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サムライ異世界に往く ~死に場所を求める最強の剣神、うっかり規格外の無自覚無双をしてしまう~  作者: 戯言の遊び
③緑の獣と王の脅威 編

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第24話 悍ましい緑の波と、完璧な防衛線

 翌朝。

 朝靄がまだ分厚く谷底に沈み込んでいる、アクアリアの街外れにある狭隘な峡谷。

 左右を切り立った灰色の岩壁に挟まれたその地は、まるで天然の処刑場のようだった。

 空は細い帯のように切り取られ、陽光はまだ深い谷底まで届かない。

 湿った苔むす岩肌から滴る冷たい水音が、不気味に静まり返った空気に規則的な秒針を刻んでいる。


 そこに、総勢数十名からなる冒険者連合が、幾重にも重なる強固な陣を敷いていた。


 最前列。

 Bランクパーティー『蒼天の黎明団』の重戦士ガルドを中心に、全身を分厚い鋼で固めた戦士たちが横一列に並ぶ。

 彼らが構える巨大なタワーシールドが隙間なく重なり合い、金属と金属が擦れる鈍い音が谷間に反響する。

 まさしく、動く鉄壁。

 盾の縁と縁はガッチリと噛み合い、下部は硬い地面に深く食い込ませてある。

 足元には後退を防ぐための滑り止めの太い杭。

 凄まじい衝撃に備え、前衛の全員が深く腰を落とし、重心を低く構えて荒い息を吐いていた。


 そのすぐ背後には弓兵隊。

 矢はすでに番えられ、弦はギリギリと限界まで引き絞られている。

 矢羽がわずかに震えるたび、張り詰めた緊張が空気をビリビリと震わせた。


 さらに後方。

 詠唱を開始した魔術師たちの足元には、淡く発光する幾何学的な魔法陣が浮かび上がっている。炎の精霊がチリチリとさざめき、氷の気配が谷の朝霧をさらに冷たく凍らせていく。


 すべては、計算通り。

 狭い地形を最大限に活かし、敵の圧倒的な数的優位を完全に殺す、理にかなった完璧な防衛陣形。

 それを構築したのは、『蒼天の黎明団』リーダーのレオニスだ。

 彼は陣の中央後方の小高い岩の上に立ち、戦場全体を俯瞰している。

 大剣を肩に担ぎながらも、その鋭い視線は一瞬たりとも揺らがない。

 敵の進路、かかる圧力の分散、後退のタイミング、その全てをすでに頭の中で盤面として描き切っていた。


 だが、その最後尾。

 遊撃として待機を命じられた若手パーティー『白銀の梟旅団』の中で、千代女(ちよめ)だけが、退屈そうに、そしてひどく落ち着きなく地面をトントンと踏み鳴らしていた。


「まだか? まだ斬り込んではならんのか?」


 親指で、愛刀の鯉口を切る。

 チャキ、と澄んだ乾いた金属音。

 またカチリと納める。

 数秒後、再びチャキ。


 隣でリーダーのヴァンが、冷や汗を流しながら必死に制止する。

「だーめ! 俺たちは後方の穴埋め担当! 前衛が崩れた所にすかさず差し込んでカバーするのが仕事なんだから、勝手に出ちゃダメ!」

「ひたすら待つ戦など、わしの性に合わぬ」


 千代女の涼やかな瞳は、すでに血湧き肉躍る戦場を激しく欲していた。

 極上の血の匂いを求める、飢えた獣のように。

 その横で、回復担当のイリスは胸元で聖印を白くなるほど握りしめ、小声で必死に祈りを唱えている。

 さらに隣では、ソフィアが真新しい杖を抱え込み、ガタガタと震える声で呟いていた。

「来ないで……お願いだから、来ないで……」


 ――ズズン……。


 微かな、しかしひどく重い低い振動が足元から伝わってくる。

 地面の小石が跳ね、前衛の構える盾が微かに揺れる。


 ――ズズン……ズズン……。


 地鳴りは次第に規則的で巨大なものになり、谷奥の分厚い霧が大きく揺れ始めた。

 弓兵のノアが、鷹のように目を細める。

「……来るぞ」


 霧の向こうに、おびただしい数の黒い影が蠢く。

 次の瞬間。

 谷奥から一斉に溢れ出したのは、吐き気を催すような悍ましい『緑色の奔流』だった。


「ギギィッ!!」「ギャアァァァッ!!」


 キーキーと耳の奥を裂くような、狂気に満ちた奇声の合唱。

 錆びた剣、歪んだ槍、血の乾いた粗末な棍棒。

 そこに統率も、美しい隊列も一切ない。

 ただ、圧倒的な数だけで獲物を押し潰すための、純粋な殺意と食欲の塊。


 ゴブリンの大群だ。


 前列が石につまずいて転べば、後続が容赦なくその背中を踏み潰し、踏み越えていく。

 それでも止まらない。背後から尋常ではない圧力で押され、前へ前へと泥水のように圧縮されて迫り来る。

 その数、ざっと1000匹。

 谷間を完全に埋め尽くす、緑の津波。

 生臭いひどい体臭と、錆びた鉄と血の入り混じった悪臭が、突風に乗って防衛線へと叩きつけられた。


 だが、指揮官のレオニスは微動だにしない。

 冷徹な目で、敵が射程に入るのを待つ。


 あと十歩。

 八歩。

 五歩。

 彼の剣が真っ直ぐ高く掲げられ――鋭く振り下ろされた。


「――放てッ!!」


 弓弦が一斉に鳴る。

 ビィンッ! と空気を裂く凄まじい風切り音と共に、何十本もの矢の雨が緑の波へと降り注ぐ。

 次いで、魔術師たちの魔法が解放された。


 ドガァァァンッ!!


