26
(本当に綺麗な子だなぁ)
それに今着ている服もよく似あっている。なんか見たことある柄で――。
(そう言えば……あっ)
そろりと今度は自身の衣服を見下ろす。そこには同じ柄の生地が使われていた。今まで緊張しっぱなしで全くと言っていいほど気づかなかったが、これは。
(グレンさんが社交の場や格式高い催しでは、男女のパートナーはお揃いの礼服を身に纏うって)
教えて貰ったことがある。そうかなるほど。こんな感じになるのか。なんかちょっと恥ずかしいな。あと、照れくさい。
「レギュラス」
「うん?」
「あなた、本当に変わったわ。全く知らない人みたい」
不意に足を止めてシルヴィアは向き直る。
「どうして……?」
「どうしてって」
「何がそうまでして、あなたを変えたの?」
「……それはっ」
シュベルツは言葉を詰まらせた。それは、魂が本来の肉体から引き離され入れ替わってしまったから、だから変わった。けれどシュベルツの口は真実を紡げない
少しの沈黙に、シルヴィアは顔を逸らして再び歩き出す。シュベルツは彼女を慌てて追いかける。
「言いたくないのであれば、それでいいわ」
「ちがっ……」
「じゃあ、なんなの?」
言いたくないんじゃない、言えないんだ。自分たちが入れ替わっているというたった一つの真実が、他人に伝えられない。
彼女は景色などに目もくれず、先に進んでしまう。
シュベルツは彼女を引き留めようと、その手を掴む。
「待って……! 聞いてくれ!」
「なにを……っ」
「言いたくないんじゃない、話せないんだ! 俺の口からこれ以上、誰にも伝えられなくて……本当は知ってもらいたい、いいや、みんな知らなきゃいけない。なのにっ……俺にはそれができないっ」
シュベルツは顔を歪めて、項垂れた。
「……伝えられるのだとしたならば、心を入れ替えたとしか言い表しようが、ないんだ」
魂と言うモノが本当に存在するのであれば、それが入れ替わっている。
だがそんな事を伝えたところで、誰が信じるというんだ。
まるで童話に出てくるような夢物語を、一体誰が、信じられようか。ましてや、『レギュラス』と言う悪名高い奴が口にすれば、それはもう笑い話だ。
「……レギュラス?」
「ごめん、本当に……ごめん」
情けなくて、涙が出てくる。それを悟られないように下を向いているというのに、シルヴィアは空いている片手を伸ばして、シュベルツの頬に触れ、覗き込んだ。
「泣いているの?」
シルヴィアは心底驚いた。なにせ、あのレギュラスが泣いているのだ。いつも薄気味悪い笑みを浮かべ、他人を嘲笑うだけの彼が、何か心を痛めて頭を垂れ、涙を流している。
衝撃だった。酷く動揺し、だから手を伸ばしてしまった。
こんな事初めてだ。
「泣かないで……あなたに泣かれると、どうしたらいいのか……分からない」
シュベルツは顔を上げて、寂しそうに目を細め俯いてしまう彼女を見つめる。そして、頬に触れる彼女の手に、自分の手を重ねた。
「ごめん」
シュベルツは握っていた手を放し、涙を拭う。鼻水もすすり、恥ずかしいと思いながら謝罪した。
22の大の大人が年甲斐もなく泣きだすなんて、恥ずかしい以外の感情を抱けない。
あいや、体は15歳なんだけどね。
「恥ずかしい所を、お見せしてしまって……申し訳ないです」
「突然泣き出すんですもの、びっくりしたわ」
シルヴィアはそう言いながらハンカチを差し出す。
「これは……?」
「使って。擦ると、赤くなってしまうから」
「あ、ありがとう!」
ハンカチを受け取り、目元を拭う。シルヴィアさん物凄く優しい、気遣い上手だと思う。
使い終わったハンカチをどうしようか考えあぐねいていると、手にしていたハンカチを奪われる。
「もう大丈夫そうね」
「あ、ハンカチ」
「使い終わったんだからもういいでしょ?」
