第22話 生態系の崩壊と、1000匹のゴブリン
勇者が去ったことで、凶悪な魔物の脅威から解放され、平和になったはずの巨大港町アクアリア。
しかし、アクアリア支部ギルド長のガイルスが重々しい口調で持ち出したのは、他ならぬその「勇者の偉大な功績」が意図せず生み出してしまった、生態系の新たな歪みについての依頼だった。
「千代女さんたちにお願いしたい、厄介な特例依頼……それは、『ゴブリン』の群れの大規模討伐です」
「ゴブリ……ン? なんじゃそれは? 新手の妖か?」
千代女が不思議そうにコテリと首を傾げると、すかさず隣のソフィアが青ざめた顔で説明に入った。
「ゴブリンというのは、人間の子供くらいの背丈をした、緑色の皮膚を持つ醜い小鬼のような魔物です。個々の知能も戦闘力も低いですが、粗末な武器を使って、必ず群れで襲ってくるんです」
「ふむ。ただの小鬼か。ならば……某がちゃちゃっと出向いて、その小鬼どもを撫で斬りにし、首級を取って参ろうかの」
千代女は「なんだ、飛竜よりも随分と弱そうではないか」と心底拍子抜けしたように言い放ち、さっそく腰の刀を提げて、散歩にでも行くような足取りでギルドを出ようとした。
しかし、ガイルスが慌ててその細い腕を――掴むのは恐ろしかったので、言葉で強く引き止める。
「いやいや、待ってください千代女さん! 確かに、ゴブリンは1~3匹程度なら、駆け出しの冒険者でもどうって事のない相手なんだがな……。今回のは、規模の次元が違うんです」
「規模?」
「ええ。数ヶ月前、勇者様がこの周辺の凶悪な大型魔物を根こそぎ倒してくれたおかげで、街の脅威は去りました。しかし……今まで上位の魔物に怯え、森の奥深くで細々と隠れて暮らしていたゴブリンどもが、天敵が綺麗に消え去ったことで、一気に大繁殖してしまったんですよ」
ガイルスはひどく苦々しい顔で、ギルドの机の上に周辺の大きな羊皮紙の地図を広げた。
「最初は、街から離れた森の外れにある一つの小さな巣穴だけだったんですが、あれよあれよという間に爆発的に増え続け……現在、確認されているだけで巣穴は十個以上。総勢、少なくとも『1000匹』は優に超えるほどのゴブリンが、巨大な集落を作ってしまっているんです」
その絶望的な数を聞いた瞬間。
ソフィアは両腕で自身の華奢な身体を強く抱きしめるようにして、ガタガタと激しく震えだした。
「い、1000匹の……ゴブリン……っ」
顔面からサッと血の気が引き、明らかな嫌悪感と芯からの恐怖を露わにするソフィア。
対照的に、千代女の美しい貌には、パァッと満開の花が咲き誇るような、極上の笑みが浮かんだ。
「ほう……1000の軍勢! それはもはや『合戦』じゃの~! 久方ぶりに血が滾るわ!」
「ち、千代女さん! 笑い事じゃないです! そんな大勢のゴブリンの群れなんかに万が一でも囲まれたら……!」
恐怖で震える涙声で、ソフィアは千代女の袖を強く引いた。
「ゴブリンは、とにかく繁殖力が異常なんです! 人間の女の人やエルフをさらって、不潔な巣穴の奥に閉じ込めて……慰み者にして、自分たちの子供を無理やり産ませるんですよ! 群れが大きくなれば、魔法を使う厄介な『ゴブリン・メイジ』や、統率を取る強力な上位種の『ゴブリン・キング』や『ゴブリン・ロード』まで生まれてしまうかもしれないんです!」
女子供を執拗に狙い、おぞましい数の暴力で蹂躙する。
それがゴブリンという魔物の最も忌まわしい性質だった。
1000匹もの群れがもし防衛線の薄いこの街に雪崩れ込んでくれば、アクアリアは文字通り、一晩でこの世の地獄と化すだろう。
「女をさらうとな。ふむ、野盗や山賊の類と変わらんな」
「だから! 一人で無策で突っ込んでいくような相手じゃないんです! いくら千代女さんが強くても、1000匹に囲まれたら、いずれ体力が尽きて――」
「そこで、だ」
パニックになりかけるソフィアの悲鳴を遮るように、ガイルスが地図上の赤いバツ印を指差した。
「明日の朝、このゴブリンの巨大集落を完全に殲滅するための『大規模討伐作戦』を決行します。作戦のリーダーは、この危機に際して王都から高額な報酬で依頼し、この街に到着してくれたBランク冒険者パーティー。それに、この街に残っているCランクが四組、D~Eランクの若手が数十人……そして、特例Cランクの千代女さんとソフィアさんのパーティーにも、是が非でも加わっていただきたい」
総勢数十人の冒険者たちによる、対ゴブリン軍勢の連合部隊。
それを聞いた千代女は、なるほどと腕を組んで深く頷いた。
「うむ! 諸将を集め、軍議を開き、陣を敷いて迎え撃つというわけだな! 大規模な合戦ならば、某は当然、名誉ある『一番槍』を所望するぞ!」
「……ええ。とりあえず、これからギルドの二階の会議室で、リーダーを交えた『討伐軍議』を開きますので、千代女さんたちもそちらへ向かってください」
ガイルスの案内に従い、戦の予感にウキウキと足取りも軽く会議室の階段を上っていく千代女。
その背中を絶望的な目で見つめながら、ソフィアは「絶対に嫌だ……ゴブリンに捕まってあんなことやこんなことをされるくらいなら、舌を噛んで自害する……」とブツブツ不穏なことを呟き、ひどく重い足取りでフラフラとついていくのだった。