 巨大な炎球が炸裂し、鋭い氷柱が地面から次々と突き上がる。

 轟音と共に、先頭を走っていた数十匹のゴブリンたちがまとめて吹き飛び、黒焦げの肉片と緑色の血飛沫が宙を舞う。

 谷壁に爆音が激しく反響し、耳がビリビリと痺れた。


 だが。

 後続のゴブリンたちは恐れるどころか、即座にその死体の穴を埋める。

 仲間の死体を文字通り踏み台にし、盾にしながら、ただひたすらに突進してくる狂気。


「来るぞ、しっかり構えろ!!」


 ガルドの腹の底からの怒号。

 次の瞬間、ゴブリンの激しい濁流が、ついに『盾の壁』に激突した。


 ドォンッ!! という、車同士がぶつかったような重く鈍い衝撃。

 鋼の盾が一斉に軋む。

 歯を食いしばり、顔を真っ赤にして踏ん張る重戦士たち。

 土に深く埋めたはずの杭が、メキメキと悲鳴を上げる。1000匹の後方からの圧力が、前列のゴブリンを押し潰しながら、盾の壁を力任せに押してくるのだ。


「押し返せぇッ!! 押し潰されるな!!」


 ガルドが吠え、巨大な盾を思い切り前へと押し出す。

 重量と筋力の塊が前へ出たことで、圧力に耐えきれなくなった前列のゴブリンたちが、自らの仲間に押されてグシャリと潰れ、弾き飛ばされる。

 その僅かに生じた隙間から、後列の槍兵たちの鋭い穂先が容赦なく突き出された。

 喉を貫き、腹を裂く。

 緑の血が、鋼の盾にドクドクと飛び散る。

 足場が血と臓物でひどく滑る。

 それでも、冒険者たちの陣は決して崩れない。

 後方からは次々と正確な矢と魔法が放たれ、前衛の頭上を越えて、後続の敵を確実に削っていく。


「すごい……!」

 イリスが、その完璧な連携に息を呑む。

「いける……! このままのペースで削り切れれば、勝てる……!」

 ヴァンも、額に汗を滲ませながら力強く頷く。

 序盤の流れは、完全にこちらの計算通り。冒険者連合の圧勝ペースだった。


 最後尾の千代女は、ひどく退屈そうに大きな欠伸を一つ噛み殺した。

「なんじゃ。わしの出番は、このまま最後までなさそうじゃの」


 だが。

 戦場の空気がわずかに変質したのは、その時だった。


 ひたすらに押し寄せるゴブリンの波の、ずっと奥。

 他のゴブリンを虫けらのように撥ね除けながら、ひときわ大きな影が、ゆっくりと姿を現したのだ。

 通常のゴブリンの倍、人間の大人よりも遥かに巨大な体躯。

 異常に発達した黒ずんだ筋肉。

 両手には、巨木をそのまま削り出したような、おぞましい無骨な棍棒が握られている。


 上位種・ホブゴブリン。

 その腹の底に響く咆哮が、谷全体をビリビリと震わせた。


「グォオオオオオオッ!!」


 空気が、明確に変わる。

 指揮を執るレオニスの目が、鋭く細められた。

 ホブゴブリンの咆哮に呼応するように、ゴブリンの波の圧力が一段と増し、完璧だった盾の一角に、わずかな歪みが生じる。

 長引けば、前衛の体力の消耗は避けられない。


 そして。

 最後尾にいた弓兵ノアの鋭い観察眼が、ゴブリンの後方で不自然な動きを見せる、小柄な複数の影を捉えた。

 彼らは正面の盾の壁には向かわず、切り立った岩壁のわずかな足場を、猿のように器用に登って散開していく。


「……おい。あいつら、岩壁を伝って『横の死角』を狙ってきてるぞ。しかも、杖を持ってる奴がいる……ゴブリンメイジだ」

 ノアが舌打ちをしながら呟く。


 計算され尽くした平和な防衛戦は、終わりを告げようとしていた。


 そして、その「崩れかけた戦況」を見た千代女の桜色の唇が、ゆっくりと、嬉しそうに吊り上がる。

 チャキ。

 本日何度目かの、鯉口を切る音。

 だが今度は、刀身が半分以上、鞘から滑り出していた。


「ほう……ようやく、少しは歯応えのある奴が出てきたか」


 退屈な作業場から、血湧き肉躍る『戦場』へ。

 最強の侍の瞳の奥で、昏い歓喜の炎が燃え上がった。

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