第33話 紅蓮の金床と、折り重なる鉄
溶岩の川から引かれた熱が、工房の空気を陽炎のように歪ませていた。
カンッ!! ガァァンッ!!
腹の底に響くような、重厚で規則的な槌音
マグメリアの裏路地にひっそりと構えられた鍛冶工房『紅蓮の金床』。
その奥で、燃え盛る炉の火を背に、一人の老ドワーフが鉄を打っていた。
身の丈は人間の胸ほどだが、横幅は倍近くある。
丸太のような太い腕。煤と汗にまみれた灰色の髭。
彼こそが、この街で一、二を争う腕を持つと言われる大鍛冶師、バルバスである。
「親父! 邪魔するぜ、客を連れてきた!」
案内役となったリオンが工房に足を踏み入れ、声を張り上げる。
だが、バルバスは鉄を打つ手を止めず、ギロリと鋭い眼光だけをこちらに向けた。
「あァ? ここは観光名所じゃねェぞ、リオンの坊主。見りゃわかんだろ、今は忙しいんだ。余所者の相手をしてる暇はねェ」
ぶっきらぼうな声。
職人特有の、よそ者を寄せ付けない頑固な威圧感。
ソフィアが(うぅ……怖そうなドワーフさん……)とリオンの背後に隠れる中、千代女は臆することなく、真っ直ぐに炉の前へと進み出た。
「凄腕の鍛冶師と聞いて訪ねたのだがな。どうやら、随分とご機嫌斜めのようじゃ」
「……あン?」
バルバスはハンマーを肩に担ぎ、鼻を鳴らした。
彼の視線が、千代女の腰に差された細い鞘を一瞥する。
「なんだ、そのヒラヒラした細っこい爪楊枝は。冒険者ごっこなら他所でやれ。俺の金床はな、分厚い魔物の鱗を叩き割り、鋼の鎧を叩き潰す『本物の武器』しか打たねェんだよ」
ドワーフの鍛冶の基本は、重さと硬さだ。
質量こそが破壊力であり、細い剣など実戦ではすぐに折れる「貴族のおもちゃ」であるというのが、バルバスの確固たる信念だった。
「帰れ帰れ。そんな薄っぺらい剣、俺のハンマーで一叩きすりゃ、粉々に砕け散っちまうぜ」
シッシッ、と犬でも追い払うように手を振るバルバス。
その侮蔑の言葉を聞いて、リオンが「親父、言葉に気をつけろ! この人は……!」と慌てて止めに入ろうとした。
だが。
「ほう。一叩きで砕ける、か」
千代女は怒るどころか、楽しそうに喉の奥で笑った。
「ならば……その言葉が真実かどうか、己の目で確かめてみるが良い」
カチリ。
澄んだ音が、暑苦しい工房に響く。
千代女の左手の親指が_鍔を押し上げ、右手が静かに柄を握った。
――スッ。
抜かれたのは、刀身の『半分』だけ。
だが、それだけで十分だった。
「…………なッ」
バルバスの肩から、重いハンマーがズンッ、と床に滑り落ちた。
炉の赤い炎を反射して、青白い冴えた光が空間を切り裂く。
研ぎ澄まされた、極限の薄さ。
しかし、バルバスの職人としての眼力が捉えたのは、単なる刃の鋭さではなかった。
「おい……ねーちゃん。見せろ。それをもっとよく見せろ!!」
先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、バルバスは血走った目で炉から飛び出し、千代女の持つ『無銘』の刃に顔が触れるほどの距離まで鼻先を近づけた。
「なんだ……なんだこの鉄は!? 一本の鉄の塊じゃねェ……。鉄が、何層にも、何十層にも折り重なってやがる……!!」
バルバスの太い指が、震えながら空を掻く。
彼が見ていたのは、刀身に浮かび上がる美しい木目のような模様――『地肌』、そして、刃先に焼き付けられた波打つような『刃紋』だった。
「硬い鋼を柔らかい鉄で包み込み、叩いては伸ばし、折り返してはまた叩く……。こんな狂った鍛造法、どこの世界に存在しやがる!!」
それは、ただ鋳型に流し込んだり、一つの塊を叩き上げるだけのこの世界の鍛冶技術とは、根本的に異なる次元の製法だった。
折れず、曲がらず、よく切れる。
矛盾する性質を一つの刃に同居させるための、日ノ本の刀鍛冶たちが血の滲むような歳月をかけて到達した『玉鋼の折り返し鍛錬』。
「美しい……。背筋が凍るほど、純粋な殺意だけで鍛え上げられた、完璧な美術品だ……」
バルバスの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
数百年生きてきたドワーフの鍛冶職人としての魂が、未知なる極致の技術を前に、歓喜の震えを止めることができなかったのだ。
「……しかし」
バルバスの鋭い指先が、刃の中央。ゴブリン・キングとの死闘で生じた、髪の毛一本ほどの『欠け』を指し示した。
「この完璧な刃が、わずかだが欠けて泣いてやがる。……一体どんなバケモノの硬い骨を断てば、こんな名刀に傷がつくんだ」
「ふむ。南の港町で、四メートルほどの小鬼の王を両断した時にな」
「……四メートルを、両断……だと?」
絶句するバルバス。
千代女はチャキ、と刀を鞘に納め、ニヤリと笑った。
「どうだ、鍛冶師殿。某の爪楊枝の機嫌を直すことは、お主の腕をもってしても不可能か?」
それは、職人に対する最高の挑発だった。
バルバスは涙を乱暴に袖で拭い去ると、ニカッと――獰猛な肉食獣のように牙を剥き出しにして笑った。
「不可能だと? 誰に口を利いてやがる」
バルバスは床に落ちていたハンマーを拾い上げ、肩に担ぎ直す。
「こんなとんでもねェモンを見せられちまったらなァ……。ドワーフの面子にかけて、直さねェわけにはいかねェだろうが!!」
工房に、再び轟々たる炎が巻き起こる。
異世界の大鍛冶師の魂に、これ以上ないほど強烈な火がついた瞬間だった。