「でも、お返しとか……」
「……言っておきますけど、この服と靴、宝飾品やこのハンカチも全部あなたの家から送られてきたものだから、あなたが気に留める必要はないのよ」
「え、そうなの!?」
あーなるほど、だから服の柄が一緒だったのか。なるほど。
「今回のはいつにもまして一般的で、物凄く驚かされました」
「今回のは、ってことは……普段はー」
「品のない、無駄にヒラヒラした動きにくいドレスばかり。品性を疑いました」
「……ごめんなさい」
もう自分が何に対して謝っているのか分からなくなってきた。頭が痛い。うちのレギュラス様が大変ご迷惑をおかけして、申し開きもございません。
俺本当に一ミリも関係ないんだけどね。肩身が狭いんだよ。
「もう、いいわ」
「……え?」
「あなたがいつか話せるようになった、その時に、心変わりの理由を教えてくださいませ」
「いいの?」
「ええ」
ほら、行きましょう? シルヴィアはそう言って先を歩き、シュベルツは慌てて彼女を追い掛ける。先程までの殺伐とした雰囲気は消え去り、二人は並んで庭園の散策を続行した。
「領地では何をしていらしたの?」
「えっと、体重の減量と勉強と、グレンさんにマナーだとか剣の扱いは勿論、銃や体術を教えて貰ったんだ」
「その話し、本当? あのグレン様が?」
「……あのさ」
「なぁに?」
「グレンさんって何者なの」
声を潜めて訊ねれば、シルヴィアは驚いて、呆れた後、渋々教えてくれた。
「あなた、あの方が何者かも知らないなんて……しかも知らないで教育を受けていたなんてッ! 信じらんない!」
「どええ、だって本人教えてくれないし」
「ええそうね。教会に足を運ばないあなたは、知らなくて当然よね。グレン様は名門貴族ルクセンブルク家の三男で……一応これは未発表なんだけど次期聖騎士長候補のお一人なのよ」
「次期、聖騎士長……って、え、ええ!? あの教会の??」
聖騎士長。教会に殉ずる神聖なる騎士団の長。
それの候補者の一人。それが、グレン。本名グレン・ヴェスマ・ガラマ・ルクセンブルク。現在は出家してルクセンブルクの姓は名乗っていない。
「ねぇ、俺、とんでもない人からご教授されてない、それ。俺、大丈夫? 不敬とか、あとから破門されない??」
「あなたなんの心配をしているのよ」
「だって聖騎士長なんて、聖騎士長様だよ?! 神様に、聖女に教皇に仕えるすっごいお人じゃん!」
「そうよ、すっごいお人よ。お分かりになって?」
「分かり過ぎて、グレンさんに顔が会わせづらくなった。もうちょっとここでゆっくりしてかない? 心の準備を整えたい。うわぁ、嘘だぁ」
シュベルツは頭を抱えてその場でしゃがみ込んだ。信じられない、いつも笑顔のあの男が実は聖職者で、次期聖騎士長候補の一人に数えられる現聖騎士、想像だにしなかった。
良い所の出なのは本人も口にしていた為、知っていたが、まさか聖職者だったとは。
「あのね、まだ候補ってだけだし、正式な発表もされていないの。何をそんなに挙動不審になって」
「だって聖職者にこの一年間丸々お世話になって、そりゃあもう、色々あったんだよ! 色々!」
「何があったの?」
「…………100キロの巨体を、軽々と、背負い投げされました」
「……はい?」
「だから、100キロもあったこの身体を背負い投げされて、気絶するまで走らされて、筋肉をつけろと肉を無理矢理食べさせられるわ、ダンスの練習でワザと人の足踏んでくるし、体術とか本当に手加減なしで腹に青痣ができました」
「…………誰のお話?」
「グレンさんと俺のお話です!!」
グレンさんが聖職者だって? ありえない、人のことをいつもからかって、思い立ったが吉日とばかりに無理難題を押し付けてきた、あの傍若無人な家庭教師が聖職者?
