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 耳にタコができるのではないかという程散々言い聞かせられ、シュベルツはグレンを見送る。


「ったく……、本当に信用がないなぁ、俺」


 あぁ、でも。俺も昔はよく弟たちにあんな風に言い聞かせていたっけかなぁ。


 次男のアーロンは意地っ張りだけど、本当は心根の優しい奴で。三男のティトスは怖いもの知らずで手先が器用、少し調子がいい奴だ。


 長女のアイシャは世話焼きで、甘いお菓子が大好きだ。


 四男のルカと次女のジュディは双子で、よく似た容姿だが性格は正反対。ルカは大人しく本を読むのが好きだから教会によく足を運び、ジュディはやんちゃっ子だ、いつも野原を駆けまわっている。


 三女のシャルロッテは病弱でいつも咳き込んでいる。それから、綺麗で可愛らしいものが好きだ。


 五男のレインはまだ五歳なので甘えん坊としか言えない。


 そして最後にお母さん。強くて優しい人だ。いない父親の代わりに朝から晩まで働いて、俺たちを育ててくれた立派な人。


(みんな元気かなぁ……ん?)


 外から騒がしい音が聞こえ、窓からこっそりと覗いてみる。少しの人だかりのその向こう、何やら乱闘が起きている様だった。


(まーたやってるよ)


 下町ではこんなことは日常茶飯事だ。一体今日は誰がこんな昼間から暴れているのだろうか。


 この付近には酒場があるからきっとそこらの連中だろう。


 そんなことを思いながら眺めていると、人だかりを掻き分け、その男が現れた。その男には見覚えがあった。その男の顔を忘れるなんてことはきっと生涯出来ないだろう。


 茶髪に色の濃い碧眼、仕立ての良いスーツに身を包んだその男を、シュベルツは知っていた。


 見間違えるなんて事は決してない。


「お、れの……――ッ!!」


 それは、俺の身体だ。


 気付けば御者の静止の声を振り切って、シュベルツは馬車から飛び降りていた。


「まて、待ってくれ! 逃げるな!! それは、俺のッ!!」


 一目散に駆け出すも、集まった人々のせいで思うように進めず、遂には見失ってしまう。


 折角見つけたというのに、取り逃がしてしまった。シュベルツは落ち着かない足取りで引き返す。人だかりは既に散らばっており、シュベルツは通りすがりの男性に声をかける。


「あの、すみません。ここで何が? さっき走ってった奴はなにを……」

「ん? あぁ、ほら見てごらん。あの子、こっちに出稼ぎにきたお兄さんを探してたらしくてね。でもまぁ、なんだ。人違いだったのか、それともお兄さんが故郷を捨てたのか……」


 そう言いながら顎で一人の子どもを示す。その方向に視線を動かし、シュベルツは目を見開き、息を呑んだ。


「あまりにしつこいもんだから、お前なんか知らないって、あの子のことを酷く突き飛ばしたらしくてさぁ。いやぁ、可哀想な話だよ」


 それだけ言い残しておじさんはその場を去ってしまう。


 シュベルツは話を聞き終わると、まるで吸い寄せられたかのように地面に蹲る少年のもとに歩き出す。


(そんな、まさか……どうしてお前がここに……)


 蹲った少年の下にシュベルツは膝をつき、手を伸ばす。


 まるで信じられないものを見るかのように、夢でないことを確認するかのように、伸びた前髪を払い、顔を確認した。


 その顔は紛れもなく、大事な家族の。弟の――。


「てぃ、とす?」


 三男のティトスは怖いもの知らずで手先が器用、そして少し調子がいい奴で……家族の中でも唯一父親譲りの黒髪を持つ。そんなお前が、どうしてここにいるんだ?


