25.リゼットの選択肢
すっかり日課となったお掃除の途中、まさかこんな状況になるとは思っていなかった。
旦那様とカレン様の話を、盗み聞きすることになってしまったのだ。
ちょうど部屋の掃除を終えて、換気していた窓を閉めようとしたその時――部屋の外から旦那様の声が聞こえた。勝手に掃除をしていたことを、旦那様には知られたくない。私は、はたきと雑巾を持って急いで家具の後ろに隠れたのだ。
そこに、旦那様とカレン様の二人が入ってきた。
家具の隙間から覗くと、カレン様はいつもとは違う雰囲気の服装をしている。これは、まずい場面に出くわしたのでは、と心配になった。
(もしかして私、浮気現場に遭遇したの……?)
ここに来た当初は、旦那様に浮気相手がいても構わないと思っていた。
でも、今の私はあの頃とは違い、旦那様への気持ちを認識してしまった。
二人で街に出かけた時、勢いで旦那様のことが好きだと口走った。旦那様も私のことを嫌ってはいないと、心のどこかで期待してしまっていたのだと思う。でもあの日、旦那様は私のことを明らかに拒否して手を放した。
最初の言葉通り、私のことを愛するつもりはないのだ。
それだけでも十分すぎるほどショックだった。それなのに、こうして旦那様とカレン様の逢引に居合わせるなんて……! このまま何かが始まってしまえば絶対に出て行けない。私の心も耐えられるかどうか分からない。
家具のうしろに隠れている場合じゃない。今のうちに声をかけて、勝手に屋敷のお掃除をしていたことを白状するほうが随分マシだ。
家具に手をかけて体を起こそうとしたその時、ちょうどカレン様がスミレの調査結果の報告を始めた。
(あっ、カレン様は事務的なお話のためにこの部屋に入ったのね)
浮気ではなくて良かったと、胸をなでおろす。しかし、これでますます出て行くタイミングを逸してしまった。
「……ドルン領特有のドルンスミレよ。押し花になっていたからハッキリとは分からないけど、恐らくドルンスミレの毒を強化する加工がされている」
カレン様が調査結果を旦那様に告げる。
やはりあの図鑑のスミレには、毒が入っていたようだ。
不安がよぎる。お母様がこん睡状態となった原因は、そのスミレなのだろうか?
しかし、もしそうなら何年も目を覚さないのはおかしい。ドルンスミレの毒を吸った私は、数日で目を覚ましたのだ。
継続的に毒を摂取させられでもしない限り、あんな状態にはならないだろう。
(継続的に、毒を盛られて……ううん、そんなことあり得ない!)
ヴァレリー家には侍女のグレースがいる。もしもシビルやソフィがお母様に毒を盛ろうとしても、グレースがいればきっと大丈夫。
なんとか不安を打ち消そうとするが、私の胸の鼓動はどんどん速くなる。
一度ヴァレリー家に戻らなければ。いや、まずはグレースに手紙を書こう。それから旦那様にお願いして、一度王都に戻る許可を得よう。
「どうする? この件を更に調べるなら、王都のヴァレリー伯爵家に潜入するしかないわよ。そこまでする? リゼットさんはあなたの本当の妻でもないのに」
色々と考えているうちに、カレン様のそんな言葉が耳に入った。
本当の妻ではないというのは、旦那様が私のことを愛するつもりはないと仰った件だろうか。旦那様はそれを、カレン様にも伝えているの?
胸が痛い。
確かに私はカレン様にとって、あとからポッと出てきた妻だ。元々恋人同士だったお二人とは比べ物にならないほど、旦那様との間の関係は薄い。
ついこの前まで、旦那様は私のことを大切にしてくれていると感じていた。女好きの噂の影など微塵もなく、私自身の目で見る旦那様は優しさのかたまりのような方だった。「愛するつもりがない」という言葉が、嘘だったんじゃないかと錯覚するほどに。
でも、やっぱり旦那様とカレン様の仲は、私が想像する以上に深いのだ。
カレン様は続ける。
「リゼットさんがここに残ったところで、あなたとは絶対に本当の夫婦にはなれない。あなたの正体がもしも彼女にバレたら、最悪シャゼル家は取り潰しになるわ」
(シャゼル家のお取り潰し? 旦那様の秘密が私にバレたら、お取り潰しになるの? 話が見えない、一体どういうこと?)
旦那様は、私に何か重大な秘密を隠している。
それが明らかになれば、本物の夫婦になれないどころか、シャゼル家を失うほどの。
「あなたがリゼットさんを騙し続けているのは事実でしょう? 今回のスミレの毒の件だって、本当はあなたに無関係よ。首を突っ込む必要はないところに突っ込んで……なぜあなたがそんな目に遭わないといけないの?」
「君にスミレの調査は頼んだが、それ以上のことは関係ないだろう?」
「あるわよ! 前にあなたが私のことを好きだって言ってくれた時、その気持ちを重く感じてひどいことをした。本当にごめん。でも私、あれからずっと考えていたの。やっぱり私はあなたが好きなのよ」
「……何年前の話をしてるんだ? もうやめてくれ」
「あの時は私も本当に子供だったと思うの。すごく浅はかだった」
「今さら昔のことを蒸し返されても困る。カレン、一体何を言ってるんだ?」
旦那様とカレン様の言い合いに耐えかねて、ついに私はその場で立ち上がって叫んだ。
「ちょっと待ってください!」
衝動的に声を上げてしまった私を見て、旦那様とカレン様が目を丸くする。
「リゼット……いつからそこに?」
「ごめんなさい、初めからいました。この部屋のお掃除をしていて、お二人が入って来られたのでつい隠れてしまったんです」
「カレン……ごめん、外してくれるかな」
旦那様が低い声で呟く。カレン様は呆然とした表情のまま小さく頷き、部屋を出て行った。
この部屋には、私と旦那様の二人だけになった。




