを重視した、薄手の軽装。戦いにおいて「避け切る」ことを前提とした彼女にとって、それは完璧な死装束だ。
「俺たちが頂上に行けねェ理由は、竜だけじゃねェ。あの山そのものが『敵』なんだよ」
バルバスは険しい顔で、窓の外にそびえる噴煙を上げる火山を睨んだ。
「頂上に近づくにつれて、熱気は岩を溶かすほどに跳ね上がる。そこら中から毒のガスが噴き出し、空からは火の粉が雨のように降り注ぐんだ。……そんな薄着じゃ、竜の顔を見る前に、髪の毛から肺の中まで黒焦げになって焼け死ぬぞ」
自然の脅威。
それは、いかに剣術が優れていようと、斬り捨てることのできない理不尽な暴力だ。
目を覚ましたソフィアが「ほっ……」と胸を撫で下ろす中、千代女もピタリと足を止めた。
「ふむ……。いくら某でも、溶岩を斬ることはできんからな」
「だろうが。名刀を直す前に、持ち主が灰になっちまったら世話ねェんだよ」
バルバスはニヤリと笑い、親指で自分の工房の方角を指し示した。
「竜との死闘を望むなら、まずは『山』と戦う準備をしろ。お前らの身を守る耐熱の外套と呼吸器くらい、このバルバス様が見繕ってやるからよ」
かくして、ただの魔物討伐ではない、過酷な自然環境への挑戦――『火山登頂クエスト』に向けた、周到な準備が幕を開けるのだった。