「グレン様が、本当にそんなことを?」
「本当に!」
「うーん。信じ難いけど、そうね、きっとそうでもしないとあなたのねじ曲がった根性や、不必要に溜めこまれた脂肪は落ちなかったんだわ」
「え、そういう解釈しちゃう? 最初の30キロは自力で頑張って落としたんだよ?」
「……ねぇ、レギュラス。あなた、体重どれくらいあったの?」
「あいや、それはちょっと他言できないと言いますか……」
シュベルツは立ち上がって距離を取った。流石にね、言い難いんだよ。年頃の少女でもないが、あの体重を口にしたくない。
「……秘密ごとが多いのは相変わらずね」
「あ……ご、ごめん。そんなつもりじゃ……気を悪くしちゃった、よね」
「ええ、そうね。そうかも……ふふっ」
「!」
シルヴィアは少しのふくれっ面をやめて、笑い声を洩らした。口元を隠しながら小さく笑う姿にシュベルツは驚く。
なんせ少女は出会ってから一度も笑うことなく、悲痛な表情や感情を押し殺したような表情ばかり浮かべていた。食事をしている時も、正直、事務的に相手にされていたような気がした。
だからこそ、目じりを下げて笑った少女の顔は、花々が咲き綻ぶように美しく感じた。
「な、なして、突然笑って」
シュベルツは突然のことに顔を逸らす。心臓がとても煩い。
「ごめんなさい、なんだか……少し、おかしくって。そうね、きっと。初めてあなたと一緒に居る時間が、楽しいものだと思えたから……かしら?」
「え……」
「なんだか、不思議。本当に別人みたい、もしかして本当に――別の人だったりして?」
「……ッ! そ、それはっ」
「気を悪くしないで、冗談よ」
身を翻し、シルヴィアは歩き出す。シュベルツはその後を追いかける。
「あ、あの、シルヴィアさん」
「ねぇ、その呼び方……」
「呼び方? えっと、どこかおかしかったですか?」
「ううん。そうじゃなくて、普段通り呼び捨てで構わないのだけれど。それと、喋り方もちょっと他人行儀過ぎない?」
「そ、そうかな?」
二人は言葉を交わしながら庭園を一周し、グレンの元へと戻る。
「どうやら、随分と有意義な時間を過ごされたようですね」
「まぁ、うん。楽しかったよ」
二人の顔つきが先程とは打って変わって自然体だったために、グレンは柔らかく微笑んだ。
シュベルツとシルヴィアはテーブルにつき、用意された紅茶に口をつける。
「グレン様。あの、お父様と公爵のご様子は……」
「はい。お話は纏まったようでございます。公爵と伯爵は既に発たれました」
「え、先に帰っちゃったんですか?」
「では、新しく馬車の手配をお願いしないと」
「いえ。ミス・シルヴィアをお送りする様にと、公爵からお言葉を預かっております故ご安心ください」
「……そうでしたか」
「じゃ、もう帰ろっか」
シュベルツはシルヴィアが紅茶を飲み終えたのを見届け席を立つ。
「もう宜しいのですか?」
小首を傾げたグレンにシュベルツは頷く。
「うん。だって、彼女にもちゃんと予定があるんだ。これ以上こっちの都合に振り回すなんて、悪いことはできないよ」
「レギュラス、あなた……」
思わぬ事を言われ、シルヴィアの心の内側に小さな波が立つ。それは不快なものではなく、むしろ、好ましいもの。小さな喜びだった。
彼から受けた思い出すだけでも疎ましい数々の悪行を赦せるわけではない。けれど、変わると言った彼の行動に、シルヴィアはかすかに微笑んだ。
「そうでしたか。では馬車の手配を」
ホテルマンの案内で移動し、手配された馬車にシュベルツは乗り込む。
「あれ、グレンさんは一緒に乗らないんですか?」
「俺は御者台にお邪魔させて貰いますので」
「お気遣い結構ですわ。グレン様」
「まあ、そうおっしゃらずに。私にも立場あります故、ご容赦を」
グレンはニッコリと微笑み、馬車の戸を閉じてしまう。馬車はそのまま動き出す。
「えっとさ、シルヴィア」
敬称は必要ないと言われたために呼び捨てにしてみるが、少しの違和感を覚える。まだちょっと慣れない。
「なにかしら」
「その、学園ってさ。今はどんな感じなのかなって……あ! いや、俺がいなくなったことで至って平和だってことは勿論わかってる。そうじゃなくて、どんなことを勉強してるのかなって」
「どんなって、今は進級試験があるから、過去の試験問題を解かされているわ」
家庭教師であるケルヴィンや教育制度なる本の内容から、学園の制度は一応知っている。
学園には10歳から、正確には11歳から入学でき。
10歳になった貴族の子どもたちが通う就学前教育学部では教養を習うが、通常そんな物は貴族の子女にとっては幼い頃から親や家庭教師によって一定のレベルまで躾けられている。