「ティトス、おい! しっかりしろ!!」


 シュベルツは気を失っている弟を抱き寄せ、懸命に声をかける。抱き寄せた身体は軽く、反応のない様子に、酷く狼狽え、声をかけ続けてしまう。


「おい、あんちゃん。アンタ良い所の坊ちゃんだろ? 汚ねぇぞ。やめとけって」

「煩い黙れ! 何が汚いもんか!!」


 この子は俺の弟だ。大事な家族だ。それを汚いなどと蔑む声に応酬する。


「そうだ、お医者様に診せないと……」


 こんなに傷ついて、こんなに弱って。一体ティトスに何があったというのだろうか。


 ティトスを抱きかかえ立ち上がろうとした時、背後から声を掛けられた。


「レギュラス様!?」

「――ッグレン、さん!」

「言いつけ破って一体何を……」

「グレンさん! お医者様を呼んで下さい! ティトスが!」


 覗き込んだ腕の中で気を失った少年を見るや、グレンは目を瞠り隣にしゃがみ込む。


「診せて下さい。呼吸はありますね、脈は弱いな……意識は」

「俺が来た時にはもう反応がなくて、頭から血が」


 後頭部から血が流れ出ており、グレンはハンカチを取り出すと、それを傷口に当てる。


「頭部の出血ですね。急いで屋敷に運びましょう」


グレンはシュベルツの腕から気を失った少年を奪い取る様に抱え、二人は馬車へと駆けこんだ。


 屋敷へと馬車を走らせ、アッヘンヴェルバッハ家に代々仕える専属医に診せれば栄養失調や、過度な疲労、暴行を受けた際に石畳に頭を強く打ち付けたことによる一過性の意識喪失だと説明された。


 頭部の傷も出血は多いが、そこまで酷い物ではないらしい。


「では、一応瀉血を……」

「瀉血は結構ですっ!!」


 瀉血。それは人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法。


 シュベルツはぎょっとして、ナイフを取り出そうとした医師を部屋から追い出した。


 都会や貴族の間では極々一般的な治療法らしいが、シュベルツにとっては到底信じられない治療法だ。


 医師の言う療法を断り、代わりに傷に効く薬の手配をお願いした。医者は随分と不貞腐れていたが、そんなことなど知らない。


「良かったんですか、瀉血しなくて?」

「あんなよく分からない方法より、安静第一! 精の出る食事や、傷が悪化しない様に傷口を薬草やアルコールで消毒した方がより効果的に決まってるじゃないですか!」


 弱っている体を余計に傷つけるという考え方がシュベルツには到底理解できない。


「まさか、グレンさんも瀉血なんて信じて!?」

「悪い物を身体から出す。昔から行われている療法ですから……一応。でもまぁ、遠征や訓練の時なんかは治療薬とか使いますが、なにぶん在庫が少ないので」

「治療薬が少ない?」

「聞いた話によれば、薬草の栽培が難しいらしいんですよ」

「……へぇ~」


 栽培が難しいというグレンの話しはにわかに信じ難く、可笑しな話もあるものだと窓から中庭に視線をむける。


 そこには多種多様な薬草が既に植えられ、庭師の手によって見事な大輪の花を咲かせていた。


 難しいという割には品質もかなり上質で、種類も豊富。ただ一種類一種類の生産量が低いだけだ。


(貴族特有の観賞用ってことか? それとも、育ててる種類が多すぎて手が回らないとか……? でも郊外の森とかに行けば群生してるし)


 実家の裏山なんて正に自然の恵みに溢れていた。毎年山菜取りに山に登ったものだ。


「では、俺は報告書をまとめてきますので失礼しますね」

「あ、はい」


 部屋を出るグレンを見送り、客室のベッドで眠ったままの弟に視線を落とす。掛け布団からはみ出した手を握り、小さく名前を呟く。


「ティトス」


 名前を呼んでも反応は返ってこない。静かな寝息だけが自棄に耳につく。


「ティートス」


 もう一度だけ名前を呼ぶが、やはり返事はない。


 握り返されることのない手を握り、ずっと物思いに耽る。どうしてティトスが都に居るのか、どうしてこんなにも傷だらけなのか、一体自分がいない間に故郷でなにがあったのか。


