第30話 鞘打ちの侍と、暴風のハーフエルフ
アクアリアの街を出立し、南へと向かう街道。
千代女とソフィアを乗せた二頭立ての馬車は、のどかな平原の道を軽快に進んでいた。
金貨三〇〇〇枚という物理的に持ち運び不可能な莫大な報酬は、冒険者ギルドが発行する『ギルドカード』の口座機能にすべて預け入れられている。
おかげで、馬車の荷台は驚くほど軽く、旅は快適そのものだった。
「ふむ」
御者台の横で胡座をかいていた千代女は、膝の上に置いた愛刀『無銘』を、柔らかな布でそっと拭き上げていた。
視線の先には、ゴブリン・キングとの死闘で生じた、髪の毛一本ほどの僅かな『刃こぼれ』。
「南の活火山。そこに住まうドワーフとやらは、お主の機嫌を直してくれるであろうか」
刀身に語りかけるように呟き、ゆっくりと鞘に納める。
その時だった。
ヒヒィィィンッ!!
馬が急に嘶き、前足を上げて急停止した。
車体が大きく揺れ、中で休んでいたソフィアが「ひゃあっ!?」と短い悲鳴を上げる。
街道の先。
見通しの良い道に、不自然に太い丸太が横たわっていた。
馬車を強制的に止めるための、古典的な罠。
ガサガサッ、と。
道の両脇に広がる森の中から、下品な笑い声と共に数十人の男たちが姿を現した。
手には薄汚れた剣や斧。革鎧には返り血の染み。
「おやぁ? 護衛もつけずに女二人旅とは、随分と舐められたもんだ」
顔に傷のある野盗のリーダー格が、ニヤニヤと笑いながら馬車に近づいてくる。
「大人しく馬車から降りな。命が惜しけりゃ、身ぐるみ全部置いていきな!」
野盗。山賊。
力のない旅人を狙う、街道のハイエナたち。
「……なんじゃ」
千代女は、心底つまらなそうにため息をついた。
「ただの山賊か。獲物としては下の下じゃな。少しは骨のある魔物でも出るかと期待しておったが……退屈なことこの上ない」
「あぁん? 小娘、今なんつった?」
「お主らの血脂で、これ以上『無銘』の刃こぼれを広げたくはないのでな」
千代女はスッと立ち上がると、馬車からふわりと飛び降りた。
左手で鞘ごと刀を握り、右手は柄に添えない。
抜かない。
「今回は、このまま相手をしてやろう」
「舐めやがって! やっちまえ!!」
激昂した前衛の野盗たちが、一斉に千代女へと斬りかかる。
だが。
戦いにすら、ならなかった。
スッ、と。
千代女が半歩踏み込む。
それだけで、野盗たちの剣は空を切り、彼らの死角に千代女が入り込んでいた。
ゴツッ!!
鈍い音。
「ぐベェッ!?」
鞘の尻――鞘当てが、男の顎を正確に打ち抜く。
脳を揺らされた男が白目を剥いて崩れ落ちる前に、千代女はすでに次の獲物へ向かっていた。
トスッ。バキッ。ドゴォッ。
骨が軋む音。
呻き声。
抜刀すらしていない女が、踊るようなステップで屈強な男たちを次々とモグラ叩きのように沈めていく。
「な、なんだこの女! バケモノか!?」
「クソッ、前衛は退け! 森の中から弓で射抜け!!」
リーダー格が叫ぶ。
だが、森の中に潜んでいた弓兵たちの狙いは、俊敏すぎる千代女ではなかった。
的が大きく、逃げ場のない『馬車』。
そして、その窓から青ざめた顔を覗かせていたソフィアだった。
「――っ!?」
ソフィアの背筋が凍りつく。
森の木陰から、何本もの矢尻が自分に向けられているのが見えた。
死ぬ。
純粋な、命の危機。
「いや……っ!」
ソフィアは無意識に、アクアリアの街で新調した立派な杖をギュッと握りしめていた。
頭の中に浮かんだのは、初歩的な身を守るための魔法。
(お願い、風の精霊さん……矢を逸らしてぇぇぇっ!!)
目を固く閉じ、必死の思いで詠唱する。
『風の盾』。
本来なら、自分の周囲にそよ風の壁を作り、矢の威力を少しだけ削ぐ程度の初級魔法だ。
だが。
彼女自身もまだ知らない。
ハーフエルフである彼女の内に眠る『魔力の器』が、将来的にSランクへ到達しうるほどの、超常的なポテンシャルを秘めていることを。
そして、極度の恐怖が、その未覚醒の魔力のリミッターを完全に吹き飛ばしてしまったことを。
「――え?」
最初に異変に気づいたのは、弓を番えていた野盗たちだった。
森の空気が、一瞬で『消えた』のだ。
気圧が急激に下がり、鼓膜がキーンと鳴る。
次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォォッ!!!!!
馬車を中心に、天に向かって『巨大な竜巻』が爆発した。
風の盾などという可愛らしいものではない。
それは、地形を変えるレベルの局地的な超大暴風雨。
「ぎゃあああああっ!?」
「たすけ……ッ!」
飛んできた矢は一瞬で塵に返り。
悲鳴を上げる間もなく、森の木々が根こそぎバキバキと引っこ抜かれ、中に潜んでいた弓兵たちごと、空高く――それこそ豆粒ほどの大きさになるまで、天高く巻き上げられてしまった。
「…………え?」
数秒後。
竜巻が嘘のように消え去った後。
馬車の窓から恐る恐る目を開けたソフィアが見たものは。
自分の杖の先から放たれた魔法によって、抉り取られたように『更地』になってしまった森の惨状だった。
「ば、バケモノの馬車だーっ!!」
生き残っていた野盗たちが、泡を吹きながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ソフィアは震える手で杖を落とし、ガタガタと歯の根を鳴らした。
「うそ……私、初級魔法を一つ唱えただけなのに……」
自分の引き起こしたデタラメな破壊力に、ソフィア自身が一番ドン引きしていた。
しかし。
その光景を見ていたもう一人のバケモノは。
「――おおおっ!!」
千代女は、目を星のようにキラキラと輝かせ、猛ダッシュで馬車に駆け寄ってきた。
そして、窓から身を乗り出し、ソフィアの両肩をガシッと掴む。
「なんというデタラメな威力! お主、それほどの『牙』を隠し持っておったのか!」
「ち、違います千代女さん! 今のはただのパニックで、魔力が暴走しただけで……!」
必死に首を振るソフィアの言葉など、戦闘狂の耳には一切届いていない。
千代女は、極上の獲物を見つけた猛禽類のような、ゾクッとするほど美しい笑みを浮かべた。
「良いぞ、ソフィア! お主のその力が完全に開花し、己の意思で御せるようになった暁には……」
至近距離で、千代女が宣言する。
「真っ先に、某と本気で死合おうぞ!!」
「絶対に嫌ですぅぅぅぅぅっ!!」
どこまでも青く澄み渡る南の空に。
不憫なハーフエルフの悲鳴が、こだまして消えていった。
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