第29話 黄金の山と、刃こぼれ
その日の夜。
アクアリアの冒険者ギルドに併設された大酒場は、かつてないほどの熱気と喧騒に包まれていた。
「飲め飲めぇ! 今日は某の奢りじゃ! 皆の者、樽の底が抜けるまで飲み明かせぃ!!」
「「「うおおおおおっ!! 千代女姐さん、万歳!!」」」
千代女が高々と木の実の酒が入った大ジョッキを掲げると、ギルド中から割れんばかりの歓声が上がった。
1000のゴブリン軍勢と、Aランク相当のゴブリン・キングの完全討伐。
本来なら街が滅んでいてもおかしくない絶望的な状況を、たった一人で、しかも重症者ゼロでひっくり返したのだ。
冒険者たちにとって、今の千代女は生きる伝説であり、戦神そのものであった。
「千代女殿。いや……千代女大姐さん。俺からも一杯注がせてくれ」
もじもじとしながら酒瓶を持って近づいてきたのは、なんとあの厳格で慎重派だったBランクリーダー、レオニスだ。
すっかり毒気を抜かれ、忠犬のように尻尾を振るベテランの姿に、千代女は「ガッハッハ! 大姐さんとはまた大仰な! お主も飲め!」と豪快に背中を叩いた。
「姐さん! 俺たちも! 俺たちにも注がせてください!」
「ああっ、ヴァンずるい! 私も千代女さんの隣に座るの!」
ヴァンやイリスたち『白銀の梟旅団』の若手メンバーも、完全に千代女の取り巻きと化して群がっている。
そんな狂乱の宴の隅っこで、案内役のソフィアだけは、テーブルに山積みになった高級料理を無心で胃袋に詰め込んでいた。
(食べられる時に食べておかないと……この人について行ったら、いつか絶対に胃に穴が開く……もぐもぐ……)
完全に諦めの境地に至ったハーフエルフが現実逃避をしていると、酒場の奥から、ひどく疲れ切った顔のギルド長・ガイルスが歩いてきた。
彼の背後には、屈強なギルド職員が『数人がかり』で、ズッシリと重そうな大きな木箱を『三つ』も運んできている。
「……千代女さん。少しよろしいですか」
「おお、ギルド長! お主も飲むか!」
「いえ、私は胃薬だけで結構です……。それより、今回の討伐報酬と、キングの魔石の買い取り代をお持ちしました」
ガイルスが顎でしゃくると、職員たちがテーブルの横に木箱をドンッ、と重々しい音を立てて置き、蓋を開けた。
チャリン……ザラァッ!
箱の中から溢れ出したのは、まばゆい黄金の光だった。
一枚一枚が分厚く、高純度で鋳造された『金貨』
それが、三つの木箱の中に、文字通り溢れんばかりに山積みになっていたのだ。
「ひぇっ!?」
ソフィアが思わず奇声を上げて椅子から転げ落ちる。
「討伐報酬と、国宝級であるキングの魔石代。そしてこの街の領主からの特別報奨金も合わせて……金貨三〇〇〇枚です。総重量にして数十キロ。アクアリアのギルドの金庫が、文字通りスッカラカンになりましたよ」
ガイルスはズキズキと痛むこめかみを揉みながらため息をついた。
金貨三〇〇〇枚。平民が一生遊んで暮らせるどころか、貴族が小さなお城を建てられるレベルの超巨額である。
周囲の冒険者たちも、あまりの黄金の山に酔いが吹っ飛び、ポカンと口を開けて固まっている。
「ふむ! 相変わらずキラキラした石ころじゃのう! ソフィア、財布は任せたぞ!」
「む、無理ですぅぅっ! こんなの持って歩いたら、一歩外に出た瞬間に暗殺されますぅぅっ!!」
涙目で全力拒否するソフィアの悲鳴をBGMに、千代女は満足そうに頷いた。
だが、千代女の興味は、莫大な黄金よりも別のところにあった。
彼女はふと、腰に差していた愛刀『無銘』をスッと抜き放った。
酒場の灯りを反射する、冷たく美しい白刃。
しかし、千代女の目は、その刃の中央付近をじっと見つめ、ほんの少しだけ曇っていた。
「……むぅ」
千代女の指先が、刃をそっと撫でる。
そこには、本当に髪の毛一本ほどの、わずかな『刃こぼれ』が生じていたのだ。
キングの異常なまでに分厚い黒鋼の鎧と斬馬剣を断ち切った代償か。
あるいは、地形ごと吹き飛ばしたあのデタラメな『剣圧』に、刀身が耐えきれなかったのか。
いずれにせよ、これまで無傷だった愛刀に生じた最初の傷だった。
「どうしたのですか、千代女さん?」
ガイルスが尋ねると、千代女は不満げに口を尖らせた。
「ギルド長よ。この街に、腕の立つ鍛冶師はおるか? 某の刀が、少々ご機嫌斜めのようでな」
千代女が刀を見せると、ガイルスは目を丸くした。
「あのバケモノの鉄塊と真っ向から撃ち合って、これだけの刃こぼれで済んでいること自体が信じられませんが……。あいにく、この街の鍛冶師では、その特殊な造りの剣を修復するのは不可能でしょう」
「なんと! 直せぬのか!」
「ええ。普通の剣とは、鍛え方も鉄の材質も違うようですから。……もし、その剣を本気で直したいのであれば」
ガイルスは眼鏡の位置を直し、南の方角を指差した。
「ここから更に南。活火山の麓にある『ドワーフの鍛冶街』へ行くべきです。あそこには、大陸一の腕を持つと言われる屈強なドワーフの職人たちが集まっています。彼らなら、あるいはその剣を打ち直せるかもしれません」
ドワーフの鍛冶街。
その言葉を聞いた瞬間、千代女の瞳がパァッと輝いた。
「ほう! ドワーフとな! 異世界の鍛冶職人か、それは面白そうじゃ!!」
千代女は上機嫌で『無銘』を鞘に納めると、床で金貨の重さに怯えているハーフエルフの襟首をヒョイと掴み上げた。
「おいソフィア、起きろ! 明日、すぐに出立の準備じゃ! 我らは南の鍛冶街へ向かうぞ!」
「ふぇ……? みなみ……? ドワーフ……?」
こうして。
莫大な黄金の山と、冒険者たちの狂信的なまでの崇拝をアクアリアの街に残し。
最強の剣神と、ハーフエルフの少女(兼 凄腕の魔法使い候補)のコンビは、愛刀の修復と次なる面白事を求めて、はるか南の地へと旅立つことになったのである。
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