第19話 見渡す限りの海と、異世界の港町
辺境都市ファルサを出立し、土埃の舞う街道をガタ馬車に揺られること数日。
千代女とソフィアを乗せた乗合馬車は、ついに南の玄関口たる『巨大港町アクアリア』へと到着した。
馬車を降りた瞬間。
千代女の鋭い鼻腔をくすぐったのは、これまでに嗅いだことのない独特な匂い――むせ返るような強い潮風の香りと、水路から漂う不思議な活気の気配だった。
「おぉ! これが海か! まっことでっかいの~。向こう側がまったく見えんわ!」
巨大な石積みの防波堤の上に立ち、地平線の彼方まで果てしなく続く真っ青な大海原を見渡して、千代女は珍しく子供のように目をキラキラと輝かせた。
日ノ本の山深い地で生まれ育ち、血生臭い戦場ばかりを駆け抜けてきた彼女にとって、これほど巨大で、青一色に染まった『水たまり』を見るのは初めての経験である。
絶え間なく打ち寄せる白い波の音と、上空を高く舞う海鳥の甲高い鳴き声に、千代女はひどく心地よさそうに目を細めて海風を全身に浴びた。
「海もそうですが、街並みもすごいです……! 私、ファルサ以外のこんなに大きな街を見るのは初めてで……」
隣に立つソフィアもまた、目の前に広がる大都市の光景に圧倒され、ポカンと口を開けていた。
二人の背後に広がるアクアリアの街並みは、千代女の脳内にある『日ノ本の常識』を遥かに超えていたのだ。
日ノ本――すなわち戦国時代の街並みといえば、土を固めた泥道に、木と紙と土壁で作られた質素な平屋の長屋が連なるのが普通である。
屋根は茅葺きか重い瓦で、色彩といえば土の茶色や渋い木の色ばかりの、徹底して実用的な風景だ。
しかし、この異世界の巨大港町はどうだろうか。
足元には、大型の馬車が何台もすれ違えるほど広く、寸分の狂いもなく綺麗に整備された『白亜の石畳』がどこまでも敷き詰められている。
立ち並ぶ建物は燃えやすい木と紙ではなく、頑丈なレンガや白石造り。
しかも二階、三階建ては当たり前で、どの建物の窓にも、日ノ本では大名すら持たぬような超高級品であるはずの『透き通ったガラス』が惜しげもなくはめ込まれ、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
通りには赤や青、黄色のカラフルな日よけ布が所狭しと張られ、迷路のような水路を鮮やかな小舟が行き交っている。
そして人間だけでなく、美しいエルフや屈強なドワーフ、様々な獣人など、多種多様な種族が活気ある声を響かせ、異国の香辛料や焼けた魚介の匂いが街全体を包み込んでいた。
「ふむ……家屋が石でできているとはな。これでは忍びの者が屋根裏に潜むこともできまい。それに、あの透明な板はなんじゃ? 向こう側が丸見えではないか。……まったく、異世界というのは奇妙で面白いものばかりだ」
キョロキョロと、まるで珍しい玩具を見るように首を巡らせる千代女。
そんな完全なお上りさん状態の最強の侍を見て、ソフィアはハッと我に返り、保護者(兼お財布係)としての役目を思い出した。
「ち、千代女さん、まずは冒険者ギルドに向かいましょう! 確か、ファルサのギルド長のグレンさんから、『紹介状』を貰ってるんですよね?」
「ん? ああ、そうであったな」
千代女は懐をガサゴソと探り、道中の扱いが雑だったせいで少しだけシワになった、蜜蝋の封筒を取り出した。
「あやつから、コレを見せれば悪いようにはならん、みたいな事を言っておったわ。それに、この街周辺には某を楽しませる『骨のある強者』がウヨウヨおるともな!」
息を呑むほど美しい港町の風景よりも、まだ見ぬ強敵との死合に思いを馳せ、ニヤリと肉食獣のような好戦的な笑みを浮かべる千代女。
「えっ……? 強者って、魔物のことですよね? 人間のことじゃないですよね? お願いですから、また到着早々にギルドで騒ぎを起こすのだけはやめてくださいね……?」
「案ずるな! 某は、売られた喧嘩しか買わん主義じゃ!」
「それが一番危ないんですよぉ……! あと、喧嘩を売られてないのに自分から買いに行くのもやめてくださいね!」
ソフィアの切実な嘆きとツッコミを、爽やかな潮風が容赦なく掻き消していく。
ウキウキと足取りも軽く、未知なる強者を求めて白亜の石畳を歩き出す最強の戦闘狂と、すでに胃の痛みを覚えながら、新しい杖を握りしめてその後を追うハーフエルフの少女。
二人の新たな舞台でのドタバタ劇が、突き抜けるような青空の下で、今まさに幕を開けようとしていた。