 故郷に残してきた家族たちは今、どうしているのか。


 そればかりを考え。不甲斐無い己を何度も心の中で責め立て、歯を強く噛みしめた。


 一体どれほどの間そうしていただろうか、既に日は暮れ、火を灯さなければ暗くなるばかり。


「おい、レギュラス」

「ぁ……ケルヴィンさん。戻って来てたんですね」


 不意に背後から声をかけられ、シュベルツは振り返る。そこには灯りを手にしたケルヴィンが立っていた。


「夕食の時間だ」

「あー、えと。あんまり空いてなくて……あとで、うぐっ!」


 つい顔を背けると後ろ襟を勢いよく引っ張られ、声が降ってくる。


「グレンから話は聞いている。さっさと食事を済ませてこい。代わりに看ておいてやる」

「……え」

「早く行け。容体に変化があったらすぐに知らせる。分かったな?」

「あの……」

「分かったな」

「は、はいっ」


 否を言わせない眼光の鋭いケルヴィンに部屋を追い出され、外で待機していたグレンの後に続く。


「聞きましたよ。ずっとお部屋にいらしたとか。そんなに心配ですか?」

「そりゃ、うん。心配ですよ」


 弟なんだ、心配しない方が可笑しい――。そんなことは言えず。後ろ髪引かれる思いを抱く。

 覇気のない受け答えに、グレンはそっと声をかけた。


「でしたら、レギュラス様。ご自愛くださいませ」

「……うん」


 心此処に在らず。返された中身のない返事にグレンは肩をすくめ、教え子がきちんと食事をする姿を見守った。

 食事を終え、シュベルツは一目散に弟が眠る客室へと向かう。

 そして開いたドアの先、大事な弟のティトスは起き上がって水を口に運んでいた。


「……へっ? お、起きて??」

「遅かったじゃないか、レギュラス」


 大事な弟の傍らで、先程看病を交代した勉学の師は水差しを持って立っている。


「ケルヴィンさん! 容体に変化があればすぐ教えてくれるって!」


 言ったじゃないですかあ! そう言いながら詰め寄るも、ケルヴィンは微動だにしない。


「なに。病人を放ってお前を呼びにいけるわけがないだろう。少しは頭を働かせろ。ちなみに、彼が目覚めたのはつい数分前のことだ」


 起きたのが数分前ならば仕方ない。仕方ないのだが、その言い方がとても癪に障る。彼はいつも二言三言、多いのだ。


「そういう所ですよ! ケルヴィンさんそう言う所~!」

「どーどー、ね? レギュラス様」

「病人の前で騒がしいぞ。もっと慎みを持て」

「ほんっと、あなたの、そういう所~~!」


 グレンがシュベルツを宥めるも、直ぐにケルヴィンがちゃちゃを入れる為、こうなんという腹が立つ。こういう人だと分かってはいるが、腹が立つ。


 一方、その光景を緊張しながら見守っていた少年がいた。


「あ、あの……っ!」


 三人のやり取りを見ていたティトスは、思い切って口を開く。すると三人の視線は一斉に自分へと向かう。


「……こ、ここは、どこでしょうか? それに、あの俺っ」


 ティトスは視線をさ迷わせながら言葉を紡ぎ、その声は段々とか細くなっていく。視線も段々と下がり、水の注がれたグラスを強く握り締め中の水が小刻みに揺れ動いていた。


 そんな弟の様子に、シュベルツはハッとする。心当たりしかない。


 そりゃそうだ。目を覚ましたらこんな肌触りの良いベッドに、豪華な内装。見てくれの良い見知らぬ人たちがいれば普通にそういう反応になってしまうだろう。


 自分も初めてこの屋敷に連れてこられた時はそうだった。いやこっちは体が入れ替わっているなんてとんだ意味不明な状況に陥っていたから余計に混乱していたけれど。


 弟が起きたら話したいことは沢山あったのに、いざ目の前にすると何から説明すればいいのか言葉に詰まる。先ずは自己紹介かと思ったが、自分が本当は君の兄で今は体が入れ替わって貴族のお坊ちゃんやってますなんてそもそも言えないし。


「えーっと、あの……」

「ここは貴族街の一等地に建つ由緒あるアッヘンヴェルバッハ公爵家の屋敷だ。私はケルヴィン、こいつはグレン。そして貴様を拾った張本人がこのレギュラス・フォン・アッヘンヴェルバッハ公爵令息だ」


