第34話 赤銅の湯と、ドワーフの酒盛り
「こんなとんでもねェモンを見せられちまったらなァ……。ドワーフの面子にかけて、直さねェわけにはいかねェだろうが!!」
工房『紅蓮の金床』に、バルバスの咆哮が響き渡った。
彼は血走った目で『無銘』の刃を睨みつけ、すぐにでも修復に取り掛かろうと鼻息を荒くした。
だが。
数分間、拡大鏡を通してその緻密な地肌と刃紋を睨み続けていたバルバスの顔に、次第に濃い疲労と焦燥の色が浮かび始めた。
「……クソッ。見れば見るほど、狂った鉄だ。硬い鋼と柔らかい鉄が、神業のような温度管理で完全に一体化してやがる」
バルバスはギリッと奥歯を噛んだ。
「俺たちの持つ最高級の鋼材を使っても……この世界の『普通の鉄』を混ぜちまったら、継ぎ目から不純物が入り込み、この刀の魂は死んじまう。ダメだ、生半可な素材じゃ直せねェ……」
「ほう。大鍛冶師殿でも手を焼くか」
「うるせェ! 絶対ェ直してやるから、少し考えさせろ!」
バルバスは頭を抱え、シッシッと千代女たちを追い払うような仕草をした。
「今日はもう日が暮れる。お前ら、海を渡ってきて疲れてんだろ。この街の上のほうにある『赤銅亭』って温泉宿に行きな。鍛冶屋ドワーフの親父が紹介したって言えば安くしてくれる。……その刀は一旦持ってけ。修復の算段がついたら、俺から顔を出す」
「うむ。ならば果報を寝て待つとしよう。行くぞ、リオン、ソフィア」
千代女は『無銘』を鞘に納めると、バルバスの心意気に満足げに頷き、工房を後にした。
溶鉄都市マグメリア名物、天然の地熱を利用した大浴場を持つ宿『|赤銅亭《せきどうてい』。
バルバスの言葉通り、宿に着いたソフィアは、活火山の熱気とこれまでの旅の疲労、そして何より千代女の規格外な行動によってすり減った精神を癒すため、湯船に深く、深く沈み込んでいた。
「ふはぁぁ……極楽ですぅ……」
白濁した湯が、こわばった筋肉をゆっくりと解きほぐしていく。
大魔法を無自覚に暴走させた疲労も、黄金三〇〇〇枚のプレッシャーも、今はすべて湯気と共に天井へ吸い込まれていくようだった。
「なんじゃ、ソフィア。もう茹で上がったのか」
隣では、千代女が肩までしっかりと湯に浸かりながら、涼しい顔で手ぬぐいを頭に乗せていた。
マグメリアの温泉は、ドワーフの頑強な皮膚に合わせたかなり高めの温度設定(源泉掛け流し)なのだが、千代女は全く意に介していない。
「うむ。少しぬるいが、血行が良くなる良い湯じゃ。日ノ本の隠し湯を思い出すわ」
「千代女さん、皮膚の構造どうなってるんですか……」
呆れるソフィアをよそに、千代女は「ふぃー」と親父臭い息を吐き、湯を満喫していた。
湯上がり。
肌触りの良い浴衣に着替えた千代女とソフィア、そして男湯から上がってきたリオンが、宿の広い客室で冷たい果実水を飲んでくつろいでいた。
――バンッ!!
