26.ユーリの真実
この屋敷には元々使用人が少ないから、誰にも邪魔されずにゆっくり話ができるはずだ。旦那様に色々と聞きたいことがある。
「リゼット、君に隠していたことがある」
「……はい。そのようですね」
旦那様はソファにゆっくりと腰かけると、私にも向かいに座るように促した。
「話を聞いていたと思うが、図鑑に挟まっていた例のスミレに、毒が含まれていたそうだ。余計な心配をかけないようにこの場には呼ばなかったんだが、初めからリゼットにも同席してもらえば良かった。申し訳ない」
「いいえ、私が咄嗟に隠れたのが良くなかったのです。気になさらないで下さい」
「……あの図鑑は、もともとヴァレリー伯爵夫人のものだったね? 心配だ」
「はい、その通りです。私の侍女だった者が、今は母の看病をしていますので、すぐに手紙を書きます」
もしもお母様に、毒が盛られているのだとしたら?
あの部屋に入ることができる人物は限られている。お父様と愛妾シビル、ソフィ。そしてグレースと、お母様の主治医くらいのものだ。
(その中の誰かが、お母様を……)
旦那様は考え込んだ私に向けて、「そしてもう一つ」と言って、頭を下げた。
「結婚式の夜に君に言った言葉……本当に申し訳なかった」
「私のことを愛するつもりはないと仰ったことですね」
「そうだ」
「何かご事情があると仰っていましたよね。ロンベルクに来て二か月、旦那様は噂に言われているような不誠実な方ではないと感じていました。私の目が節穴なのですか? それともあの言葉には、何か深い意味があったということですか?」
「……俺は、本当はリカルド・シャゼルじゃない」
(えっ……!)
旦那様の言葉の意味をはかりかね、私は顔を上げた。
「すまない、リゼット。俺の本当の名前は、ユーリ・シャゼル。リカルドの従弟なんだ。失踪したリカルドの身代わりとして、あいつに成りすましていた」
「……リカルド様ではない……と?」
旦那様は私に向かって頭を下げたまま、小さく「ああ」と答えた。
(……まさか。私が結婚したと思っていたこの方は、リカルド・シャゼル様ではないというの?)
何も言葉が出てこない。沈黙する私の前で、ユーリ・シャゼル様はゆっくりと頭を上げた。
先ほどまでとは違う、今にも泣きそうな顔で。
「なぜあなたがそんな顔を?」
「すまない、なんと言って謝罪したらいいか分からない」
「……詳しく、聞かせていただけますか」
ユーリ様は頷くと、重い口を開いた。
◆
リカルド様は、ユーリ・シャゼル様の恩人だった。
ユーリ様は妾腹で、平民のお母様と共に市井で暮らしていた。そのお母様が亡くなってから、シャゼル家に引き取られたという。
上にはお兄様が二人。突然目の前に現れた弟を受け入れ難かったのか、お兄様二人はユーリ様と距離を置いた。お父様も本妻の手前、ユーリ様の扱いに困った。兄二人とは違い、ユーリ様だけは本妻の反対もあり、騎士学校に入れてもらえなかった。
ユーリ様は諦めていた。
従兄のリカルド様は年が近く、ユーリ様が唯一心を許して接することができる相手だった。リカルド様のお父様がユーリ様の騎士学校入学を支援してくれたことで、やっと念願の騎士学校に入れたそうだ。
リカルド様とは同期として騎士学校で共に学んだ。
争いごとを嫌い、サボり癖のあったリカルド様のフォロー役は、いつもユーリ様とカレン様。リカルド様はいつも、「俺は騎士に向いていない。元々興味のあった医学や科学分野の研究をするために文官になりたかった」と漏らしていたらしい。
授業をサボるリカルド様の尻拭いに奔走する日々は、ユーリ様にとって特に苦ではなかったらしい。騎士学校への入学を後押ししてくれたのは、そもそもリカルド様がお父様に頼んでくれたおかげだったから。
そんなリカルド様が、ある日突然失踪した。
私との結婚式の当日のことだったという。
以前、リカルド様が魔獣との戦いで第二王子を身を挺して守った……というのは完全なる作り話。リカルド様曰く「たまたま第二王子の前に立っていた時に魔獣の攻撃を受けただけ」だそうだ。捏造された美談のせいで、辺境伯という責任ある地位につかなければならないことを、リカルド様はとても嫌がっていた。
リカルド様はユーリ様に「辺境伯はお前がやるべきだ」と何度も押し付けようとした。ユーリ様が諭すと、今度は女遊びに明け暮れ、素行が悪くなった。
