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23.五月の手紙

 旦那様の食事にも手を伸ばして平らげてしまった私のお腹は、はちきれんばかりで苦しい。少し運動するために、馬車ではなく歩いて帰りたいとお願いしてみると、旦那様は快諾してくれた。


(良かった、もう少し二人の時間を過ごせるわ)


 二人で並んで歩けることに、喜んでいる自分に気付いてハッとする。


 お母様が倒れてから、誰かと一緒にいてこんなに楽しい日が、私にあっただろうか。

 誰かに咎められないか、叱られやしないかと気にすることもなく、ただ目の前の美味しい料理を頬張り、気を遣わずに気安い会話を楽しむ。


 普通の人にとっては、当たり前の日常かもしれない。

 でも、少なくとも私にとっては、今日という日が特別な日のように思えた。


 太陽が傾き、春霞のかかったロンベルクの街が、淡いオレンジに染まる。

 旦那様の亜麻色の髪がオレンジ色の街の風景に映えて、絵画のように美しい。私が見惚れていると、旦那様が立ち止まって振り返った。


「リゼット、今日一日連れまわしてしまったが、体調はどうだ?」

「はい、もうすっかり元気ですので大丈夫です」


 そうか、と言って旦那様は右腕を私の方に差し出す。


 エスコートしてくれるおつもりなのだろうか。私が恐る恐る旦那様の腕に手を伸ばすと、旦那様にその手を取られて繋がれた。エスコートするのは貴族っぽくて、この場にそぐわないから……と言いながら。


 こうしていると、まるで旦那様と私が本物の恋人同士のように思えてくる。嬉しさと恥ずかしさで背中がゾワゾワして、旦那様と繋いだ手にぎゅっと力がこもる。


「……そういえば、以前に君が働いていた店に行った時。ちょうどその日が俺の誕生日で、君が皿に花をのせて祝ってくれたんだ。覚えてないだろう?」

「お客様のお誕生日には、いつもお花でお祝いしていたので、お一人ずつの顔までは覚えていないんです。でも、旦那様がお誕生日にアルヴィラに来てくださっていたなんて驚きました!」

「元々、誕生日にはあまりいい思い出がなかったんだが、君のおかげで誕生日も悪くないと思えるようになったよ。年甲斐もなく嬉しくて……君に御礼の手紙を書いた」

「手紙ですか? そんなに喜んで頂けて嬉しいです! 旦那様の誕生日は何月ですか?」

「十一……いや、五月だ」


 不自然に言い直し、旦那様は前を向く。

 自分の誕生月を言い間違えるなんて、旦那様は時々こうして抜けているところがある。


「五月でしたらもうすぐですね。今年は屋敷でお祝いさせてください」


 旦那様は、なぜご自分の誕生日を嫌いだったのだろうか。尋ねてみたい気もしたけれど、何かの心の傷を抉ることになってはいけない。深堀りはしないでおこう。

 せめてこれから迎える誕生日は毎年、旦那様が楽しく過ごせるように私もがんばりたい。


 旦那様は突然その場で立ち止まると、目を泳がせながら私に言った。


「……君は、手紙をもらったことを覚えてる?」

「ごめんなさい。覚えていなくて」

「……そうか、いいんだ! 別に、何か見返りがほしくて手紙を書いたわけじゃない。ただ君に御礼を言いたかったんだ。だから、差出人の名前すら書かなかった」


 再び歩き始めた旦那様は、空いている方の手で頭をポリポリとかいて何かを誤魔化している。お手紙のことを覚えていないと伝えたのに、旦那様の表情はむしろホッとしているように見えた。


(さては旦那様。私に言ってはマズイことまで書いてたのかしらね)


 旦那様がくれたのは、どの手紙のことだろう。

 五月と言えば王都は春。暖かくなってきて、そろそろ夏のメニューを考えようかという時期だ。


 そんな時にお手紙なんてもらっただろうか?


 一生懸命思い出そうとする私の横で、旦那様はもうその話題を終えたがっている。色んな店や噴水や、遠くの景色を指さしながら、必死で話題を変えようとしてくる。

 そんな旦那様のことを、なぜだか無性に愛しく感じた。


「旦那様。お手紙のことを覚えていなくて残念です。旦那様からの初めてのお手紙ですもの、ずっと大切にしたかった」

「……え?」

「結婚式の日の夜、旦那様は私のことを愛するつもりがないと仰いましたけど……私は旦那様のこと好きですよ。毎朝スミレを私のために摘んでくれるところも、こうして私の体を気遣ってくださるところも」

「リゼット……」

「だから、今回こそちゃんと覚えておくために、五月の旦那様のお誕生日は盛大にお祝いをいたしましょう……って、私ったら何を言ってるのかしら」


 旦那様への気持ちがあふれてしまい、無意識に愛の告白めいたことを言ってしまったことに気付いた私は狼狽えた。


(旦那様の気持ちを聞くのが怖いと思っていたけど、私たち少しずつ歩み寄れていますよね?)


 結婚式の日の夜から比べて、私たちの距離は大分近付いた。私の独りよがりではないと思う。

 私は旦那様の反応を確かめるために、恐る恐る顔を見上げた。


 旦那様は反対を向いたまま「すまない」とボソッとつぶやき、私の手を離した。

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