 さらりと説明してみせたケルヴィンに、シュベルツとティトスは言葉を失った。


 シュベルツに関しては、そんなざっくばらんに説明してしまってよいものかという衝撃から。ティトスに関しては、説明された内容が内容なだけに理解が追いつけなくなってしまっていた。


 そんな三人の有様にグレンが仕切り直す。


「ケルヴィン。もっと順序立てて説明した方がいい。あと、言葉も選べよな……」


 お前が、無駄が嫌いな事ぐらいは分かっているが、その説明はあんまりにもあんまりだ。


「私は医者を呼んでくる」


 ケルヴィンはするりとシュベルツとグレンの横を通り過ぎて部屋を出て行く。入れ代わり立ち代わり、グレンは人の好い笑みを浮かべて声をかけた。


「初めまして、先ほどご紹介に預かりましたグレンと申します。君の名前を訊ねても?」

「……は、はい。あの、俺はティトス……ティトス・ロットーです」

「では、ティトス。気を失う前の事は憶えているかい?」

「気を失う、前……っ! ……は、いッ」


 一瞬言葉を詰まらせた後、耐える様に短く返した返事にシュベルツは不安の色を瞳に宿す。


「そうか。あの時我々も現場に居合わせていたんだ。気を失った君を案じたレギュラス様が、屋敷までお運びになったんだ。傷の具合はどうだい?」

「だ、大丈夫です。あの、俺みたいな素性のしれない奴を助けて下さって、ありがとうございます。それで、その……」

「ん? なんだい?」

「ち、治療費はそのおいくらでしょうか? あの、今はあまり手持ちがなくて……ご迷惑をおかけした分は必ずお返ししますので」


 ティトスは始終頭を垂れ、身の置き所のない居心地の悪さと、現在自分が陥ってしまった状況に対し酷く悲観的だった。

 発する声もうわずったり、震えていたりと、落ち着きがなく。その態度が余計にシュベルツを不安にさせる。


 自分のよく知る弟ティトスはお調子者で、いつも調子が良いことを口にするような奴だ。


 シュベルツは項垂れ続ける弟の様子に悲痛な表情を浮かべたと同時に、一歩前へと歩き出し、ティトスと同じ目線になるように膝を折り、優しい声で語り掛ける。


「いらないよ」

「……え」

「治療費は勿論、宿代も要らない。今は治療に専念するんだ」

「でもっ」

「いいんだ。お金なんて気にしなくていい。今は……ティトスが無事で、本当に良かった」


 そう言って、震えるティトスの手に自身の手を重ねる。ティトスは驚いてゆっくりと顔を上げ、目の前にいる自身と同じ年頃の少年の顔をまじまじと見つめた。


「本当に、良かった」


 安堵の笑みを浮かべて、「良かった、良かった」と同じ言葉を繰り返す少年に、ティトスは言葉を失い視線をさ迷わせる。

 さ迷わせた視線の先でも、グレンと名乗った大人が優しい笑みを浮かべていたものだから、余計にティトスは困り果て、視線を下に向けるしかなかった。

 ケルヴィンが医師を連れて戻ると、簡単な問診を終え、改めて数日の安静を言い渡された。

 医師はシュベルツが指示した薬草を用いた療法で治療を進めていく。


「では、また明日」

「あ、ありがとうございまず! 本当にっ、なんとお礼を言ったらいいのか……」

「お休み、ティトス」


 シュベルツはティトスの頭の傷に触らない様に頭を撫でると、名残惜しそうに部屋を後にした。


「それでレギュラス? 何か申し開きは?」

「ありません。本当にすみませんでした」


 廊下に出ると仁王立ちして立ち塞がる師、ケルヴィンの姿にシュベルツは深々と頭を下げた。

 言いつけを破って勝手に馬車を飛び出した事、素性の知れぬ輩を屋敷に運び込んだ事。


「理解しているのならばこれ以上は言うまい。だが、これ以上問題を起こせば、領地送りになることは覚悟するんだな」

「……はい。肝に銘じます」

「ならばいい。お前もさっさと寝ろ」

「はい、お休みなさい」


 ケルヴィンからの厳重注意を受け、シュベルツは大人しく今日はもう眠りにつくことにした。

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