突如、客室の引き戸が勢いよく開け放たれた。
「ひぃっ!? て、敵襲!?」
ソフィアが悲鳴を上げ、リオンが瞬時に臨戦態勢をとる。
しかし、そこに立っていたのは武装した野盗などではなく。
「……おう。邪魔するぜ」
昼間に出会った大鍛冶師・バルバスを筆頭に、筋骨隆々でむさ苦しい髭を蓄えた、五人の老ドワーフたちだった。
手にはそれぞれ、樽のような巨大な酒瓶や、焼かれた肉の塊を持っている。
「なんだ、バルバスの親父! 驚かすなよ!」
「うるせェ、ヒヨッコはすっこんでろ。……おい、ねーちゃん」
バルバスは千代女の前にドカッと胡座をかくと、血走った目で、部屋の床の間に置かれていた一本の刀を指差した。
「俺が昼間に見たあの『鉄』の話をしたらよ。この街の頭の固い親父どもが、どうしても信じられねェ、自分の目で確かめさせろってうるさくてな」
バルバスの後ろに控える四人のドワーフたちも、皆、マグメリアを代表する凄腕の鍛冶師たちらしい。
彼らの目は、まるで伝説の秘宝を前にした盗賊のようにギラギラと輝いていた。
「ほう」
千代女は面白そうに笑うと、床の間から『無銘』を手に取り、鞘からスッと刀身を抜き放った。
そして、客室のテーブルの中央に、静かにそれを置く。
「見るが良い。ただし、刃には触れるなよ。指が落ちるぞ」
「「「おおおおおっ……!!」」」
ドワーフたちが一斉にテーブルに群がった。
懐からルーペを取り出し、舐め回すように刀身の表面を観察し始める。
「見ろ、この地肌! 鉄の層が幾重にも折り重なって、まるで木目のような模様を描いてやがる!」
「信じられん……硬い鋼と柔らかい鉄を、完全に融合させて打ち延ばしているのか? これほど不純物のない、純粋な殺意の塊のような刃、見たことがねェ……」
「刃紋の美しさたるや、まるで夜の海に浮かぶ波波だ……」
わあわあと、専門用語を交えて白熱するドワーフの親父たち。
彼らにとって、この刀の鑑賞会は、もはや神聖な儀式のようなものだった。
「おい、鑑賞会はそこまでだ! 酒が温まっちまうだろうが!」
バルバスがパンパンと手を叩き、持参した巨大な酒樽の蓋を叩き割った。
ドワーフ特製の『火酒』。
文字通り、火を近づければ爆発的に燃え上がる、度数未知数の超強烈な蒸留酒だ。
「よし! 今日はこのとんでもねェ名刀を見せてくれた礼だ! 朝までとことん付き合ってもらうぜ、ねーちゃん!」
「ガッハッハ! 良いぞ! 某は酒にはちと煩いぞ! かかってこい!」
千代女が豪快に笑い、自分よりも大きなジョッキをドンッと突き出す。
戦いだけでなく、宴もまた、武士の嗜み。
千代女は全く物怖じせず、火酒を水のように喉の奥へと流し込んだ。
「ぷはぁっ! うむ、喉が焼けるように熱いが、悪くない酒じゃ! 次!」
「ぐおっ、人間の小娘がこの火酒を一気飲みだと!? 負けてられねェ!」
ドワーフたちと千代女による、常軌を逸した飲み比べが始まった。
「姐さん! 俺も修羅の大陸の男だ、負けてられないぜ!」
一番弟子(自称)のリオンも意気揚々とジョッキを煽ったが。
「ぐふっ……」
ドサッ。
口に含んだ瞬間、白目を剥いて床に突っ伏し、一秒でピクリとも動かなくなった。
「リオンくぅぅん!? 死なないでぇぇっ!?」
ソフィアが涙目で蘇生魔法をかけようと慌てふためく。
その横では、「ガッハッハ! 脆い! 脆いぞドワーフども!」「くそォ、もう一杯だ!」と、千代女とバルバスたちが肩を組み、大声で古い労働歌を歌いながらどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。
熱気と酒の匂い。
そして、笑い声に包まれる赤銅亭の一室。
だが、夜が更け、ドワーフたちが次々と床に沈んでいく中。
顔を真っ赤にしたバルバスが、ふと真面目な顔つきに戻り、千代女に向かって重い口を開いた。
「……なぁ、ねーちゃん。ヒック。昼間も言ったがよ」
「む?」
「俺たちの技術のすべてを注ぎ込んでも……『普通の鉄』を混ぜちまったら、あの刀の魂は死んじまう。不純物になっちまうんだ」
大鍛冶師の顔に、悔しさと、それ以上の熱い探求心が浮かぶ。
「あの完璧な鉄に、唯一融合させられる『格上の素材』……。不純物ゼロの、天からの贈り物。……『星の鉄』でも持ってこねェ限り、あの名刀は二度と元には戻らねェぞ」
星の鉄。
その言葉の響きに、千代女は微かに目を細め、酒の入ったジョッキを静かに置いたのだった。