騎士学校時代、いつものらりくらりとユーリ様に色々と押し付けていたリカルド様が、まさか失踪するほど追い詰められているとは――ユーリ様は全く気が付けなかったという。
ヴァレリー伯爵家との婚姻は、国王陛下からの命。
リカルド様の素行の悪さに辟易した国王陛下は、「この結婚に失敗すれば、シャゼル家は取り潰しだ」というお考えに至ったらしい。
リカルド様の変化に気付けなかった負い目もあり、ユーリ様はリカルド様の身代わりを引き受けた。
ヴァレリー伯爵家側から「離婚してほしい」と言われれば、シャゼル家に責任を問われることなく妻を追い出せる。そうやって時間を稼いでいる間にリカルド様を探し、ロンベルクに戻るよう説得する予定だった。
だから初夜で、「君を愛するつもりはない」などと言ったのだ。
ユーリ様はリカルド様の身代わりとして、ソフィからの嫌われ役を演じ、ソフィがロンベルクでの生活に根を上げて逃げ出すよう仕向けた。
しかし、王都からやってきた花嫁はソフィではなく、姉の私だったのだ。
そこまで説明すると、旦那様はもう一度大きく息を吐いた。
「俺の言葉や態度のせいで、リゼットには嫌な思いをさせたと思う。どう謝っても謝り切れない。俺はシャゼル家存続のために君を利用した。この屋敷に馴染もうとしてくれていた君の気持ちを踏みにじった」
旦那様の声はかすれ、組んだ両手は小刻みに震えている。
「……それなら私にも、最後まで冷たくなさればよかったんです。中途半端に優しくされて、スミレを毎朝贈ってくださって、それでこうして突き放されるなんて。それなら初めから冷たくされていたほうがマシでした!」
ただの八つ当たりだ。
旦那様は初めから、私にちゃんと釘を刺していた。旦那様のさりげない優しさに勝手に心惹かれたのは私のほうだ。
「リゼット、本来の道に戻ってもらえるか」
「本来の道とは?」
「君はリカルドの妻だ。あいつが見つかれば、俺からリカルドに二度と仕事を投げ出さないように言う。他の女性に手をださないようにも、厳しく注意する」
「……私に、何もなかったように別の人の妻になれと?」
「リカルドは、伯爵家のご令嬢である君にとって申し分ない身分だ。ここにいれば、君は以前のように暮らしを脅かされることはない。他のどんな道よりも……きっと幸せになれる」
「私はこの数か月、ロンベルクでユーリ様と過ごしてとても楽しかったんです。ここでずっと暮らしたいと思っていました。でも、こんなのおかしいわ。全てが嘘で、あなたの態度も言葉も全て演技だったのですか?」
感情がぐちゃぐちゃだ。叫び出してしまいたい。
旦那様はどういう気持ちで私に接していたの?
こうして私の前から去るくせに、どうしてスミレをくれたりしたの?
愛するつもりはないと言ったのなら、言葉通りにして欲しかった。
耐え切れず、私の両目から涙がこぼれる。
「どうしても君に冷たくできなかった。俺の中途半端な対応が君を更に傷つけた。すべて言い訳になってしまうが、本当に君に感謝している。あの日、食堂アルヴィラで君に出会ったおかげで、心から幸せを感じた。卑屈だった気持ちが、自分を大切にしようと思えるようにまで変わった」
「……ユーリ様。ご自分の気持ちを大切になさった結果がこれなんですね? 誕生日は五月と仰いましたよね。本当はいつなんですか?」
「五月はリカルドの誕生日で、俺の本当の誕生日は十一月だ。すべて嘘まみれで済まなかった。でもこれだけは信じてほしい、俺は心から君の幸せを願ってる」
もう、お互いに視線も合わない。
どんな顔をして相手を見たらいいのか分からない。
よく考えれば、おかしい点はいくつもあった。
ロンベルクの森に行った日、旦那様はご自分の屋敷で道に迷っていた。あれも、旦那様が身代わりだったというなら納得がいく。
悪評高かった女癖の悪さを全く感じさせなかったのも、ずっと不思議だった。私が初めから、リカルド様本人じゃないことを疑えばよかったのだ。
(彼がリカルド様ではないと気づいていれば、私もユーリ様に惹かれることはなかったのかしら……)
今となってはもう分からない。
長い沈黙が続いた後、廊下の方からバタバタと慌ただしい足音が近付いて来た。扉がバタンと開き、執事のウォルターが部屋に飛び込んでくる。
「旦那様! 騎士団への報せです! 魔獣が再び姿をあらわしたそうです!」