その為、この一年間はこれから苦楽を共にする仲間との顔合わせや、学園のしきたりを学び、あとは一種のサロンのようなもの。
そして11歳になると、本格的な学習内容が始まり、17歳で卒業の七年制。
「でもレギュラス。あなたこんなことを聞いてどうするの?」
「いやー、来学期から復学することになっちゃって」
「――……はあ?!」
想いもしなかったことを言われ、淑女としてはなんともはしたない声をあげてしまう。
「あ、あなたが、復学? 学園に? うそでしょう? 私はあなたが起こした事件の詳細を詳しくは知らないけれど、無期限の謹慎処分を言い渡されたって……」
「うん……俺もこの前公爵から話を聞いて耳を疑ったっていうか……いまだに信じられないっていうか」
「公爵が……、一体あなたのお父様は何をお考えなのかしら」
「それが俺にもさっぱりわからなくて……」
「……そう。でもアッヘンヴェルバッハは王家に次ぐ力を持つ名家ですもの、それぐらいどうとでもなるのでしょうね。公爵家の出の者が学園を出ていないというのも、体面が悪いもの」
ロードンと同じ事を言うシルヴィアに、シュベルツは肩をすくめた。
こういうのって貴族の常識なのかもしれない。ケルヴィンにも一応歴史の授業は受けたが、いまいちピンと来ない。
窓の外には既に目的地である学園の時計塔が見えていた。
「ここが、王立学園」
今度から通う事になる学園。
大聖堂とも引けを取らない白亜の建造物。シュベルツは感嘆の息を吐く。
タウン・ハウスや先程まで滞在していたホテル、グランド・ニフェルムと同じように広大な土地を有したカルナ・ヴォルトガンド王立学園。
複数存在する建物は建築様式が異なっているのか、どの建物も一風変わっている。
シュベルツは先に馬車から降り、後から降りるシルヴィアの手を取り、降りる手助けをする。
「送ってくれてありがとう」
「送るって言っても俺じゃなくて御者が……」
「分かってる。それでも、お礼は言わせてちょうだい。私、礼儀知らずにはなりたくないの」
「そっか。じゃあ、えっと試験頑張ってね」
互いに別れの言葉を交わし、シュベルツは学園前を後にした。
シルヴィアと入れ替わりでグレンが目の前に座っている。そうだこの男は聖職者で、しかも聖騎士長候補というなんとも名誉ある役職をもつ人物……らしい。
にわかには信じ難いが。だから素っ気ないていで言葉をかけた。
「グレンさんって、聖職者だったんですね」
「なるほど……シルヴィア嬢からお聴きになったんですね」
「聖騎士長候補だとも」
「ええ。恐れながら推薦を受けまして」
グレンはいつもの笑顔を浮かべ、にこやかに対応する。
「こんな所で教師のような真似事をしてていいんですか?」
「いいえ。真似事ではなく本当に務めさせて頂いたんですよ。一年間と言う期間限定ですけれどね。公爵の頼みとあらば教会も無下には出来ませんからね」
「そーですか」
「他には何か?」
何かと問われても事実確認しをしているだけだ。他に何か……。しばしば考え、シュベルツは思い至る。
「……まさか、ケルヴィンさんも聖職者なんじゃ」
「まっさかぁ! あいつがそんな玉に見えますか? 突拍子もなく神は死んだなんて言い放つ奴ですよ!」
ガチトーンで返ってきた返事にしょぼくれる。
「じゃあケルヴィンさんは何者なんですか?」
「ミス・シルヴィアに聞かなかったんですか?」
「聞いてな……え! シルヴィアってケルヴィンさんのこと知ってるんですか!?」
「そりゃ、あいつはあれで結構有名で……。まぁ、この話は追々」
「凄い気になるところで終わらせないで下さいよ!」
「後で本人に聞けばいいじゃないですか~」
「教えてくれないから聞いてるんですよ!」
「そうそう、レギュラス様。少し寄り道していきますね」
「寄り道?」
「はい。公爵から頼まれた用事がありまして」
「そうなんだ」
「貴族街の外に出ますが。レギュラス様。くれぐれも馬車から突然飛び出さない様に」
あっさりと話をすり替えられ、グレンのお小言が始まった。
誰がそんなことをするかとシュベルツは思ったが。事の全ての始まりは本物のレギュラスが馬車から脱走した事から始まったのだ。
「分かりましたか?」
「……はい」
シュベルツは、肩を落として返事を返す。
馬車は貴族街を抜け、下町へと進む。そこはシュベルツにとって見知った城下町だ。その景色を眺めながら、懐かしさに思いふける。
思い浮かべるのはこの街で過ごした日々と、故郷に残してきた家族のこと。
「では、ここでお待ちください。いいですか、くれぐれも、くれぐれも!」
「分かりましたから、早く行ってちゃちゃっと戻ってきてください」
「問題を起こさない様にお願いしますね」




